第3話

「右手をご覧ください」

 バスガイドが定型文に従って車窓から見えるスポットの説明をする。敬老会の皆さんは窓の外を指さしながら盛り上がっている。

 渋い顔で腕組をする榊の肩に腕を乗せて、ライアンが身を乗り出す。

「おい、席を替わってやろうか」

「気遣い感謝する。でも、左を見るときは遠くなってしまうだろう」

 榊の言葉にライアンはニッコリ笑う。ライアンの左側にいる曹瑛は、窓の外を見つめて現実逃避している。


「左をご覧ください。あれが桜田門です。江戸中期に建てられ、現在は重要文化財に…」

 ガイドの説明に、ライアンが曹瑛に寄りかかって窓に張り付く。

「おお、これが江戸城か」

「…席を替わるぞ。その方がよく見えるだろう」

「気にするな。…ほら、あれが二重橋だそうだ」

 ハイテンションのライアンにのしかかられ、眉根を寄せる曹瑛を榊が気の毒そうな目で見つめている。どさくさに紛れてライアンは曹瑛の腰に手を回す。曹瑛は諦念の薄笑いを浮かべていた。


 バスは浅草寺に到着し、車窓観光から解放された曹瑛と榊は大きなため息をつく。ガイドについて敬老会の皆さんと一緒に雷門の下へやってきた。

「幼い頃に一度だけ来たことがある、とても懐かしいよ」

 オーバーアクションで喜ぶブロンドの外国人を見て、敬老会のメンバーも楽しそうに笑っている。

 曹瑛も門を見上げた。伊織と東京観光をした日を思い出す。観光案内バイトの使命に燃える伊織に役割を全うさせてやるか、というふとした気まぐれだったが、あの一日は楽しかった。


「この巨大なランタンを見れば日本に来たという気分だね」

 ライアンがナチュラルに曹瑛の腰に手を回す。脊髄反射で脇腹に肘鉄を食らわせたが、ライアンは笑顔のまま腹をさすっている。

「貴様、懲りない奴だな」

 曹瑛が低い声で唸る。

「英臣と曹瑛は付き合っているんだよね」

 曹瑛と榊が反射的に顔を見合わせた。ライアンのアプローチを避けるため、以前二人で口裏を合わせていたのだ。

「そうだ」

 榊は怪訝な顔をする曹瑛と無理矢理腕を組む。


「榊、お前正気か」

「これは戦略だ。付き合っていることにしておけば、おいそれと手を出さないだろう」

「こんなことをしても奴には無意味だ」

 榊と曹瑛が密談している。ライアンは笑顔で二人を見つめている。

「お前を奴に引き渡せば、大人しくなる」

「曹瑛、裏切るのか」

 榊が縁無し眼鏡の奥から射貫くような視線で曹瑛を睨む。

「そもそもこれはお前が受けた案件だ、榊」

「俺との勝負で負けたことを忘れたのか。本来はお前一人で対処するのが筋だ。俺はいつでも離脱できるぞ」

 曹瑛は口ごもる。榊の策に堕ちたとはいえ、勝負に負けたのは言い訳できない。曹瑛はがっくりと肩を落とした。半ばヤケクソな榊に手を引かれ、賑やかな仲見世通りを歩く。


 浅草寺の前でガイドより50分の自由時間を取ると説明があった。お参り前にお水舎へ向かう。人をかき分けて榊が柄杓をライアンに渡す。

「まずは左手、次に右手を洗う。次に左手で水を受けて口をすすぐ」

「清めの儀式か」

 ライアンは榊の言葉に従う。曹瑛と榊もお清めを済ませた。ライアンはお水舎の墨絵の龍や龍神像を興味深く眺めている。榊がお香を買って二人に渡した。

「この常香炉にお香を供えて煙を浴びて心身を清める。ライアン、お前は特にしっかり煙を浴びろよ」

 榊の皮肉に全く動じることなく、ライアンは喜んでもうもうと煙を浴びている。

「中国でも同じだな」

 曹瑛は寺のこうしたしきたりに慣れた様子だ。


 本堂にお参りをして、ライアンが授物所に興味を示した。お守りが珍しいのかお土産にしこたま買い込んでいる。

 曹瑛は伊織がお守りをくれたことを思い出した。お守りのおかげで水滸館での兄劉玲との戦いに辛くも勝利できた。本当に御利益があったことは感慨深い。


「君たちに」

 ライアンが2人にそれぞれお守りをくれた。

「ああ、ありがとう…え、縁結びだと」

 ピンク色のきれいな刺繍のお守りを手にして曹瑛は固まっている。

「君たちの素敵な関係が続くよう応援しているよ。私も買ったからおそろいだね」

 ライアンの不敵な笑みに、こいつとは絶対に縁を結びたくないと榊は内心思った。


 集合場所に行けば、ガイドがあちこちに電話をかけてテンパっている。

「どうかしましたか」

 ライアンがすぐさま声をかけると、ガイドは困り顔で事情を話した。予定に組まれていた昼食の店に手違いで予約が通っていないという。会社を通して別の店の手配をしているがなかなか段取りがつかないようだ。


「私に任せてください」

「でも、お客様…」

 ライアンはにっこり笑う。スマホを取り出して電話をかけている。すぐに折り返しが入った。

「お店を手配しました。移動しましょう」

 躊躇うガイドを安心させるため、ライアンは彼女の旅行社の上司とも直接話をまとめたようだった。


 バスが向かった店は、浅草にある老舗の寿司屋だった。安ツアーで使えるような価格帯ではない。ガイドが慌ててライアンに声をかける。

「大丈夫、ここは私がごちそうしますから気にしないで」

 ライアンの押しに、上司からの口添えもありガイドはやむなく従った。座敷に通され、敬老会メンバーとともに着席する。特上握りと鯛のあら汁、小鉢に茶碗蒸しが並ぶ。

「これは豪勢だな」

 榊が驚く。バスツアーの予算では到底食べられるものではない。敬老会メンバーも新鮮で大ぶりなネタが乗った寿司を見て喜んでいる。

 ライアンの好意でこの席が準備されたことをガイドが説明する。ライアンに向かっておじいちゃんおばあちゃんたちが頭を下げた。


「ニューヨークにも本格的な寿司屋はあるが、やはり本場には叶わない」

 ライアンは箸を器用に使っている。日本には思い入れがあるようで文化の理解も深い。曹瑛もわさびが効いた寿司を美味そうに食べているので、榊は妙な気分になる。


 午後からは隅田川クルーズへ。浅草から水上バスでレインボーブリッジを回って日の出桟橋へ。船内では縦一列に座ろうという榊の提案はライアンに却下され、結局横並びにライアンを挟んで座ることになった。

「君たちの仲を邪魔するようで悪いね」

 ライアンは満足そうだ。じゃんけんで負けた曹瑛がライアンのセクハラリスクが高い窓際に座る。青空に白いレインボーブリッジが映える。


「良い眺めだ、今度は夜景を見たいね。クルーズ船をチャーターしてディナーを楽しもう」

「榊と行ってこい」

「いいのか、曹瑛」

「俺は一向に構わない」

 ライアンが嬉しそうに曹瑛の手を取る。曹瑛はそれを振り払い、腕組をした。

「おい、曹瑛」

 榊が曹瑛をやぶにらみする。不意にライアンが榊を振り向き、頬に指を滑らせた。

「ジェラシーに燃える顔も魅力的だ、英臣」

 ライアンに迫られて固まる榊を見て、曹瑛は目線を逸らした。


 日の出桟橋に到着する頃には、曹瑛と榊は憔悴しきっていた。ライアンだけは溌剌としている。何度も両側から肘鉄や拳を食らったのに、全然効いていない。まさにタフガイというべき男だ。

 黄色いラッピングバスに乗り換えて最後の目的地、東京タワーへ向かう。これが最後の目的地ということが二人の気持ちの支えだった。

 バスを下りれば、ピンク色の肌につぶらな瞳の東京タワーのマスコットキャラ、のっぽんが出迎えてくれた。

「キュートだね。日本はマスコットキャラクターを作る才能がある」

 曹瑛はのっぽんを見つめて動かない。

「どうした、曹瑛」

「あ、いや」

 榊の声に曹瑛が我に返り、頬を赤らめて顔を逸らした。


「じゃあ、俺はここで待っている。楽しんでこい」

 タワーの入り口で曹瑛が立ち止まる。

「そんな話が通用すると思うのか、お前も来い」

 榊が半ギレで曹瑛に迫る。曹瑛がいなければ、ライアンにロックオンされてしまう。全く動じない曹瑛の手を無理矢理引くが、てこでも動かない勢いだ。

「お前、まさか高いところが苦手…」

「邪推はよせ」

 曹瑛はムキになっている。

「怖いなら仕方がないな」

 せせら笑う榊に曹瑛はくってかかる。

「だ、誰が怖いと言った」

「じゃあ、来い」


 結局、榊の口車に乗せられた曹瑛も一緒にタワーへ登ることになった。メインデッキからさらに地上250メートルのトップデッキへ。ガラスの向こうは夕闇が迫り、街のネオンが輝き始めている。

「おお、ファンタスティック」

 ライアンは感動して街を見下ろしている。高層ビルの明かり、ネオンサイン、街灯、走る車のライトが織りなす都会の夜景は煌びやかで美しい。

「久々に来たがいいものだ」

 榊もライアンから少し離れて立つ。振り返れば曹瑛はサングラスをしたまま柱に背をつけて腕組をしている。

「どうした、曹瑛。そんなところからじゃあまり見えないだろう」

 榊の誘いに曹瑛は首を振る。高いところが苦手なのはどうも本当のようだ。榊が曹瑛の腕を引いた。


「俺に掴まってたら怖くないだろ、せっかくだから楽しめよ」

 曹瑛が及び腰で恐る恐る窓の外を覗き込む。口をへの字にして緊張しているのが分かる。榊の腕を握る手にも力が入っている。

「あそこに見えるのがレインボーブリッジだ」

 榊の説明に曹瑛の緊張も解れてきたようで、表情が穏やかになってきた。

「英臣、私も高いところが苦手だ」

「お前はさっき余裕で見下ろしてただろう」

 榊に一蹴され、ライアンは切ない顔を向けた。


「記念写真を撮ろう」

 ライアンが撮影コーナーを見つけた。曹瑛は断固拒否の構えだ。しかし、マスコットキャラのっぽんが手を振っているのを見ると、気が変わった。

「お前、ああいうの好きなのか」

「黙れ」

 東京の夜景を背に、長身でモデルばりの三人が並び立つ。脇を固めるのはタワーのマスコットキャラだ。シュールな光景に順番待ちのカップルたちがクスクス笑っている。

 できあがった写真は満面の笑みのライアンを中心に、不器用な笑顔の曹瑛と榊が映っていた。ライアンが写真を三人分購入し、二人に渡した。


 エレベーターを下りて見上げれば、東京タワーがライトアップされている。これで長い一日が終わった。榊と曹瑛は感慨深く、大きなため息をついた。

 榊がフィリップモリスに火を点ける。曹瑛がチラリと口元を見るので、榊はタバコを分けてやる。曹瑛はタバコを口にくわえて榊のタバコから火を貰った。


「普段はキューバ産の葉巻しか吸わないんだが、私にも一本わけてくれないか」

 うまそうに紫煙をくゆらせる二人を見たライアンが榊にタバコをねだる。

「ほらよ」

 榊がフィリップモリスの箱ごとデュポンを手渡した。

「英臣、さっきと対応が違うぞ」

「何を訳の分からないことを言っている」

 望み通りタバコをくれてやったのに不満げなライアンに、榊は怪訝な顔を向けた。期待外れのライアンは大人しく自分で火を点ける。デュポンの涼やかな開閉音が空しく響いた。


「英臣、曹瑛、今日は楽しかった。ありがとう」

「ああ、それは良かった」

 榊は苦笑いを浮かべる。

「今日のコースは私が子供の頃に日本人の叔母に連れていってもらった場所だった。とても懐かしい気持ちになったよ」

 

 ライアンの周りに敬老会のメンバ-が集まってきた。

「今日はお寿司をごちそうになって、ありがとう。これは私達からのささやかな気持ちです」

 腰の曲がった老婦人が手土産をライアンに手渡した。仲見世で買った人形焼きや乾物などが盛りだくさん入っている。ライアンは感動して老婦人にハグをした。敬老会のみんなが拍手をしてライアンを称えている。ガイドも涙目でライアンと握手をした。


「人の気持ちを掴むのが上手い」

「さすが次期マフィアのボスだな…そうだこれお前にやるよ」

 榊が東京タワーのロゴが入った土産袋を曹瑛に手渡す。中を見れば、のっぽんのキーホルダーだった。

「今日の礼だ」

「貰っておく」

 曹瑛の素直な態度に榊は拍子抜けした。からかい半分で買っておいたのだが、曹瑛は本気で嬉しかったらしい。


「英臣、曹瑛」

 敬老会との交流を終えたライアンが両手を広げてハグを求めてきた。二人はそれを必死で押しとどめる。

「ニューヨークに来るときは言ってくれ、いつでも案内するよ」

「ああ、気にするな」

 もし仮に行ったとしてもお前に頼まない、と榊は思った。曹瑛も同じ気持ちだろう。

「じゃあ、私はここで」

 タワーの前に白いレクサスが停まった。ライアンは颯爽と乗り込んで去って行った。


 後日、カフェ閉店後の烏鵲堂で伊織と曹瑛、榊に高谷がテーブルを囲んでいた。

「ライアンもきっと良い思い出ができたね」

 曹瑛の気疲れは見るも気の毒だったが、観光案内の顛末を聞いて伊織は安堵した。榊がおもむろに包みを取り出す。エアメールだ。差し出し人はライアン・ハンター。

「何だそれは」

 曹瑛が青ざめる。

「今日、うちの事務所に届いてな」

 皆が注目する中開封すれば、豪華なアルバムが入っていた。ライアンの手紙を榊が読み上げる。

「先日の東京観光は金では買えない素晴らしい時間だった。君たちには感謝している。素敵な思い出をありがとう。ライアン」


 高谷がアルバムを開く。ライアンの顔アップにサインが入っている。曹瑛と榊があからさまにげんなりしている。

 ページをめくればガイドに撮影してもらった雷門の前で三人が並び立つ写真、仲見世を手を繋いで歩く榊と曹瑛が続く。最後の東京タワーまでダイジェストで写真が収められていた。


「いつの間にこんな」

 曹瑛は言葉を失う。

「なんだかんだ言って、三人とも楽しんだみたいだね」

 伊織と高谷は顔を見合わせて頷いた。榊は上の空で白目を剥いている。曹瑛はアルバムを榊に押し付けて、厨房で片付けを始めた。

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