第2話

 カフェスペースの営業時間終了を見計らって、伊織と郭皓淳は烏鵲堂を訪れた。郭皓淳の顔を見た曹瑛はあからさまに不機嫌になる。未だに針で攻撃されたことを根に持っているようだ。

「天宇さんの誕生日のお祝いを烏鵲堂でやりたいと思って、どうかな」

 差入れに伊織が買ってきた亀仙堂のどら焼きを頬張りながら、曹瑛は何やら考えを巡らせている。


「いいだろう。あいつのことは嫌いだが、弟は見どころがある」

 どこまでも偉そうな曹瑛に伊織は半ば呆れているが、郭皓淳はヘラヘラ嬉しそうに笑っている。

 弟の郭天宇は烏鵲堂にほど近いマッサージ店“蓮花”で施術師をしており、ときどき烏鵲堂にも中国茶を飲みに来るらしい。陽気な郭皓淳と違い、天宇は大人しい子だ。曹瑛も彼の誕生日を祝うことについてはやぶさかではないようだった。

「良かった。料理は何がいいかな、俺も手伝うよ」

 曹瑛がへそを曲げること無く上手く話がまとまり、伊織はホッと安堵した。


 烏鵲堂1階の書店に帽子を目深に被った男が入って来た。すでに日が暮れたというのに色の濃いサングラスを掛け、人相を隠したいようだ。男は中国書籍の並ぶ本棚を珍しそうに眺めながら何かを探している。レジにいる若い店員を見つけると、躊躇いがちに近づいていく。

「久しぶりだな、結紀」

 レジで店番をしていた高谷結紀は聞き覚えのある声に顔を上げる。目の前に立つ男は帽子とサングラスを取った。

わたるか、ウソだろ。久しぶりだな」

 高谷は懐かしい顔に思わず立ち上がった。


 加賀見かがみ 渉は高谷の高校時代の同級生だった。極道の家の子というレッテルを貼られ、冷めた目で世間を眺めるどこか大人びた雰囲気の高谷は同年代に馴染めず、友人が少なかった。渉はそんな高谷の数少ない友人の一人で、音楽で成功したいという夢と情熱を持っていた。

 真逆のように思えた二人だが、妙にウマが合ってお互いの気持ちを素直に話すことができた。渉は高谷がマイノリティだと知っている。それでも高谷を忌避することは無かった。


 高校を卒業して生活圏が変わり、いつの間にか連絡が途絶えていた。今年の春先にネットのCMで聞いた曲で、渉がミュージシャンとして成功したことを知った。それは高校3年生のとき、聞かせてもらった印象的なメロディーだった。

 渉がインディーズからメジャーデビューを果たした人気上昇中のロックバンド「サイコセラピー」のボーカルを務めていることをそのとき初めて知った。


 バンドのフロントマンで立つだけあって、渉は整った顔立ちをしていた。二重まぶたに切れ上がったまなじり、シニカルな笑みを浮かべる形の良い唇。シャツの上からでも分かる均整の取れた肉体、そして上背もある。

 若い女性ファンが多いが、そのストイックな姿勢と歌唱力は男性も魅了する。


「最近活躍してるらしいじゃないか。あの曲、街を歩いてもよく耳にするよ」

「覚えていてくれたのか、嬉しいよ」

 渉は薄く微笑む。どこか影を落としたその表情に、高谷は気が付いた。

「何か悩みでもあるのか」

 高谷が渉の顔を覗き込む。渉は自嘲した。

「やっぱり、結紀には隠せないな。お前がこの店にいるとツレから聞いて、久々に顔を見たくなった。それだけで帰ろうと思ったんだけど」


「他人行儀なこと言うなよ。相談に乗る」

 ちょっと待って、と高谷は書店の売上げをまとめて2階へ駆け上がる。しばらくして、呼ぶ声が聞こえた。

「曹瑛さんがお茶を出してくれるって、来いよ」

 階段の上から高谷が手招きをする。階段を上がった先はカフェスペースになっていた。品の良い中華風のデザインで統一された落ち着いた雰囲気のカフェだ。営業は終了しているようだが、窓際のテーブルに大学生くらいの若者と派手な柄シャツの口髭を生やした胡散臭い男が座っている。


「俺の高校時代の同級生なんですよ」

 高谷は渉に席を勧めた。

「こんばんは」「よう、帅哥(イケメン)」

 伊織と郭皓淳が渉に挨拶をする。

「こ、こんばんは」

 2人の共通点がよくわからない。やや困惑しながら渉は席についた。爽やかなお茶の香りが漂ってきた。シックな黒い長袍に身を包んだ長身の男がグラスに淹れたお茶をテーブルに置く。

「西湖龍井だ」


 渉が目を見開いて曹瑛を見つめている。曹瑛はそれに気づき、目を逸らさずまっすぐ見つめ返す。

「あ、す、すみません」

 我に返った渉が慌てて目を逸らした。

「あまりに綺麗で、その、モデルか何かされているのかと」

 照れ隠しで頭をかく。高谷はそれを見ておかしくなって笑う。


「曹瑛さん、ここの店長さんだよ。モデル顔負けだろ」

 高谷が頬杖をつきながら自慢げに笑う。渉はひたすら恐縮する。やり場の無い目線をグラスに向けると、黄緑色の茶葉が澄んだお湯にふわりと浮かんでいる。緑茶の馥郁とした香りが鼻をくすぐる。見たことのない美しいお茶だ。


 グラスを手にして口に含めば、爽やかな風味が鼻に抜けた。その後に甘みが口の中に広がり、緊張が解ける気がした。

「美味しい、こんなの初めて飲んだ」

 渉は目を見開いて感動している。喜ぶ渉を見て、高谷も嬉しくなった。この感情の豊かさがアーティストに向いていると思う。


 階段を上ってくる足音が聞こえてきた。顔を見せたのは榊だ。

「結紀、帰りに飲みに行くか」

 スーツの上着をハンガーに掛け、伊織の隣に座る。長い前髪を軽くかき上げて足を組んだ。曹瑛が無言で西湖龍井を淹れたグラスを置く。ここにいる男たちは高谷の友人で、店の常連なのだと渉は察した。


「結紀、あの人もしかして」

 渉が小声で高谷に耳打ちする。

「俺の兄さんだよ」

「えっ・・・ヤクザかと思った」

 眼鏡の奥に光る鋭い眼差しはカタギとは思えなかった。渉は思わず榊をまじまじと見つめる。整った、精悍な顔立ちだ。


「聞こえてるぞ、小僧」

 榊が目を細める。その迫力に渉は思わず肩を竦める。

「榊さん、俺の友達なんだよ」

「どこかで見たことがあるな」

 首を傾げる榊に、高谷は渉がバンドをやっていることを教えた。


「話聞くよ」

「俺たちのバンドはファーストシングル“Love Bites”が売れて、メジャーで初めて大きなハコでライブができることになったんだ」

 高谷に言われて、渉は遠慮がちに話し始めた。池袋サンシャインホールという3,000人が収容できる会場だ。これまでのライブハウスでは500人で満員だった。

 前売りチケットはほぼ完売、初めての大きなホールでのライブにメンバーとも喜び合って準備を進めていた。しかし、突然ホール側が使用許可の取り消しを伝えてきたという。


「そんな話ってある」

 高谷が憤慨する。

「ホールの都合で利用を停止することが契約書に書かれていれば、保証も難しいだろうな」

 榊の言葉に、渉は頷いた。

「そうなんです、理由は“サイコセラピー”のライブへの脅迫があったということでした。俺は館長に直々に確認を取りに行きました。具体的な内容も知らされず、ライブを開催することは危険だからと一方的に断られて」

 渉の表情にはやりきれない悔しさが滲んでいる。握りしめた拳は怒りに震えている。


「他の会場を探せないのかな」

 伊織は前職の広告代理店で営業をしていたとき、決定していたイベント会場が急遽キャンセルになったことがあった。そのときは都内の別会場を当たって事なきを得た。

「同じ程度のハコを探してもらっているんですが、時期がギリギリで難しいんです。おかしなことに、サンシャインホールのライブ予定日にはすでにイベントが入っていました」

 高谷がタブレットでサンシャインホールのイベント情報を調べる。


「ヘルスケアセミナー奇跡の漢方“康帝”だって、怪しい」

 高谷のタブレットを伊織と郭皓淳が覗き込む。見覚えのある達筆なロゴ、金色を多用した派手なデザイン。伊織はポケットにくしゃくしゃに突っ込んでいたチラシを取り出す。あの怪しげな健康食品のセミナー会場で配られていたものだ。

 伊織と郭皓淳は顔を見合わせた。


「俺たちはあるレコード会社からメジャーデビューの誘いを受けていたんですが、そこは背後にヤクザが絡んでいるという噂だった。誘いを断ってそこよりも規模の小さな会社からメジャーデビューを果たしたんです」

 ユニオンミュージックという会社は話を断ったことに恨みを抱いており、ことあるごとに嫌がらせをしてくるのだという。このままではバンドのメンバーも疲弊して、活動を続けるのが難しいだろう、と渉は項垂れた。


「この“康帝”っていう健康食品、すごく怪しいよ」

 伊織は郭皓淳と行ったセミナー会場でとんでもない目に遭ったことを話した。曹瑛が鼻を鳴らして笑う。

「この男といると好き勝手振り回されるぞ」

 曹瑛が郭皓淳を一瞥する。好き勝手に人を振り回すのは瑛さんもだよ、と伊織は思ったが黙っておくことにした。

「人聞きが悪いな、俺は人助けをしたんだよ」

 郭皓淳はあひる口を突き出して文句を言っている。


「ユニオンミュージックか、裏にいる組織を調べておこう」

「ありがとう、榊さん」

 元極道の榊にはツテがあるらしい。

「行くぞ、結紀」

 榊はスーツの上着を羽織り、階段を降りていく。これから新宿のバーGOLD-HEARTへ向かうということだった。

「じゃあ、また連絡するよ」

 高谷が手を振って榊について行く。置いてけぼりを食った渉はポカンとした表情でその背を見送った。


「兄ちゃん、任せとけ。そのインチキ健康食品の会社に一泡吹かせてやる」

 郭皓淳が楽しそうにヘラヘラ笑いながら渉の肩をバシバシと叩く。

「あ、ありがとうございます」

 初対面なのに、この馴れ馴れしさ。渉は郭皓淳に完全に気圧されている。それに健康食品って一体何なんだ。自分を置き去りにした高谷を恨みたくなっていた。


「この健康食品の会社と、レコード会社。何か繋がるかもしれない」

 曹瑛が鼻息を荒げる伊織の手からチラシを取り上げる。チラシの文句に目を走らせ、確かにインチキだな、と呟いて良からぬ笑みを浮かべた。

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