第2話 家庭教師として

 さて、難題である。沙織こと、さおりんに数学を教えている。対価は無し、極めて厄介である。


 わたしの人生に『女子』の二文字が無かったのも事実である。


 さおりんの髪の香りは女子そのものであった。まるで、さおりんが妖術でも使っているかの気分である。


「三角関数がよく解らないよ」


 モジモジとわたしに話しかけてくる。何が狙いだ……財産か?若い生き血か?

妄想が広がり困惑していると……。


 「だから、三角関数を教えて」


 さおりんの言葉に少し正気を取り戻す。


「えーと、これは公式を使って……」


 しかし、また、普通に教えているつもりだが、半分パニックになる。少し休憩と言ってトイレに駆け込む。


 わたしは洗面台で顔を洗うのである。あーまだ、ドキドキする。


 さおりんか……。


 良い匂いがしたな。いつまでもトイレに隠れていられない。渋々、さおりんに勉強を教えていた空き教室に戻る。


「ぷ~遅い!」


 不機嫌そうに頬を膨らませている。女子高生は皆、こんな感じなのか?中学の途中までT大を目指して勉強漬けの日々には無いエピソードである。素直に謝り、勉強に戻る。


「そうそう、三角関数である」


 面倒くさいから、三角関数の微積を教えてしまうか?


「えーと、こっちの参考書に……」

「だから、解らないよ」


 うむ、三角関数の微積は早いか。これで、対価が無いのは不条理である。また、髪の香りがしてくる。


 うううう、対価無くても良いか……。そんな日常の始まりであった。




 わたしは四階の教室から黄昏を眺めていた。それは、子供の頃に夢描いていた、学者になる事を諦めていた。挫折した人生でさおりんに勉強を教えるのは……。


 先生も良いかな……親はカリスマ塾講師の方を薦めるだろうな。それとも、もう一度、T大を目指してみるか?わたしが思いにふけていると、さおりんがやって来る。


「えへへへ、隣いいかな?」


 わたしの隣は普通に空いている。


「許可は取らなくていいぞ」


 さおりんが隣に座ると。ヘラヘラしている。こいつには悩みが無くて幸せ者だなと思わせるのであった。


「さおりんは悩みが無くていいな」

「えーわたしにも悩みはあるよ。朝食の目玉焼きを半熟にするか固くなるまで焼くかだよ」


 さおりんは真面目な顔で話を始めるのであった。


 ふ、さおりんらしいな。


 そんな彼女にわたしは癒されていた。この義足の左足と失ってからのリハビリの時間。わたしは多くを失い過ぎていた。さおりんの髪の香りが届いた瞬間であった。担任の角田先生が教室に入ってくる。


「まだ居たのか、高校生でも遅くなると問題だぞ」


 相変わらず、角、角、した口調である。わたしは簡単な返事をして教室を出る。


「とーう、昇降口まで競争だよ」


 さおりんが両手を水平にして走り始める。一度、見えなくなって、さおりんは昇降口で待っている。


「わたしの勝ち!」


 おいおい、こっちは義足だぞ、イヤそれ以前の問題か。


「もう!シャキッとして」


 わたしは頭をかきながら謝るはめになった。この時間はきっと特別なのであろう。そんな気持ちにさせるさおりんであった。

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