第3話 三冷
長く続く回廊を早歩きで進みながら、イルナスは豪奢に彩られた透明の壁を眺める。
帝都の中心にそびえ立っているこの宮殿は、数百メートルほどの高さで停止し、帝都バッダーグを悠然と見下ろしている。膨大な量の浮遊石で建造されたそれは、天空宮殿と呼ばれる帝国の象徴である。
中央の交差路で4つの分岐が発生する。地への移動は各所に設置された特殊な法陣を使用するため、外部からの侵入は北、南、東、西、いづれかの門を通らなければいけない。
「でも、
ヤンが不思議そうに尋ねる。宮殿内部に出入りできる人間は契約魔法で行動を縛られた使用人か、多数の護衛を周囲に配備できる皇族や上位貴族であるため、内部の警護はそこまで厳重でもない。
しかし、天空宮殿には皇帝の住まいもあるので、殊更に門の警備は厳しい。
「北の衛兵と通じている。軍は楽だな、力さえあれば言うことを聞くんだから」
「……人望ないですもんね」
ボソッとつぶやいたヤンが
生まれて5年間をこの天空宮殿で過ごした彼には、ここの生活こそがすべてだった。母のヴァナルナースや星読み兼家庭教師であるグレース。
大陸で最も信頼している2人をこの日に一気に失うのだ。そんな心中を察したのか、ヤンは優しく童子の手を握った。
「ご安心ください。必ずお守りしますから」
北の門に到着した。衛兵が3人。いずれも、ヘーゼンの部下であると聞くが、あまりにも人望がなさ過ぎて裏切られる危険があるので、要注意だ。
ヤンは、漆黒のマントでイルナスごと覆った。急な出来事に戸惑うイルナスを片手で抱いて胸に押しつけ、ヘーゼンと共に前へと歩き始める。
「っと、ヘーゼン
「ああ、すまん。弟子で、緊急の案件があってな。苦労をかける。お礼はするよ、相応のね」
「お願いしますよ」
陽気にやりとりをし、速やかに顔パスで通行の許可を得た。一旦、ここの門をくぐってしまえば、あとは法陣に乗り込むだけ。案外簡単なものだ。
このまま、帝都へと降りたって……とヤンが思惑を巡らしていた時に、突如としてヘーゼンが漆黒のマントを剥ぎ取り、イルナスの顔をむき出しにした。
衛兵たちは数秒固まっていたが、やがて口から泡を吹くぐらいに驚愕の表情を浮かべた。
「なっ……イルナス皇子!? なんで」
「いやぁ、なんでって誘拐するんだよこれから」
!?
ヘーゼンのアッサリとした宣言は、『これからお茶します』ぐらいの軽いものだった。ヤンも彼らと同様に驚いていたが、割合立ち直るのが早くて『ああ、こいつまたやりやがったな』的な視線を黒髪魔法使いに投げかける。
一方で、衛兵たちはすぐさま剣を抜き、周囲を取り囲む。
「ヘーゼン
「いや、なにを言ってるんだよ。私は君たちの協力を得て、イルナス皇子を誘拐するのに。現に通行許可をもらってるんだから。私もヤンもイルナス皇子殿下も捕まったら証言するよ……確実にね」
その笑顔はあまりに綺麗で、すがすがしくて、逆に歪んで見えた。衛兵たちはすぐさま彼の言っていることが理解できなかった。混乱していた。
なぜ、わざわざヘーゼンは彼らにイルナスを見せたのか。そのまま、通り過ぎてくれれば、なんの問題もなく門を通過できたではないか。
「な、なにを言ってるんですか! わ、私たちは――」
「ふぅ……わからないかな。『国家反逆罪は加担した者すべてが極刑になるほどの重罪』だよ。言っただろう? お礼はするって。それは、君たちが私に加担したことに他ならない何よりの証拠だろう?」
笑顔で説明するヘーゼンに、3人の衛兵たちは驚愕した。確かに、言ったし了承した。
しかし、お礼など社交辞令に過ぎない。あるいは、酒場でいっぱいでも奢ってくれれば十分。そんな大人の気遣いを、目の前にいる
「もう君たちの住居には誘拐の共犯者にふさわしい金額の贈り物をさせていただいているよ」
「そ、そんなもの受け取る訳がないじゃないですか!?」
「大丈夫。いきなりの大金だと受け取って怪しまれると思って、懇意にしている商人には分割で契約しておいたから。すでに、家族は喜んで受け取ってもらってるよ」
ヘーゼンは、ヒラヒラと彼らと同じ人数分の契約書を見せる。3人の衛兵たちは完全に青ざめた表情を浮かべている。
ヤンは、この時に彼の教えを思い出す。信頼の薄い者を味方に引き込むのであれば、同じ罪を犯させろ。それが、重ければ重いほど彼らを縛る鎖となると。
「し、真実は一つだ。俺は犯罪には加担しない。ヘーゼン=ハイム。あなたの悪行は許されることではない」
「違うよ。真実とは、複数の事実の集合体によって成り立っている。それは、組み合わされた事実の数だけ存在するものだ。
私が準備した事実は3つ。君たちが私に便宜を図って違法な申請を許可したこと。私の準備したお礼を君たちの家族がすでに受け取ったこと。君たちがイルナス皇子の誘拐計画を知ってしまったこと。
どうかな? 客観的に見て、軍の上下関係だけで簡単に便宜を図ってしまう君たちの安い言い訳とこの揺るがない3つの事実。
どちらを人は信用するかな?」
「「「……」」」
数人の衛兵たちは、もう完全にフリーズしてしまっている。イルナス皇子も完全に硬直状態だ。
しかし、ヤンにとってみれば、これが
「と言うことだから、君たちはなにも見なかった。イルナス皇子はここを通らなかったし、便宜を図ったりもしなかった。いいね?」
「「「……」」」
「沈黙は回答と見なすよ。じゃあ、ヤン、イルナス皇子殿下。ご武運を」
黒髪の魔法使いは、満面の笑みで、全力で嫌な顔をしているヤンと驚愕の表情を浮かべているイルナスを見送った。
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