第2話
「で、どうする?」
榊がアルファードのエンジンをかける。劉玲が助手席に乗り、行き先をナビするつもりのようだ。
「ここに行きたい」
劉玲がスマホに入力したメモを見せる。榊がナビを操作して目的地を設定した。コテージから20分ほどの場所だ。
「ここが宝のありかなのか」
「せや」
劉玲はにこにこと笑っている。榊もふっと小さく笑って車を発進させた。
いつも悪ノリで人をからかうのが好きな男だ、今回も皆を巻き込んでこんなところまでやってきた。それでも悪い気がしない。一緒にいて不思議と愉快な気分になる。
「中文学者の岡崎はんておったろ?その縁者に連絡を取ってみたんや」
劉玲がおもむろに話し始める。相手は娘さんで、今は結婚して安曇野を離れ、静岡で暮らしているという。父の岡崎勝正は好事家で中国の遺物蒐集が趣味だった。家の中にガラクタがあふれ返って母親はいつも片付けに困っていたそうだ。地図の話を聞いて、父らしいと笑っていたという。
「俺たちの宝探しは全然かまへんということやった」
意外と根回しが良い。あの無茶苦茶な地図からよくぞここまで調べたものだ。
ナビの示す目的地まであと5分ほどという山中で、溝にタイヤを落とした白い軽トラを見つけた。狭く、舗装もない道だ。車を停めて、軽トラの荷台を持ち上げようとするおっさんに声をかける。
「おっちゃん困ってるな」
「ああ、慣れた道なのにハンドルを切り損ねてな。車が持ち上げられたら何とかなりそうなんだが・・・今レッカーを呼ぼうとしているところだ」
農協の帽子をかぶった60代くらいの小柄なおじさんが汗を流しながら困り顔をしている。1人で随分頑張ってみたのだろう、しかし派手に脱輪しており、とても1人では車体を持ち上げられそうにない。
「手伝おう」
榊がジャケットを脱いで腕まくりをする。6人とおっさんで軽トラの荷台に手をかける。「せーの」「イーアルサン」
日本と中国、それぞれの気合いが入ったかけ声が山に響く。軽トラは驚くほどの軽さでもとの道に戻った。
「ひやー、助かったわ。兄ちゃんたちありがとう」
おじさんは汗をふきふき何度もお礼を言う。この先に家があるのでぜひ来て欲しいと言われた。アルファードに乗り込み、軽トラについて徐行する。
道が開けて、畑と山、茅葺き屋根の家が見えた。周辺にはぽつぽつと数件の民家があるのみ、まさに限界集落だ。おじさんは畑の脇に軽トラを止め、縁側に来るよう促す。
氷の入った麦茶が出てきた。奥さんと思しき愛想の良い初老の女性が顔を出して頭を下げる。
「本当に助かった、ゆっくり休憩していってな」
「ありがとうございます」
伊織は縁側に腰掛け、麦茶を飲む。汗ばんだ身体に冷たい麦茶が染みる。曹瑛と榊、孫景は少し離れて一服し始めた。
「これ、うちで取れたものなんだけど、良かったら持って帰って」
おばさんがスーパーの袋いっぱいにぶどうと松茸を入れて持ってきてくれた。
「えらいおおきに、お、ええ香りやな」
劉玲が袋から香る松茸の香りを楽しんでいる。伊織と高谷も普段見ることのない見事な松茸に驚いている。葡萄は大ぶりの房が5つも入っていた。甘い香りが漂ってくる。
「今年は山に熊が出てな、あまり収穫ができていないんだけどね。それでもうちだけでは食べ切れないから、ぜひ食べてよ」
「へえ、熊が出るんですか」
伊織が目を丸くする。畑の前には小高い山が迫っている。
「イノシシは出ても、熊なんか出たことなかったけどな」
おじさんは困った顔をしている。劉玲は山と裾野に広がる小さな畑を見つめている。
「おっちゃん、あれはトウモロコシか」
「そうだ、もう実がなってるよ」
「へえ・・・」
劉玲は腕組をして何やら考えている。
「熊が出るならトウモロコシを狙うはずや、奴らの好物やからな」
「畑に被害はないな」
おじさんの言葉に劉玲はそうか、と行って麦茶を飲み干した。
「なあ、この山はおっちゃんのか?」
「ああ、そうだよ」
「俺たち宝探しに来たんや。あの辺ちょっと掘り返してもええか?」
劉玲の突拍子も無い言葉におじさんは一瞬不思議そうな顔をしたが、大きな口を開けて笑い出した。
「おもしろい兄ちゃんだな、何を探してるか知らんが、好きにしていいよ」
「おっちゃん、ありがと」
劉玲は満面の笑みを浮かべ、車のトランクから大きなスコップを取り出した。
「関東支部から借りてきたんや。何かと入り用らしい」
大きなスコップだ。人数分ある。マフィアの事務所が大きなスコップを使うと聞いて、一体何に使うのか考えたくない。
「で、どこを掘るんだ」
榊がスコップを担いでいる。足にはゴム長を履いていた。靴を汚したくないようだが、シャツを腕まくりをして一番気合いが入っているように見えた。
「この地図、見てみ。家に、山、そして川もある。宝の目印はここや」
皆で地図を覗き込む。そう言われるとそれっぽい気になってくる。
「あの家はな、岡崎はんの住んでた家なんやて」
劉玲が白樺の木立の向こうに見える木造住宅を指さす。ナビの目的地は岡崎邸の住所だったのだ。
「あの辺いってみよ」
劉玲が指さす場所に向かった。何もない山の斜面にスコップを入れる。劉玲が楽しそうに土を掘り始めたので、大きなスコップを持たされた曹瑛と榊、孫景もスコップを振るい始めた。伊織と高谷は園芸用のスコップを持ち、周辺にそれらしいものがないか探し始める。
「おい、何もないぞ」
1時間ほど無心に掘り続けただろうか、孫景が手を休めてぼやく。
「あるはずないだろう」
曹瑛が低い声で呟いた。額から流れる汗を忌々しそうに拭っている。榊がデュポンを取り出し、タバコに火を点ける。曹瑛も一本もらって吸い始めた。
「そんなにすぐに見つかったらありがたみないやろ」
劉玲は新しい土を掘り返し始めた。伊織は劉玲と共に掘り始める。
「何が出てくるかな、楽しみですね」
汗と泥に塗れた劉玲に伊織は微笑みかける。
「せやろ、宝探しは男のロマンやで」
劉玲は心底楽しんでいる。
「見つかるといいですね」
「きっと何かある」
日が暮れてきた。オレンジ色に染まるうろこ雲が流れていく。おじさんが様子を見に来てよくがんばったな、と驚いていた。
もちろん宝の手がかりなど一ミリもない。劉玲はがっくり肩を落としている。
「兄貴、気が済んだだろう」
さすがの曹瑛も半ばあきれながらも劉玲を慰めている。劉玲は口をへの字にして悲しい顔をしていた。
そもそも、あのいい加減な地図を元に一日で見つけようというのが不可能に近い。
「気を取り直して温泉だ、泥を落としたい」
おじさんに別れを告げ、榊が目星をつけていた日帰り温泉に向かう。汗まみれの身体を早く洗い流したいのは皆同じ気持ちだった。
「すごい、星がこんなに見える」
森を見渡す露天風呂、見上げれば星がキラキラと瞬いている。伊織は美しい夜空を見上げて感動している。
三日月が夜空に浮かび、薄い雲間から見え隠れしていた。夜気が冷たく、湯けむりが立ちこめ幻想的な雰囲気を醸し出す。
少し熱めの湯加減に満足している榊は幸せそうな顔をしている。
「ここの湯はいい。身体が芯から温まる」
普段強面でクールな兄が温泉につかると一気に庶民的になるのがおかしくて、高谷は思わずクスリと笑う。
劉玲が胸毛のうんちくを曹瑛に話し、その話は何度も聞いたとそっぽを向かれている。宝探しで疲れた身体を存分に癒やし、コテージへ戻った。
夕食は鍋を火にかけてパスタと煮込みハンバーグを作った。榊が肉やパスタソースを下ごしらえして準備していた。フレッシュサラダに、鶏肉ときのこのバジルソースあえパスタと濃厚なソースの煮込みハンバーグ。信州のワイナリーに立ち寄って買ったワインを開ける。宝探しのお疲れ会という名目で乾杯をした。
「おお美味いな、榊も料理が得意だったとはな」
孫景はひたすら感激している。肉汁がたっぷりのハンバーグに香り豊かなデミグラスソースが合う。
「仕込みには結紀にも手伝ってもらった」
前日の夕方から用意していたという。凝り性な榊らしい。
「バジルの風味がいいね」
伊織の言葉に黙々と食べている曹瑛も頷いている。
食後には七輪で炙った松茸をつまみに地酒を開ける。曹瑛は茶盤をテーブルに出し、安渓鉄観音を淹れている。伊織と高谷は曹瑛のお茶を淹れる手つきを眺める。
「曹瑛さんのお茶の淹れ方、すごく綺麗。お茶もすごく美味しいし、カフェが人気あるの分かるよ」
高谷がしみじみ呟く。安渓鉄観音は口に含めば鼻に抜ける爽やかな甘さがある。香りも深い。仄かに密のような甘い香りが余韻に残る。
軽トラのおじさんにもらったぶどうもテーブルに広げた。大粒の葡萄は香り豊かで、甘みが強い。信州の秋の味覚を堪能できた。
「さて、ちょっと腹ごなしに行くか」
劉玲が立ち上がった。
「曹瑛、運転できるか」
酒を飲んでいないのは曹瑛だけだ。曹瑛は怪訝な顔をしている。
「ちょっと気になることがある。・・・森の熊さんや」
劉玲はニヤリと笑った。間違いなく何か企んでいる顔だ。
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