第5話 天楯城資料館
芽吹き始めた若葉の隙間から木漏れ日が降り注ぐ。森の匂いを含んだ爽やかな風が吹き抜けるウッドデッキは日常を忘れさせてくれる。ナラの木の一枚板の広いテーブルに注文した料理が次々に並ぶ。
サラダは地元の農園から直送した新鮮な野菜が使われていた。じゃがいもやにんじん、豆の入ったコンソメスープに、焼きたてパン、それぞれに注文したメインの手作りカレーにミートソースのパスタ、チキンのグリル、マルゲリータ。テーブルが一気に手狭になってしまった。
手作りカレーは店のイチ押しで、じっくり煮込んだ挽肉たっぷりのカレールーにサフランライス、福神漬けも手作りというこわだりだ。
「うん、すごくコクがあって美味しい」
一口食べた伊織は目を丸くする。スパイシーな香辛料と肉の旨味が口に広がる。サフランライスの風味がそれをさらに引き立てている。
「おお、美味いな。これは正解や」
劉玲も満足そうに顔を綻ばせている。曹瑛も迷った末にカレーにしたが、良い選択だったとご満悦だ。
「これからどうする」
食後のコーヒーを飲みながら榊が訊ねる。自家焙煎とあって、豊かな風味とすっきりした後味が良い。
「この先にある天城山山頂にある城跡が目的地や。今はもう石垣しか残ってない廃墟になってる」
高谷がタブレットで天城山の地図を確認する。
「天楯城址、これかな。観光地みたいだけど」
画面には戦国時代の櫓や石垣を復元したテーマパークのような写真が表示されている。
「なんだか張りぼてみたいだね」
伊織も画面を覗き込む。長野県観光案内のサイトで入場料300円と書かれていた。
「いや、そっちやない。天城山には本物の城跡があるんや。その写真の場所は伊織くんの言う通り、観光用の張りぼてや」
劉玲はそれなりに下調べをしてきたらしい。そう言えば、この間からの宝探しツアーで日本の史跡に興味を持ったと話していたのを伊織は思い出した。
「城跡に宝があるとして、手がかりはあるのか」
「それを現地で探すんや」
劉玲が胸を張って堂々と答える。ライアンは一瞬ぽかんとしたが、プッと吹き出した。
「面白い、ロマンがある」
「せやろ」
劉玲は豪快に笑っている。人を楽しませる不思議な魅力のある男だ、とライアンは思う。
デザートに注文した“森のアップルパイ”が運ばれてきた。外はサクサク、中はしっとり肉厚、濃厚なバニラアイスも添えてある。信州産のりんご紅玉をふんだんに使っており、自然な甘みが口に広がる。
「シナモンの風味がいい。とても上品な味だ」
ダイエット中のライアンは迷っていたが、高谷の勧めで注文を決めた。
「旅先では美味しいもの食べなきゃ」
「君の意見を聞いて正解だったよ、結紀」
ライアンはアールグレイの香りを優雅に楽しみながら微笑む。
「天城山の麓に天楯城址の資料館があるみたいだ」
高谷が劉玲にタブレット画面を見せる。入館料200円とあるので規模は知れているが、地元の歴史を知るには使える。
「面白そうや、行ってみよ」
それぞれ車に乗り込み、天城山を目指す。軽井沢の観光エリアから10キロも離れると、風景はどんどん田舎になっていく。農村地帯では菜の花があちこちに咲いて鮮やかな黄色い絨毯のようだ。
「春だね」
窓から吹き込む温かい風を受けて伊織が呟く。
「そうだな、中国でも辺り一面に菜の花が咲く」
曹瑛ものどかな農村風景を眺めながら、遠い故郷を思い出しているのかもしれない。今、彼の心にある故郷が春の鮮やかな色をしていることに、伊織は嬉しくなった。
国道から逸れて県道を進む。手書きの看板が忘れた頃にぽつぽつと登場し、天楯城址への道を示している。観光客がこぞってくるような場所ではなさそうだ。離合がすれすれの細い道だが、対向車は全く来ない。
山の麓に平屋造りの建物が見えてきた。5台分が停められる駐車場がある。車を停め、建物の正面に立った。看板には“天楯城資料館”と立派な筆文字で書かれた木の看板が掛かっている。
「ここが資料館か」
孫景が入り口を確認するが、どうやら鍵がかかっている。
「営業時間は・・・書いてないわね」
千弥が建物の周辺を見回して肩を竦める。枯れ葉の積もった駐車場に、電源が通っていない朽ちた自動販売機、建物にも蔦がびっしりと絡みついている。
「もう誰も管理していないのかも」
そう言いながら伊織がくすんだガラスに張られたはげかけた張り紙をめくってみる。そこにはマジックで固定電話の番号が書いてあった。
「ここの管理人の番号かもしれないな」
曹瑛によれば、中国ではこのような資料館は近所の人が鍵を管理しており、運良く管理人に出会えたら開けてもらえる仕組みだという。
「電話してるよ」
伊織がスマホでコールするが、電話は鳴りっぱなしで、留守番電話にも切り替わらない。
「ダメかあ」
30コール以上して、伊織は諦めて電話を切った。
「この資料館、気になるな。俺は管理人を探しに行こうと思う」
劉玲は資料館にヒントがあるのではないかと考えているようだ。総勢で押しかけるわけにはいかないので、孫景と千弥、伊織と曹瑛はこの先を車で進み、城跡を下見することにした。劉玲にライアン、榊と高谷はBMWで付近の家を当たってみることにする。
ベンツで山道を登っていく。コンクリートで舗装された山道は、車一台がやっと通れる広さだ。比較的新しく作られた看板に“天楯城址”と書いてある。
「そっちはテーマパークの方ね」
別れ道が山頂に向かって伸びているが、徒歩で向かう方が良さそうだ。テーマパークの駐車場に車を停めることにした。無駄に広い駐車場には、赤いミニバンとシルバーの軽四が停まっていた。そして、もう一台は黒のアルファードだ。
「さっきの奴らだ」
ナンバーを確認した孫景の言葉に、伊織の表情が曇る。あの輩たちにまた会うことになるとは。
ベンツを駐車場に置き、山道を徒歩で登っていく。舗装は無くなり、いよいよ獣道になっていく。鬱蒼とした雑木林の中に細い道が続く。
「誰か通った跡だな」
曹瑛が立ち止まり、地面を観察している。地面を覆う落ち葉は踏み割られて、泥濘には靴跡が残っている。
「それもついさっき、5,6人か。引き返した跡はない。この先に誰かいるな」
孫景の言葉に、千弥が不安そうな顔を向ける。
「大丈夫だ、俺がついている」
「孫さんがやりすぎないか、心配なのよね」
孫景の目が宙を泳いだ。それは伊織も同じ気持ちだった。
獣道が開けた先に古い石垣が続く丘が現れた。木の柵が朽ちて地面に倒れている。苔むした石のモニュメントに天楯城址と刻まれていた。こちらが本物の遺跡なのだ。
「ああ、めんどくせえな。本当にこんなところにお宝が埋っているのかよ」
「どうやって掘り返すんだ」
男たちの声が聞こえてきた。総勢6人、パーキングで騒ぎを起こした輩に違いない。輩も宝を狙っているようだ。
「しかし、さっきの奴ら、マジ腹立つ」
「信じられねえよ。あんなに爆竹投げ込むかフツー」
話題がレストランでの爆竹祭りになっている。
「でも、黒塗りのベンツだぜ。ちょっとヤバくねえか」
色白な太鼓腹の男が怖々呟く。その頭をソフトモヒカンがひっぱたく。
「アホか、ベンツがみんなヤクザなもんかよ。あいつらのカッコ見ただろ、図体と態度はでかいが一般市民じゃねえか」
「見つけ出して仕返ししねえと気が済まねえな」
プリン金髪が吸いかけのタバコを石垣で揉み消した。
「美人な女も一緒だったな、掠っちまうか」
男たちは下品な話題で盛り上がり、ゲラゲラ笑い合う。
雑木林の影に身を潜めて様子を伺っていた孫景の額には血管が浮かび上がっている。千弥を侮辱されて、怒りに震えていた。いつも涼やかな目をした孫景がこれほどまでに怒るとは、鳥肌が立つほどの孫景の怒りのオーラに、伊織は思わず息を飲む。
「孫さん、落ち着いて」
心配そうに声をかける千弥に、孫景は穏やかな笑みを浮かべた。
「お前たちはここに隠れていろ、大事な友人を侮辱されて黙っていられねえ」
友人という響きに、千弥は微かに目を細め、形の良い唇を小さく噛んだ。孫景はそれに気が付いていない。曹瑛に頼むと言い残し、輩のたむろする方へ大股で歩き出す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます