第4話

「何やってんだ、お前ら。それでも極道の端くれか」

 岩滝組事務所に郷田の怒号が響き渡る。白髪を生かしたメッシュにポマードをたっぷり塗り込んだ艶々の髪、白いピンストライプのスーツにワニ柄の靴と、昔ながらの羽振りの良いヤクザファッションに身を包んでいる。


 こめかみに浮いた血管が今にも切れそうな郷田の前で小さくまとまっているのは、若衆の藤田と新井だ。街で使いっ走りのチンピラだった二人は、箔をつけようと先輩に紹介された極道の門を叩いた。それがそもそもの間違いだった。

 極道が肩で風切る時代など遠い昔の夢物語。今や暴対法に縛られて身動きができず、特殊詐欺やダフ屋などの片棒を担ぐセコい商売で日銭を稼いでいる。


「205号室に新しい住人が引っ越してきたんですよ」

 藤田が言い訳を終える前に、郷田の鉄拳が飛んだ。

「馬鹿が、留守中に探せば済むだろうが」

 それじゃ住居不法侵入だ、ヤクザものがそんなことをしでかしたら一般人よりも重い罪になる。そう思っても新井は口を噤んだまま、目を合わせないようにしている。


「西島の集めた証拠を探せ。奴がアパート周辺に姿を現わしたということは、部屋に隠している可能性が高い」

 あれが見つかると岩滝は終わりだ、とぼやきながら郷田は苛立ちを隠そうともせずタバコに火を点ける。

「なにしてやがる、とっとと行ってこい」

 郷田に一喝されて、藤田と新井は雑居ビル3階の岩滝組事務所を飛び出した。


 事務所近くのコインパーキングに停めた藤田の黒のセルシオに乗り込む。走行距離十万キロ越えの中古車だ。元のオーナーもやんちゃだったらしく、車検に通るはずのないシャコタンにホイールをカスタムしたヤンキー仕様だ。

「証拠って、そんなに大事なら自分で探せよ」

 殴られて腫れ上がった頬を撫でながら藤田が毒づく。

「それカシラの前で言えって」

 新井はいつもうまく立ち回る。藤田は涼しげな顔を見てチッと舌打ちをする。


「証拠って、あれだろ。議員秘書の三田村とかいう奴とうちの組との関係の」

「らしいな。今度の埋め立て地の処分場建設でも金が動いたらしい。何が議員秘書だ、ヤクザよりタチが悪いぜ」

 藤田はセルシオのエンジンをかける。車高を極限まで下げているため、バンパーをこすらないよう細心の注意を払って駐車場から発進した。


 向かう先は蒲田の古アパートだ。西島を掴まえようと張り込みをしているうちに、新しい住人が入居してしまった。やむなく深夜に屋根裏やベランダから入り込めないか物色してみたものの、住人に気が付かれることを怖れて諦めた。

 藤田も新井もケチな詐欺の片棒は担いできたが、押し込み強盗をするにはさすがに気が咎めていた。しかし、若頭は切羽詰まっている。このままのらりくらりやり過ごすわけにはいかなくなっていた。

 

 藤田と新井はサニーサイド蒲田が見える路地へ身を潜める。

 住人は昼間は仕事に出掛けているはずだ。まっとうな一般人の部屋に押し入るのは気が引けるが、証拠を見つけ出さなければ若頭にどやされる。

「おい、あれ見ろ」

 藤田に乱暴に肩を小突かれた新井は、面倒くさそうな顔で眉根にしわを寄せる。藤田の指差す先を見ると、アパートの前に長身の男が二人立っている。


 一人はダークレッドの花柄の開襟シャツに黒いスーツ、首には金のネックレスを提げている。タバコを持つ手には派手なブレスレットが巻かれている。見た目はチンピラ風情だが、スーツの仕立てが良いことはそのシルエットから分かった。黒いグラデーションのサングラスはハイブランドのものだろう、というのはファッションにうるさい新井の見立てだ。


 傍らに立つ男は長い前髪を後ろに軽く流し、紺色の花柄シャツの引き締まった胸元には鮮やかな刺青が覗いている。シャドウストライプのスーツの隙のない着こなし、縁なし眼鏡の奥の鋭い眼光はカタギではないと否応なく感じさせられる。


「なんだあいつら、同業者か」

 藤田が目を見張る。二人の男の発する只ならぬ雰囲気と佇まいに完全に呑まれている。

「奴らも西島の証拠を狙ってやがるのか」

 まずいな、と新井はぼやく。赤いシャツの男がこちらを睨んだ気がして、新井は慌てて壁の内側に身を引いた。こちらは死角にいるはずだが、気が付いたとすれば異様に勘の良い男だ。あんなのを敵に回したら、絶対に勝てる気がしない。

 一時退散だ、と藤田と新井はその場から立ち去った。


 ド派手なチンピラに扮して、伊織の部屋をこれ見よがしに見張るフリをしていたのは曹瑛と榊だ。

「なかなか似合うぞ」

 榊がフィリップモリスの灰を落としながら鼻を鳴らして笑う。

「馬鹿言え、好き好んでこんなものをつける奴の気がしれない」

 首が凝る、と曹瑛は金のネックレスを忌々しげに弾いてみせる。


「温泉に入れるならば、一度は墨を刺してみたかった」

 榊は開襟シャツから覗く刺青ペイントを見やる。温泉などの公衆浴場では刺青、タトゥーを施した者の立ち入り禁止を掲げている施設がほとんどだ。榊は極道の見栄より温泉を選んだ、と胸を張る。

「お前に合う図案は亀だ」

「それも悪くない」

 真顔で頷く榊に、曹瑛は思わず目を細めた。


 気を取り直し、曹瑛は205号室を見上げる。

「これで奴らも尻に火がついたようだな」

「ああ、我慢比べに堪えきれず手段を選ばず打って出るだろう」

 榊も頷く。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る