贋作ギャラリーを暴け

第1話

 上海発中国東方航空の到着アナウンスが流れ、羽田空港の国際線ロビーはにわかに騒々しくなる。ビジネスクラスに搭乗していたライアン・ハンターは中国人観光客の喧噪に巻き込まれることなく一足先にスーツケースを受け取り、出口へ向かった。


 国にはそれぞれ独自の匂いがある。上海では独特の香辛料の香りが鼻についたが、日本は醤油の香りが特徴的だ。飲食フロアのうどん店から漂う醤油と出汁の香りは日本にやってきた、と思える瞬間だった。

 ライアンの心は弾んでいた。上海でのハンターファミリーのビジネスを手際よくまとめあげ、忙しい時間を割いても帰途に立ち寄る日本。ここには愛する英臣が住んでいる。


 出口にはグローバルフォース社日本法人の役員2名が出迎えに来ていた。黒縁眼鏡の真面目そうな男性と、髪をまとめ上げたライトグレーのパンツスーツの女性がライアンに手を振る。2人は40代前半のやり手だ。

 上品なグレージュのスーツを着こなし、美しいブロンドを整えた長身のライアンを見つけ、役員たちが駆け寄ってくる。

「ミスターハンター、ようこそ」

 本社のCEOが日本にやってくるというので、若手役員は緊張しているようだ。ライアンは温和な笑みを浮かべ、ありがとうと流暢な日本語で礼を言う。


 運転手つきのレクサスで都心へ向かう。今から日本オフィスの視察と、取締役とのランチョンミーティングのアポイントがある。日本に行くなら、とNYオフィスの秘書に無理矢理組まれた気の進まない予定だった。

 今回の来日の一番の目的は、榊の経営する画廊の訪問だった。地元NYで活躍する若手画家の作品展を考えており、視察と打ち合わせをしたい。作品展の企画は社の業務に関わることではなく、ライアンの趣味の延長だった。才能に溢れ、意欲ある若手芸術家の活動を後押しすることは有益と考えていた。


 日本オフィスでは企画室にいる千弥にも会った。企画室のメンバーは突然のCEOの訪問に驚いていた。千弥にはまたプライベートで飲みに行こう、と声をかけておいた。

 今日の表向きの仕事を終え、銀座へ向かう。銀座は古くから画廊が多く集まる場所で、アートスポットとしても有名と聞く。

 榊がオーナーを務める画廊“アートギャラリーすばる”は銀座すずらん通りに面した5階建てビルの地下1階から2階までを展示スペースにしている。榊が極道時代に倒産整理で手に入れた老舗の画廊をリノベーションしたという。


 ライアンは中央通りで黒のレクサスを降り、銀座の街を歩く。高級ブティックや宝飾店が並ぶ通りを抜け、すずらん通りに入る。華やかな大通りから1本離れるとずいぶん落ち着いた印象に変わる。

“アートギャラリーすばる”は角地にあり、すぐに見つけることができた。1階はガラス張りの明るく開放的な雰囲気で、一人でも気軽に立ち寄りやすい。現在は日本画の巨匠、月野秋比古の個展を開催していた。


 すばるの扉をくぐると、白髭を蓄えた老人が声をかけてきた。ここの管理人のようだ。

「日本画に興味があるのかね、ゆっくり見ていってくれ」

 愛想の良い老人にライアンは会釈をした。平日だが、客の入りは良さそうだ。

 月野の絵は自然の風景に深い精神性を織り交ぜて描くダイナミックな画風が特徴だ。晩成の画家で、現在は寺院のふすま絵や城の障壁画も手がけている。海外でも人気が出始めており、美術館での特別展には行列ができるほどだ。

 その作品がこんなにも間近に見られるとは、ライアンは思わず感嘆のため息を漏らす。幽玄の霧に浮かぶ山城の絵は静謐な空気の中に吸い込まれそうな錯覚に陥る。オフィスに一枚飾っても良い。


「よう、ライアン来ていたのか」

 榊が階段を降りてきた。ライアンは久しぶりに会う愛しい男の姿に目を細める。榊はシャドウストライプのスーツにグレーのシャツ、紺色のタイを締めている。

「ああ、英臣、君に会えるのを楽しみにしていたよ」

 その後ろから茶色のハーフコートに黒いパンツ姿の伊織が降りてくる。

「こんにちは、ライアン」

「伊織も一緒か、久しぶりだね」

 榊にハグを断られたライアンは伊織と握手を交わす。


「月野秋比古の絵がこんなにたくさん見られるなんてすごいね」

 伊織は周囲を見回してひたすら感動している。月野秋比古は中国の山河の風景画も多く、中国人にも人気の高い画家だ。伊織は自身が制作に関わる中国と日本の橋渡しがテーマの文化交流雑誌の取材で訪れていた。

「ああ、おやじさんのつてで紹介してもらえてな。幸運だったよ」

 榊は入り口にいた白髭の老人、桐野に画廊の管理を任せているという。美術界に顔が利き、ここでは有名画家の個展もよく開催されるらしい。


 伊織とライアンは榊に商談スペースへ案内された。榊が女性スタッフに声をかけると、隣の喫茶店から香り立つコーヒーが運ばれてきた。

「NYで気鋭の若手画家の合同展示即売会を開きたい。ここは立地も良いし、これまでも品質の高い展示会を多数開催していて名も通っている。ぜひ検討してくれないか」

 ライアンが黒いアタッシュケースから取り出した上質紙に印刷されたサンプル画を広げる。絵の具を塗りたくった絵や奇抜なコラージュを組み合わせた絵など先進的な現代アートから写実的な風景画、人物画まで多彩なジャンルが用意されていた。

「お前の見立ては信用している。良い展示会になりそうだ」

「そう言ってもらえて嬉しいよ」


 商談は着々と進み、この秋に実現しようと大枠が決まった。不意にドアが開き、ベージュのトレンチコートを着た長身の男が入って来た。やや垂れ目の人好きのする顔に髭を生やしている。

「あれ、郭皓淳さん」

 伊織の声に郭皓淳は振り向く。笑顔を浮かべ、テーブルに歩み寄ってきた。

「伊織に、ライアン、確かあんたは榊さんか」

 郭皓淳は榊に勧められてテーブルについた。コーヒーが追加で運ばれてくる。

「ライアンとも知り合いなんだ」

 伊織が驚いている。

「ああ、この間上海で仕事をした」

 郭皓淳とライアンは頷きあう。


「榊さん、あんたがオーナーなら話が早い。ちょっと調べていることがある」

 コーヒーにミルクと砂糖をたっぷり混ぜながら郭皓淳が切り出した。

「俺は鄭州でマッサージ店をやっているんだが、そこのバイトの女の子が日本に留学した彼氏と連絡が取れなくなったと言っている」

 その彼氏は必死でお金を貯め、日本画を勉強するため2年前から日本に留学していたという。東京の専門学校に通っていたが、ある日本画専門の画廊から引き抜きの話があり、それから連絡が途絶えて3ヶ月が経つそうだ。


「日本で恋人でもできて、故郷の女を捨てたんじゃないのか」

 無情だが、良くある話だ。榊の言葉に郭皓淳は首を振る。

「俺もそう言ったが、彼はそんな人じゃないって泣かれたよ。それで手がかりを探している。俺は女の涙に弱いんだよ」

 郭皓淳は困ったように肩を竦める。

「この周辺には画廊が点在している。日本画専門の画廊となればそれなりに絞れるだろうが、当てずっぽうで行くには結構な労力がかかるだろうな」

 榊は腕組をして考えている。


「日本画専門の画廊か、気になる話がある。最近海外でも人気のある日本画の贋作が出回っているそうだ。それもなかなか品質が良いらしく、出所も掴めない」

 ライアンの言葉に郭皓淳の目が光る。裏社会の話だ、と伊織は直感した。

「有能な無名の画家を掴まえて、贋作を描かせているのかもしれないな」

 榊は郭皓淳を見る。

「それはありうる」

 郭皓淳は頷いた。


「彼がもともと通っていた専門学校は分かりますか」

 伊織が郭皓淳に尋ねる。

「そうだな、彼女に聞いてみよう」

 郭皓淳はスマホを取り出し、すぐにメッセージを打ち込んで送信した。

「もし、学校が分かればそこの学生に話が聞けるかもしれませんね」

 伊織のアイデアに全員が頷いた。

「いいね、そこを当たろう。伊織、聞き込みに付き合ってくれないか」

「わかりました、授業が終わるのは夕方かな。その頃なら何とか」

「助かるよ、俺一人じゃ怪しまれちまうからな」

 郭皓淳は笑いながら頭をかく。


「贋作で荒稼ぎしようという根性が気に入らないな、私も協力しよう」

 ライアンの言葉に榊も頷く。

「日本画専門の画廊、名前が分かれば教えてくれ。探りを入れてみよう」

「頼もしいよ、お二人さん。似合いのカップルだ。伊織、聞き込みの件はよろしくな。また連絡する」

 郭皓淳は席を立ち、颯爽と去って行った。伊織が横目で見れば、榊の時間が止まっている。


「似合いのカップルとは嬉しいね」

 頬杖をつきながらライアンが榊を見つめている。

「お前、あいつに何を吹き込んだ」

 我に返った榊が怒りに震えながら、射貫くような視線でライアンを睨み付ける。

「ああ、その目が堪らない」

 ライアンにはご褒美になってしまったようだ。ライアンを殴ろうとする榊を必死で止めながら、伊織の脳裏にはせせら笑う曹瑛の顔が思い浮かんでいた。

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