第15話 深夜の襲撃

 高谷は窓際のソファに座り、鉛筆を持った手を動かしている。エミール・ガレのデザインを模したランプスタンドの灯りが物憂げな横顔を照らしていた。ライアンは今日のために新調したオフホワイトのシルクのパジャマのボタンを留めながら、高谷の手元を覗き込む。

「おお、素晴らしい」

 ライアンは思わず感嘆の声を上げる。高谷は無心でスケッチブックに絵を描いていたが、ライアンの声にはっと顔を上げた。


「勝手に見るなよ」

 高谷は唇を尖らせて文句を言う。スケッチブックに描かれていたのは彼の兄、榊英臣の顔だった。目を細めて微かに緩めた唇には優しい笑みが浮かんでいる。緻密なタッチに陰影の見せる立体感の表現も見事で、まるで生きているような仕上がりだ。

「とても素敵だ、結紀にはこんな才能もあったんだね」

 ライアンはうっとりとスケッチブックの中で微笑む榊を眺めている。高谷は手を止めて描きかけのスケッチをじっと眺めている。


「こんな顔を向けてもらえたらどんなに幸せだろう」

 ライアンは榊にビジネスパートナーとして認められてはいるが、ライフパートナーとしては全力で拒否されている。高谷の描いた絵は、まさに夢の中で見る愛しい男の顔だ。

「そうだね、俺もそう思うよ」

 高谷は自嘲気味に笑みを浮かべる。腹違いとはいえ、血が繋がった兄弟だ。榊への叶わぬ想いに胸を焦がしていることは知っていた。兄弟としての愛情は十分に注がれているが、それは恋人としてのものではない。スケッチに描かれた榊の笑顔は高谷も見たことのない顔なのだ。


「今度、大きなキャンバスに描いてくれないか、私のマンションの寝室に飾りたい」

 ライアンは大仰な身振りで満面の笑みを浮かべる。高谷はぽかんとした表情でライアンを見上げる。

「ははは、何言ってるんだよ、ライバルにそんなサービスするわけないだろ」

 高谷は笑いながらスケッチブックを閉じた。ライアンのジョークに気が紛れたことに内心感謝した。ライアンはかなり本気だったのだが。


 高谷はランプの明かりを落とした。ベッドに横になると、隣の部屋から榊の笑い声が微かに聞こえてくる。

「榊さん、曹瑛さんとケンカせずにやってるみたいだね」

 笑い声は一方的なので、何やら榊のツボに入ったようだ。榊は普段クールでストイックなのだが、笑い上戸なのだ。

「英臣と曹瑛はああ見えて仲がいい。いざというときお互いを信頼している。私はときどき羨ましいとさえ思う」

 暗闇に響くライアンの口調はどこか寂しそうでもあった。高谷はこの図々しい男も意外とナイーブな面があることに驚いた。


 ***


 就寝前の筋トレで身体が温まったためか、効きの良い暖房と厚手のかけぶとんで顔が火照るのを感じていた。榊は寝苦しさを感じて、無意識に寝返りを打つ。

 ベッドが軋んだと同時に、隣で寝ていた曹瑛が突然起き上がる。榊も驚いて反射的に身を起こそうとした瞬間、曹瑛の腕が首筋を狙って伸びてきた。

「うおっ、何しやがる」

 半分寝ぼけ眼だった榊は瞬時に目が覚めた。曹瑛の手を辛うじて防ぐ。曹瑛は暗い瞳で榊を睨み付ける。暗殺者だったときに身についた防衛本能なのだろう、眠っているときに近くで気配がすれば、相手を絞め落とすために頸動脈を狙うのだ。以前、伊織に聞いたことがある。眠っている曹瑛を起こそうとして片手で首を締め上げられ、あわや窒息しかけたと。


「貴様が不用意に動くからだ」

 曹瑛は不満げな顔で眠そうに前髪をかき上げる。

「寝返りぐらい誰でもするだろう」

 榊も言い返す。

「気が散る。動くな、大人しく寝ていろ」

「無茶を言うな、多少の寝返りは反射的にするものだ」

 榊と曹瑛は睨み合う。曹瑛が榊から目を逸らした。身体から瞬時に殺気が立ち上る。その只ならぬ様子に、榊も周囲を警戒する。


「侵入者がいる」

 曹瑛は声を押し殺して囁く。榊も暗闇に意識を集中する。この洋館はかなり築年数が経過している。廊下を歩けば床が軋んでいた。今、耳を澄ませば階段を上がってくる足音が聞こえる。

「プロだ、足音を消している」

 それでも曹瑛は敏感に音を察知した。元プロの暗殺者の勘は全く鈍っていないようだ。曹瑛は枕の下に手を伸ばし赤い柄巻の軍用ナイフ、バヨネットを取り出した。

 高谷や伊織が心配だ。彼らは戦う術がない。榊は唇を引き結ぶ。曹瑛も同じことを考えているようだ。早急に相手の正体と人数を把握したい。


 足音は階段を上りきり、だんだん近付いてくる。曹瑛と榊はドアに意識を集中させていた。板張りの廊下が大きく軋みを上げた瞬間、窓ガラスが派手に割れる音がした。ガラスの破片とともに、風花が舞い込んだ。

「しまった、窓からか」

 曹瑛と榊はベッドから飛び降り、身構える。窓から入ってきた人影は一人、白いコートを着た屈強な男だ。襲いかかろうとする曹瑛の頭上を掠めるようにアサルトライフルを連射した。銃弾が壁にめり込み、硝煙の匂いが部屋に立ちこめる。曹瑛は踏みとどまり、相手の顔を見据える。


「お前ら動くな。手にした武器を床に投げろ」

 曹瑛は相手から目を逸らさず、バヨネットを床に投げ出した。隣の部屋でも高谷が文句を言う声が聞こえてくる。別の奴らに掴まったのだろう。

「そうだ、お前ら二人がかりで俺をどうにかできるかもしれない。だが、他のお友達はどうかな」

 男は曹瑛と榊が武闘派であることをその目つきから見抜いていた。普通の人間なら、銃を目にして恐れ戦くところ、落ち着き払っている。

「さあ、腕を頭の後ろで組め」

 男はアサルトライフルの銃身を突き出し、部屋を出るよう促す。曹瑛は頭の後ろで手を組みながら、小さく舌打ちをした。


 大階段を降りて、玄関ホールの壁を背にして高谷とライアンが立たされていた。どうやら怪我はないようだ。曹瑛と榊もふて腐れながら壁を背にして立つ。

「失礼するよ、あんたたち悪さしそうだからね」

 愛嬌のある黒髪の男が結束バンドで後ろに回させた両手を縛っていく。

「おお、いい目だ。怖い怖い」

 榊は男の顔を鋭い眼光で見据える。男はおどけた様子で榊の肩をポンと叩いた。

「アイザック、遊んでる時間は無いぞ」

「分かっているよ、ニコライ」

 黒髪にモスグリーンのミリタリージャケットの男がアイザック、茶髪に白いジャケットがニコライと呼ばれていた。


「さて、お前たちの仲間はもう一人いるはずだが」

 ソファに座る金髪にグレーのコートの男が葉巻に火を点けながら尋ねる。伊織だ、伊織がいない。シングルルームで寝ていたはずだ。上手く逃げおおせたのだろうか。

「シングルルームに人がいた痕跡があった、どこかへ隠れたのか」

 ニコライが一人一人の顔を覗き込む。

「出てこなければ一人ずつ殺すという脅しもできるが、それは時間の無駄だ。この状況では何もできないのだからな」

 ニコライは不敵な笑みを浮かべる。


「さて、宝石を返してもらおうか」

 アイザックがナイフを弄びながら切っ先をライアンに向ける。ライアンは怯えることなく冷たい瞳で見つめている。

「お前だ。隠し場所まで案内しろ、嘘をついたら容赦無く撃つ」

 一番非力そうな高谷がニコライに引っ張り出された。榊は思わず唇を歪めた。高谷はニコライを睨み付ける。ニコライはその顔を見て、面白そうに笑う。

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