第7話 ゴロゴロ

 近づくと、ぷーんとした臭いが漂ってきたので、そこが牧場だとすぐに分かった。

 柵の囲いなどは見当たらず、見覚えのある白黒まだらのホルスタイン乳牛が野放図にそのまま放牧されており、思い思いに地面の草をんでいる。


「あれは逃げないのかな?」


 僕は少し気になってカリーナに聞く。


「逃げないんじゃない? 捕まえてくれって依頼は受けたことが無いわね」


「ふーん」


「ジルお爺さんは牛舎にいると思うから、こっちよ」


 薬草の袋はその場に放置して木造の少し大きな建物に向かう。牛舎の中では小さな椅子に腰掛けて牛の乳をしぼっているお爺さんがいた。


「ジルさん!」


「おお、カリーナかい。もう少し待っとくれ。一杯分、搾れるから」


「うん。今日から『何でも屋』にこのマモルって子が加わるから、紹介しにきたのよ」


「ほう、マモル君か」


「どうも」


 お爺さんは僕の顔をちらりと見たが、それだけで乳搾りを再開した。左右の手でシュッシュッと牛の乳を簡単そうに搾っているが、たぶん、あれは素人だと難しいんだろうなあ。


「よし、これでいい。ほれ、持っていくといい」


「ありがとう。コップある?」


「おお、それじゃ、ほれ」


 木のコップを取ったお爺さんがそれに絞りたての乳を入れてくれた。


「じゃ、マモル」


「ありがとう」


 口を近づけようとする前から濃厚なミルクの匂いが押し寄せ、あれっ?牛乳ってこんなに強い匂いがしただろうか……とちょっと戸惑う。一口飲むと、まだほのかに温かい牛乳は、僕の喉をするっと通り抜けた。意外にも少し薄めで清涼感があり、それでいて甘みが強く、後にミルクの味がしっかりと舌の上に残った。


「うっめ! 何これうっめ!」


 僕はこの飲み物にひたすら驚いてしまった。もう未知なる衝撃だ。


「ほっほっ、それは良かった」


「なあに? マモルってそんなに牛の乳が好きだったの?」


「いやいやいやこれ牛乳違うからナニコレうめえー!」


 気がつくともうコップが空になっていた。


「いや牛乳だから」「牛乳じゃのう」


 カリーナもお爺さんも軽く受け流し、僕の大興奮を全然分かってくれない。


「なんでこんなに味が違うんだ……?」


 改めて乳牛を見るが、普通のホルスタイン種に見える。ちょっと体が大きいように思えたが、僕は乳牛をアニメ以外で見たのは初めてなので、見分けようがない。


「そんなに気に入ったのなら、もう一杯、飲むかい?」


「頂きます!」


 僕は直角お辞儀の両手でコップをお爺さんに差し出す。牛には怖いので近づかないけど。

 お爺さんは片手でコップを持ち、反対側の手でシュッシュッシュッと三回絞った。それだけでコップには満杯の乳が溜まったようだ。


「ほれ」


「あざすうっめ! ああ……あのあのあの」


「ほれ、貸してみい」


 もう一杯。


「ありがとうござうっめ! もう一杯!」


 七杯目を頂いたところでお爺さんが言った。


「今日はもうそのくらいにしておいた方がええ」


「そうよ、飲み過ぎ。どうせもらって帰る予定だから、また今度ね」


「ああ……ゲフ」


 後ろ髪を引かれる思いで牧場をあとにする。僕はカリーナに聞いた。


「ねえ、カリーナ、牛を飼うつもりは無い?」


「無い! それより、薬草を煮るわよ、マモル」


「へーい」


 煮沸殺菌していない生乳を飲み過ぎたせいか、その日、僕はお腹を思い切り壊してしまった。はうっ、死ぬぅ……。

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