第3話

「あの、やっぱり俺、烏鵲堂に戻る」

 コインパーキングに停めた千弥のワーゲンの前で、ずっと思い悩んでいた様子の伊織がぼそりと呟いた。事情を察した高谷が伊織の顔を見つめる。

「どうしたの」

 千弥が心配そうな顔で尋ねる。伊織は俯いて言い淀んでいる。ライアンも先ほどの曹瑛と榊の様子で何か感づくところがあるようだ。

「彼らだけでお楽しみ、というのが気になるんだね」

 無駄に意味深な言い回しをするライアンを高谷が肘でつつく。


「瑛さんと榊さんなら大丈夫とは思うけど、悪者たちの巣窟に行くのやっぱり心配だ」

 伊織は店で見た半グレ集団の写真を思い出す。手段を選ばない無法者集団に囲まれたら、と不安を募らせる。

「そうだよね、俺も心配だよ」

 高谷も唇を噛む。ライアンが手がかりは、というので高谷がタブレットの画像を見せる。

「このシンボルを掲げる集団のアジトに乗り込もうということか」

 ライアンがタブレットを手に画面をスワイプする。鋲がついた革ジャンに威嚇するような頭髪、なるほどアメリカのストリートギャングのようだ。

「そう、でも居場所の手がかりが無くて」

 高谷が長い前髪を神経質にいじっている。


 重低音のエグゾーストに振り向けば、ハーレーに乗った獅子堂だ。

「どうした」

「和真はこいつらを知っているか」

 ライアンが獅子堂にタブレットを見せる。獅子堂は画面のドクロと蛇のシンボルを見て何か思い出したようだ。

「有明周辺で壁に落書きを見た」

 ライアンは口角を吊り上げて笑う。腕組をして話を聞いていた千弥は小さくため息をついた。

「それとさっき、曹瑛と榊がバイクで走り去るのを見た」

 獅子堂が有明方面を指さす。ライアンが目を輝かせている。

「仕方ないから連れていってあげる」

 どうせ、孫景もそこにいるのだろう。千弥は小さく笑った。


***


 夜の有明埠頭。

 バイクを追い、たどり着いたのはうち捨てられた廃倉庫だ。倉庫のシャッターには蛇が絡みつくドクロのシンボルが描かれている。曹瑛は倉庫脇にNinjaを停めた。

「いいバイクだな」

 榊が熱を持つ車体に触れながらしみじみ呟く。バイクは好きだ。道楽で乗りたいが、なかなか時間に余裕がない。

「足があると何かと便利だからな」

 素っ気ない口ぶりだが、曹瑛も気に入っていることが分かる。

「昨日届いた」

「お前、試運転がこれか」

 榊は呆れている。晴れた日の行楽ツーリングではなく、深夜の2人乗りにバイクアクションとは。


 蛍光灯の明かりが点滅する倉庫に足を踏み入れる。中は古いコンテナが詰まれており、中央にバイクと、ヘルスカルの2人組が立っていた。黒いヘルメットを脱げば、30代半ば、いい年をして暴走と強盗とは。

「お前ら、ナメた真似しやがって」

 布で止血をしながら歯ぐきを剥き出しにこちらを睨んでいる。

「それはこっちの台詞だぜ」

「せやで」

 榊の言葉に、背後からやってきた劉玲が同意する。孫景も一緒だ。


 不意に爆音が倉庫を揺るがす。2人の男はニヤリと笑う。正面のシャッターからバイクの波が押し寄せてきた。その数50台はありそうだ。アクセルを一斉に捻り、総勢で威嚇する。ヘルスカルの連中だろう。倉庫内に砂埃が巻き起こる。

 中央のライダースーツの男がバイクを降り立ち、片手を上げた。一気にその場が静まる。男はヘルメットを脱ぎ、こちらに真っ直ぐ歩いてくる。他の連中もその背後に続く。

「お前らか、この間から仕事の邪魔をするのは」

 男は190㎝はあろう体躯で、ライダースーツの上からも身体を鍛えているのが分かる。髪はサイドを刈上げたアップバングを明るい茶色に染め上げている。つり上がった眉の下で瞳がギラリと光る。


「お前がリーダーか」

 榊が男を睨む。曹瑛も無言で男を見つめている。

「お前ら、なかなか腕に自信があるようだな。だが、この人数には叶うまい」

 男は口を歪めて笑う。ポケットから何か取り出した。手錠だ。

「50人でフルボッコにする前にチャンスをやるよ、俺に勝てたら逃がしてやる」

 そして刃渡り30㎝はあるサバイバルナイフを取り出した。男たちの野獣のような歓声が上がる。


「本条さんのナイフ捌きに敵う奴はいねえ」

「自衛隊でならしたって話だ」

 本条が手を上げると、男たちは押し黙る。

「この手錠で逃げられねえようにする」

 本条と呼ばれる男は手錠を掲げる。手錠を繋ぐチェーン部分は50㎝ほどあるだろうか、自分の手首に片方をかけた。

「俺に切り刻まれたい奴はいるか」


 曹瑛が無言で歩み出る。榊に劉玲、孫景は後ずさった。

「面倒だが、つきあってやる」

 本条は曹瑛の手首に手錠をかけた。これで2人は手錠で繋がれた。距離が近い。ヒットアンドアウェイの足捌きも限定されるだろう。

「命知らずだな、お前。」

 本条がニヤリと笑う。曹瑛は腰から赤い柄巻のバヨネットを抜く。

「お前は身の程知らずだ、それを思い知る」

 曹瑛の目に冷酷な暗殺者の光が宿る。本条は重心を落とし、身構える。


 本条が先に踏み込んだ。再び男たちの歓声が上がる。素早いナイフ捌きを繰り出す。曹瑛は最小限のステップと上半身だけで避ける。本条は手錠のついた腕を引き、曹瑛のバランスを崩そうとする。

「本条さん、あれで何人も血祭りに上げてきたからな」

「相手が血塗れで泣き叫んでも止めねえんだよ、エグいよな」

 男たちはこちらに聞こえる声でへらへら笑っている。本条のナイフが曹瑛の腕を掠る。ライダースーツが裂けた。皮膚には到達していない。


「怖いか、そうだろう」

 本条はさらに攻撃の手を強める。曹瑛はそれをバヨネットで弾き返す。本条がだんだん押されてきた。曹瑛のナイフ捌きは本条の比ではない。

 男たちは息を呑んで押し黙る。ナイフのスピードは上がり、どこから襲い来るか予測がつかない。本条は逃げだそうと足を引いた。しかし、鎖がそれを阻む。

 曹瑛のバヨネットが鼻先を掠った。腕、胸元、足とライダースーツが切り裂かれていく。本条は気がついた。この男はプロだ。そして、いつでも自分の胸にそのナイフをやすやすと突き立てることができる。躊躇わずにだ。


「ヒッ」

 腕を切り裂かれ、血しぶきが飛んだ。曹瑛は無表情でこちらをじっと見つめている。逃げようと後ずさると、鎖を思い切り引かれてコンクリ―トの上に投げ出された。曹瑛は本条の胸を踏みつけ、喉元にバヨネットを当てる。

「最初の一撃でお前を殺すことができた」

 曹瑛の低い声に本条は目を見開く。

「た、助けてくれ」

 情けない声で命乞いをしながら手錠をいじり始めた。鍵を外し、起き上がって逃げ出す。

「なんや、口ほどにもないな」

 劉玲が呆れている。

「曹瑛を相手にナイフとは、ほとほと運の無い奴だな」

 榊が肩を竦めて笑う。


「クソ、ぶっ殺してやる」

 本条は仲間に号令をかける。チェーンやジャックナイフをもった輩が曹瑛たちを囲む。

「これでお前らは終わりだ」

 再び余裕を取り戻した本条は哄笑した。不意に、バイクのエグゾーストが響く。ライトがこちらを照らし、輩たちは目を細める。

「なんだ」

 ハーレーから男が降り立った。いかついガタイに革のジャケット、アッシュゴールドの髪を逆立ててサングラスをかけている。その背後にはダークグレーのコートを着た長身のブロンドとパンツスーツのスレンダー美女が並ぶ。


「獅子堂に、ライアン、千弥・・・てことは」

 榊がその背後を覗き込むと、伊織と高谷だ。孫景は笑顔の千弥を見て頭を抱えた。

「それだけの人数で敵うと思っているのか、やれ」

 本条が号令をかける。50人の輩が一気に押し寄せてきた。


「年末大掃除や、やったるか」

 劉玲の声に皆が構えをとる。

「ふ、こいつは掃除しがいがある、ライアンやり過ぎるなよ」

「ここは日本だ、分かっているよ英臣」

 ライアンは榊にウインクを飛ばした。

 角材やバールを持って飛びかかってくる輩を劉玲の蹴りがなぎ倒す。曹瑛はバヨネットで流れるようなナイフ捌きを見せる。榊は木刀を片手に1人1人仕留めていく。


「どうしてお前まで来たんだ」

 孫景が千弥に困った顔を向ける。

「運転手を頼まれたのよ、仕方ないでしょ」

 千弥は木刀を持つ輩に関節技を極める。千弥を狙い、2人の男が飛びかかる。孫景はその襟首を掴み、2人まとめて殴り飛ばした。


 獅子堂はボクサースタイルで鼻っ柱をへし折っていく。金属バットがライアンに襲いかかる。輩はバットを力任せに振り回す。

「私はヤンキースのファンだが、このスイングはいただけないな」

 ライアンは輩の足を蹴り飛ばす。バランスを崩し、コンクリートに転がった輩の腹につま先で蹴りを入れる。


 50人はいた仲間がどんどん床に転がっていく。7人を相手にまったく歯が立たない。慌てて逃げたした輩がバイクに乗り込み、エンジンをかけた。1人が発進すると、タイヤを結ぶチェーンに引き摺られ、5人が一気に転倒した。

「くそ、いつのまにこんな」

 見れば、顔を強張らせた男が立っている。伊織だ。シャッターの方へ走って逃げ出した。輩たちは怒号を上げながらそれを追う。振り返れば追っ手が10人に増えている。伊織は金網をよじ登り、向こう側へ降り立った。輩も金網に飛びつく。


 突然、身体に衝撃が走った。輩たちは白目を剥いてその場に倒れる。

「やったね」

 バッテリーのブースターケーブルを持った高谷がにこりと笑う。

「めちゃくちゃ怖かった」

 伊織は呼吸を整えながら大きなため息をついた。


「榊、こいつを外してくれ」

 曹瑛が手錠がかかった腕を榊に差し出す。榊は何か使えるものが無いか辺りを見回す。よく見れば、もう片方の手錠に短い針金が刺さっていた。本条はこれで解錠したのだ。

「ちょっとまて、外してやる」

 空の手錠から針金を取り出そうとしていたそのとき、角材を持った輩が殴りかかったてきた。曹瑛と榊は同時にそれを蹴り飛ばす。輩はふっとび、気絶した。

 カチャン、と軽い音がして、見れば手錠が榊の手首にかかっている。榊は顔を歪めた。

「何をやっている」

 曹瑛はため息をつく。

「仕方ないだろ、今のは」


 バイクのエンジン音が響く。本条がアクセルを吹かし、倉庫から逃げ出す。

「追うぞ」

 曹瑛が走り出す。榊はそれに引き摺られ、慌てて歩調を合わせる。Ninjaに乗り込んでみれば、曹瑛の左手と榊の右手が繋がれていた。

「お前は左ハンドルだ」

「マジか・・・」

 榊は曹瑛に掴まりながら、舌打ちをして左ハンドルを握った。白い煙を噴いてNinjaは走り出す。


「なあ、獅子堂が追えば良かったんじゃないか」

 倉庫の中はあらかたカタがついた。孫景が爆音で去りゆくNinjaの背を眺めて呟く。

「もう行ってしまったぞ」

 獅子堂は良い運動だったとばかりに首をならしている。


 本条が背後を振り向く。闇の中をライトが真っ直ぐ追ってくる。瞬きをする間で横に並ぶ勢いだ。相手は2人、妙な姿勢と思えば、2人羽織のように後部座席の男が左ハンドルを操作している。その手は手錠でつながれていた。あのアクロバティックな体勢で追いついたのか、本条は青ざめた。


「クソ。ふざけてやがって」

 本条は車体を黒のNinjaに幅寄せする。Ninjaはそれに怯まず車幅を空けた。今度はNinjaがじりじりと寄せてくる。高速で走るバイクを操作するのが必死で本条はハンドルを握り絞める。

 Ninjaが急にブレーキをかけた。横滑りし、急停車した。本条は前を見た。低いブロックの先は暗い海が広がっている。


「うわあああ」

 バイクはぶっ飛び、海にダイブした。派手な水しぶきを上げて沈んでいく。急激なブレーキに振り回された榊は咄嗟に曹瑛の腰に脚でしがみついた。榊の身体がふっ飛ばないよう曹瑛は手錠を引く。Ninjaが停止したときには、ガソリンタンクを背に曹瑛と向き合う格好になっていた。

「お前、俺を殺す気か」

 榊が叫ぶ。ヘルメットを取った曹瑛はニヤリと笑う。

「なかなか面白かった」


 背後からレクサスとワーゲン、獅子堂のハーレーが追いついてきた。

「こりゃバイクはおしゃかだな」

 海に落ちた本条に孫景が浮き輪をなげてやる。

「英臣、曹瑛、そんなに見せつけるなんて」

 ライアンがNinjaで絡み合う2人の姿に、頬を染めて目を潤ませている。高谷は卒倒しそうになり、伊織が慌てて背を支えた。

 千弥がバッグからヘアピンを取り出し、手錠の拘束を解いてやる。

「ひでぇ目に遭ったぜ」

 もうお前の後ろには乗らない、と榊は手首を撫でながら文句を言っている。


 遠くにサイレンの音が聞こえる。廃倉庫に警察が集まってきたようだ。

「年末大掃除に、忘年会の打ち上げも終わったな、お疲れさん」

 劉玲が腰に手を当てて、飄々と笑う。曹瑛はお上は苦手だと一人Ninjaに跨がりアクセルを吹かして去って行く。

「違いない、俺たちも逃げよう」

 榊も警察にはアレルギーがあるらしい。劉玲は獅子堂のハーレーの後部座席に跨がる。伊織と榊、高谷もレクサスとワーゲンにそれぞれ乗り込んで廃倉庫を後にした。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る