第21話 怒りの毒龍
毒龍はキメラを繰り出し、曹瑛がそれを弾く。甲高い金属のぶつかる音が鳴る。毒龍の動きは俊敏で、急所を狙う的確な攻撃は恐ろしいものがある。一見、毒龍が押しているように見えた。
「毒龍は意識的に急所を狙ってくる。だから見切りやすい」
深刻な表情で戦いを見守る伊織の横で、冷静に観察していた獅子堂がぼそりと呟く。伊織はハッと顔を上げた。
毒龍の攻撃は激しさを増すが、落ち着いて観察すれば曹瑛はそれを軽妙にあしらっている。曹瑛のバヨネットが毒龍の上腕を切り裂いた。臙脂色の長袍が流れ出す血で深紅に染まる。
「ぐ・・・」
毒龍は痛みに顔を歪める。しかし、すぐにキメラを構え、曹瑛の間合いに飛び込む。至近距離での打ち合いは、どちらかが気を抜けば致命傷になる。毒龍のキメラが大きく弾き飛ばされた。その隙に曹瑛が毒龍の鳩尾に拳を叩き込む。怯む毒龍の首筋にバヨネットを突きつけた。
「瑛さんの勝ちだ」
伊織は思わずガッツポーズをする。しかし、場の緊張感は少しも緩んでいない。
「甘いな、紅き虎よ。伝説に聞いた男なら、何の躊躇いもなく俺を殺したはずだが」
鋭い刃を突きつけられても毒龍は余裕の笑みを浮かべたままだ。曹瑛は唇の端を戦慄かせている。その一瞬の迷いをついて毒龍がキメラを水平に薙いだ。曹瑛の胸元が切り裂かれ、白い肌に紅い筋が走る。
毒龍はバックステップで曹瑛から距離を取った。
「お前はとんだ腑抜けだ」
毒龍は哄笑する。曹瑛は毒龍に向かって走りだそうとして、踏みとどまった。足元が覚束ない。手元のバヨネットを見つめると焦点が合わないことに気が付いた。
「瑛さんの様子がおかしい」
伊織が曹瑛を凝視する。曹瑛は動きを止めたまま、立っているのがやっとの様子だ。
「毒か、名前と同じで芸が無い奴や」
劉玲が憮然として吐き捨てるように言う。毒と聞いて、伊織は青ざめる。
毒龍は余裕を取り戻し、曹瑛に歩み寄っていく。
「まさか、卑怯とは言わないだろう。死んだ奴が間抜け、ただそれだけよ」
曹瑛は痺れる手でバヨネットを握りしめ、水平に薙ぐ。その動きは、先程とは比べものにならないほど緩慢だ。毒龍はそれを易々と避け、曹瑛の鳩尾に拳を打ち込んだ。曹瑛は低く呻き、それでも何とか踏みとどまる。額からは脂汗が流れている。
「動けまい。植物性の神経毒だ。安心しろ、即効性だが効果はそのうち切れる。それまで生きていられたら、の話だがな」
毒龍は曹瑛を見下ろしながら、下卑た笑みを浮かべている。
曹瑛がバヨネットで攻撃を繰り出すが、視力も奪われているためか空振りを続けている。毒龍は追いかけっこをするように面白がってその動きを追っていたが、曹瑛の死角に回り込み、蹴りを食らわせる。
「うぐっ」
曹瑛が呻く。足の感覚も不安定らしく、よろめきそうになるが気力で踏みとどまっている。続けて毒龍は背後から肘鉄を落とす。さすがの曹瑛もコンクリートの床に片膝をついた。毒龍が曹瑛の顔面に向けて蹴りを飛ばす。曹瑛がぎりぎりでそれを避け、バヨネットを大きく振る。毒龍は驚いた様子で間合いを取る。
「まだそんな気力が残っているのか、往生際の悪い男だ」
毒龍は戯けてみせる。曹瑛は顔を上げ、毒龍を真っ直ぐに睨み付ける。その瞳に映る燃えるような怒りの色に、毒龍は一瞬怯んだ。しかし、キメラを弄びながら再び曹瑛に近づいていく。
「フフ、悔しいか。紅い虎を倒したとなれば俺も伝説になれる」
毒龍はキメラを振り上げる。黒い刀身が曹瑛の首筋を狙っている。曹瑛はゆるゆるとバヨネットを持つ手を動かそうとする。しかし、そのスピードではとても防ぐことはできないだろう。
さすがの曹瑛もここまでか、タイマン勝負に手出しは無用とじっと耐えていた郭皓淳が胸元に手を入れ、針を取り出し構える。劉玲も同時にスローイングナイフを手にしている。ライアンも撃鉄に指をかける。3人が毒龍に狙いをつけたその瞬間。
「ま、待てっ」
伊織が毒龍の前に飛び出した。声は震え、顔には脂汗がたらたらと流れ落ちている。しかし、瞳は真っ直ぐに毒龍を睨み付け、拳は感覚が無くなるほど強く握りしめていた。
「なんだお前」
毒龍が目の前の伊織を見て首を傾げる。どう見ても無力な一般人にしか見えない。曹瑛が伊織の姿を認め、小さく舌打ちをした。毒龍に交渉など通じるわけがない。何をするつもりなのか。身体を自由に動かせない苦痛に唇を歪め、伊織を見据えている。
「ここからは俺が相手だ」
伊織の強い語調に、劉玲はじめ全員が目を丸くする。曹瑛は眉間に皺を寄せながら首を振る。
「やめておけ伊織、お前が手に負える相手じゃない」
曹瑛は苦しげに声を振り絞り、伊織を睨み付ける。その鋭い眼光に伊織は怯まず応えた。そして毒龍を見上げる。
「いいだろう」
毒龍は鼻で笑い、伊織を振り返る。そして間髪入れず、キメラを振り下ろした。千弥は小さく叫んで思わず目を背ける。
ガン、と鈍い金属音が作業所内に響き渡る。
「き、貴様」
毒龍が顔を歪めている。振り下ろしたキメラは伊織の持つ丸い形状の金属の板で押し留められている。伊織は精一杯それを握りしめ、キメラを押し返した。
「や、やるな伊織くん」
伊織を助けるため、スローイングナイフを投げる寸前だった劉玲が驚きの声をあげる。同時に皆から大きなため息が漏れた。
「フン、それがお前の武器か」
毒龍はナイフを構え直す。
「こ、これは調理器具だ」
伊織が馬鹿真面目に答える。曹瑛が思わず吹き出した。伊織に与えておいたフライパンだ。郭皓淳のコテージに備え付けの昭和レトロな厚みのある鉄のパンだった。
「ふざけるな」
激昂した毒龍がキメラを振り上げる。伊織はひゃっと叫んでコンクリートの床に転がった。そのままスムーズな動きで立ち上がり、毒龍を尻目に一目散に逃げ出した。
「こ、このガキ、ふざけてんのか。妙な柄シャツを着やがって、よく見たらそれフライパンじゃねえか」
毒龍が叫びながら伊織を追う。
「このシャツは、俺の趣味じゃないんです」
伊織は叫びながら逃げる。意外と足が速い。
「伊織くん、足早いなあ」
劉玲が間延びした関西弁で呟く。榊は笑いを堪えている。曹瑛は頭を抱えてため息をついた。しかし、伊織のピンチには違いない。毒龍は一般人だろうが殺すことに躊躇いはないだろう。
伊織は大型機械の間に逃げ込んだ。毒龍が伊織を追って機械の間に走り込めば、伊織が壁を背に立っている。追い詰めたとばかりに毒龍が伊織に掴みかかろうとする。
「うわあああ南無三」
伊織は毒龍を大回りに避け、また走り出した。毒龍が伊織の思わぬ動きに気を取られる。伊織の手にはロープが握られていた。
「妈的(ちくしょう)」
毒龍が叫ぶ。目の前にロープに引かれた金属製の棚がゆっくりと倒れてきた。大きな破壊音がして、埃が舞う。
「あっ、やりすぎたかな・・・」
伊織は慌てて逃げる足を止めた。闇の中で、棚を支えて立つ毒龍がこちらを殺気だった目で睨んでいる。
「うわ、全然大丈夫だよ。頑丈な人だな」
伊織は怯えながら肩を竦める。
「貴様、只では済まさん」
怒りに燃える毒龍が伊織に向かって走ってくる。伊織は恐怖に慌てふためき、ドラム缶の影に隠れる。恐ろしい形相の毒龍が近づいてくる。ドラム缶は空のようだ。咄嗟の機転でドラム缶を横に倒し、毒龍に向けて転がす。ひとつ、ふたつ、みっつ。
「この柄シャツ野郎、ふざけるのはそのシャツだけにしろ」
毒龍の怒号が響く。毒龍は転がってくるドラム缶を地味に蹴り返している。かなり苛立ちが募っているようだ。それまで余裕の笑みを浮かべていた顔には、いくつもの血管が浮かんでいる。
「俺の名前は柄シャツじゃない」
伊織は大声で否定しながら最後のドラム缶を転がし、走り出した。
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