白衣に迫る悪意
第1話
「いらっしゃいませ・・・何の用だ」
後半のドスの利いた声に周囲のお客さんが思わず振り向いた。窓際のテーブルに座った客に、注文を取りにきた曹瑛は目を細めてその顔を見据えている。
「客として来たんだよ、いい店じゃないか」
ブルーのスカジャンにジーンズ姿の李遼は店内を見回す。背中には富士山に舞う鷹、そして桜にJAPANと刺繍のあるデザインだ。同席している王陽凱は白いカーディガンにラベンダー色のシャツ、黒のスキニーで長い髪は後ろにまとめている。
「品揃えがいいな、点心もあるのか」
頭を付き合わせてメニューを見ている姿に他意は無さそうだ。曹瑛は小さなため息をついた。
「あの金髪はどうした」
メニューを聞き取りながら曹瑛が尋ねる。2人はそれぞれ黄金桂と武夷水仙、月餅を注文した。
「獅子堂のことか?まだ日本にいるみたいだな」
李遼は追加で杏仁豆腐を注文する。
「あいつは腕に自信があったからな、劉玲に負けてショックも大きいのだろう」
2人とは常に同行しているわけではないようだ。
曹瑛が茶盤に茶器を乗せて持ってきた。気が乗らないが、一応客としてやってきたので2人にそれぞれ茶の特徴や飲み方を説明する。綺麗に型押しした月餅と、表面つるつるの杏仁豆腐に李遼は目を見張り、曹瑛を二度見した。
「東方の紅い虎が・・・全く信じられん」
「黙れ」
曹瑛が一瞬殺気を漲らせる。李遼は曹瑛が日和っているわけではないことを実感した。望むならいつでも現役に復帰することはできるだろう。カフェの閉店時間が近づき、一般客が引いたころ、榊と高谷がやってきた。
「貴様・・・!」
榊が王陽凱の顔を見るなり、唇を歪める。ハルビンの龍神プラントで高谷を人質に取った男だ。王は静かに立ち上がり、榊の前に歩みを進めた。榊は高谷を下がらせ、臨戦態勢になる。榊の背後に控える高谷の表情には怯えではなく、戦う意思が感じ取れた。
「榊に、その弟よ。かつて俺は恥ずべき行為をした。それを謝りたい」
王陽凱は目を閉じて静かに頭を下げた。2人は顔を見合わせる。あまりの素直な謝罪に毒気を抜かれてしまった。隣のテーブルに着席し、曹瑛に茶を注文する。
「お前らとまた会うとはな」
榊は半ばあきれている。高谷も複雑な表情を浮かべているが、道義を果たした王に悪い気はしていないようだ。
「曹瑛が生きていると聞いてな。伊織は来ないのか」
李遼は伊織に会いたいようだ。
「あいつもこのくらいの時間によくここに来るはずだが」
榊は時計を見ると、夕方五時をまわっている。茶を飲み終えた李遼と王陽凱はまた来る、と言って帰っていった。しばらく日本に居座る気のようだ。
厨房に置いたスマホを確認すればメッセージが入っていた。画面を見た曹瑛が動きを止めた。
「伊織が入院した」
曹瑛が感情の無い声で呟く。
「そのメッセージを送れる状態なら意識はあるということだ」
動きを止めたままスマホを凝視する曹瑛に、榊がフォローを入れる。
「俺、店じまいはしておくよ」
高谷の進言に曹瑛は頷く。高谷なら段取りは分かっているので任せておける。
「俺は今日は車だ」
伊織のメッセージにあった病院の場所を榊が地図アプリで調べる。曹瑛は長袍から素早く私服に着替える。榊と共に入院先の病院へ向かう。
***
BMWを駐車場へ停めてエントランスを足早に通り抜け、病棟へ向かう。案内カウンターに宮野伊織の名前を伝え、エレベーターに乗り込む。
ナースステーションで伊織の名を告げると、若い看護師が部屋番号を教えてくれた。逸る気を抑えて部屋の扉を開ける。
4人部屋の窓際に伊織の名前が示してあった。伊織はベッドに横になって眠っていた。間抜けに口を開けて眠る様子に、曹瑛は息をついて脱力した。ベッドの側のパイプ椅子に腰掛ける。
日が落ちて、ガラス窓から冷気が漂ってくる。高谷も駆け付けた。
「ここは消化器系の病棟らしい、この後主治医が回診に来るそうだ」
榊はナースステーションに話をつけてきたようだ。冷静な対応が心強い。しばらくして、白衣の若い男性医師がベッドサイドにやってきた。
「ご友人ですか、この度は急なことで驚きましたね。急性虫垂炎、昔でいう盲腸です」
死に直結する病気ではない。曹瑛と榊、高谷はホッと胸を撫で下ろした。
伊織が目を覚ました。
「瑛さん、榊さんに高谷くんまで」
伊織は身体を起こそうとしたので、高谷が無理をしないよう押しとどめた。
「痛みは落ち着きましたか」
「はい」
「では、炎症が治まっていたら手術をしましょう」
手術、と聞いて曹瑛はどのような手術なのか、どのくらいで退院できるのか、生存確率はとたたみ掛ける。若い医師はひとつひとつ丁寧に答えてくれた。医者が去った後、看護師がやってきて同意書について怒濤のように説明していった。
「虫垂炎か、最近は手術と言っても大きく切らないんだな」
以前は開腹手術だったが、今は腹腔鏡手術といって腹部に小さな穴を開け、そこから腹腔鏡と鉗子を入れる身体への侵襲が少ないやり方が主流という。傷口が小さいので4~5日で退院できると聞いた。
「心配かけてごめん。お腹が痛くて近所のクリニックに行ったら、だんだん痛みがひどくなってタクシーに乗せられて病院へ、そのまま緊急入院になったんだ」
入院なんて三十二年間で初めてだ、と伊織は苦笑いを漏らす。
「お前は働き過ぎだ、しっかり休め」
曹瑛なりの意外な労いの言葉に、伊織は頷く。
「退院する前にまた見舞いに来る」
「伊織さん、手術頑張ってね」
曹瑛に榊に高谷、皆の心遣いに伊織は思わず目頭が熱くなる。全く不安が無いわけではないが、気が紛れたのは確かだ。
***
通用口を抜けて、榊のBMWを停めた駐車場へ向かう。日はすでに落ち、手入れされた中庭を街灯の光が照らしている。
枝を広げる樫の木の下にあの若い医師の姿を見つけた。身を隠すように立ち、誰かと会話している。暗い表情が気になり、曹瑛は柱の陰に隠れて様子を見守る。榊と高谷も立ち止まり、身を隠す。
「もうこれ以上は無理だ、要求がエスカレートしている」
若い医師は悲痛な声を振り絞る。
「あんたがバクチ好きなのをバラすぞ、それにこれまで何をしてくれたかもな」
相手の男はチャコールグレーのスーツに柄物の開襟シャツ、明らかにチンピラですと宣言している格好だ。病院敷地内禁煙を無視してタバコを吹かしている。
「頼んだぞ」
ニヤニヤしながら男は馴れ馴れしく医師の肩を叩き、芝生に捨てたタバコを靴先で揉み消して去っていった。医師はがっくりと肩を落とし、木の幹に頭をぶつけた。
「なにやらワケありのようだ」
腕組をした榊がニヤリと笑う。
「そのようだな」
曹瑛も何か思うところがあるようだ。
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