良い日旅立ち

第1話

「週末は実家に帰るよ」

 閉店後の烏鵲堂に茶葉を買いに来た伊織の何気ない言葉に、曹瑛が興味を示した。

「いつ帰る」

「金曜日に帰って、日曜日にはこっちに戻る」

「どうやって行く」

「えっと、飛行機か新幹線で」

「新幹線にしろ」

 何故交通機関を指示するのか、伊織は首をかしげる。曹瑛はスマートフォンを取り出し、何やら調べている。

「新幹線で3時間半か、近いな」

「…まさか、瑛さん」

「俺も行く」

 思わぬ展開に伊織は目を見開くが、曹瑛は真顔だ。曹瑛がこの状態になったら後には引かないことはよく知っている。


「でも俺の実家、地方だから何もないよ」

 一緒に連れて帰ったところで連れて行くところがあるだろうか、伊織は思案した。自分だけで帰るなら、家族の顔を見ればそれで満足なのだが。

「伊織の故郷を見てみたい」

 初めて会ったとき、気まずさに耐えかねた伊織が一方的に話した故郷の情景を覚えていたのだろう。


「お店はどうするの」

「臨時休業だ」

 あっさりしたものだ。烏鵲堂が開店してから土日は結構忙しい。リピーターも定着しているし、SNSを中心に口コミで新規のお客さんも多く訪れる。連休は特に稼ぎ時のはずだが、未練は全くないようだった。


***


 朝七時、東京駅から西へ向かう新幹線に乗り込んだ。曹瑛は窓際に足を組んで座り、移り変わる外の景色をずっと眺めている。

 車内販売のカートがやってきた。伊織は声をかけてペットボトルのお茶を、曹瑛はミネラルウォーターを買う。中国の新幹線でも同じように車内販売があると曹瑛に聞いて目から鱗だった。


 3時間半の座りっぱなしは腰に響く。京都に差し掛かってようやくここまで来たかという思いでホッとする。

 曹瑛にしてみれば、この程度の距離なら「近い」部類に入るらしく平然としている。中国も全土に高速鉄道が走っており、国土の広さが違えば感覚も違うのだと伊織は納得した。


「ああ、やっと着いた」

 目的地の岡山駅に下り立ったときには、身体がバキバキに凝っていた。伊織はホームで存分に伸びをする。

 四国への玄関口になるので降りる乗客はそこそこ多いが、東京駅の人混みに比べたら随分のんびりしている。地方ならではののどかさが懐かしい。


「ここから家までまだ遠くて、在来線に乗り換えるよ。でもその前にお昼ご飯にしよう」

 伊織の提案に曹瑛は頷く。駅舎を出ると、桃太郎の像が立っている。

「桃太郎は御伽噺の主人公なんだよ。桃から生まれて、仲間を連れて鬼退治に行くんだ」

 伊織は桃太郎のブロンズ像を指差す。桃太郎が見据える先は、鬼ヶ島と言い伝えのある香川県の女木島の方角だ。

「猿と、犬と、鳩を連れているのか」

「鳩⁈」

 見れば、桃太郎像の周囲に鳩の群れが降り立っていた。曹瑛に本当は雉なんだと教えてやる。


 横断歩道を渡れば、アーケードのある商店街がのびている。人もまばらで寂れている感じが否めない。伊織は記憶を頼りに昔行ったことのある店を探している。

「良かった、まだやってる」

 伊織は煤けたのれんをくぐった。狭いカウンターと、奥には座敷がある。ふわりと酢の匂いが鼻をついた。伊織と曹瑛は並んでカウンターに座った。

「祭り寿司を2つ」

 地元の名物らしい。初老の頑固そうな大将が木桶に入った寿司とお吸い物を出してくれた。


「寿司というのは握りだけではないんだな」

 曹瑛は色とりどりの海鮮具材が散りばめられたばら寿司を珍しそうに眺めている。

「そうだね、これは握らないからばら寿司、地元の名物で祭り寿司と呼ばれているよ」

 海老にママカリ、シャコ、はも、たこに穴子と海の幸の他に錦糸卵、さやえんどう、レンコンにしいたけ、蕗と山の幸もふんだんに乗せられている。見た目にも色鮮やかだ。

「うまそうだ」

 曹瑛も寿司を眺めて思わず口元が緩んでいる。酢飯の匂いが食欲をそそる。豊富な具材はそれぞれに丁寧な味つけがしてあり、見た目の豪華さだけでなく、食べる楽しみがある。


 完食して茶を啜る曹瑛の顔は満足そうだ。駅に戻り、在来線でさらに南へ下る。

 市街地を抜けると住宅地、遠くに田園地帯が広がっている。ガタゴトと音を立てて電車は走る。通り過ぎる駅のホームはこじんまりしており、人の乗り降りも少ない。

「東京と比べたら随分田舎だよね」

 伊織はそう言いながらも郷里の風景が懐かしいようで、窓の外を眺めながら感傷に浸っている。


「ハルビンの広大な景色には心底驚いたよ」

 車窓から見える風景はなだらかな山と田畑、住宅がコンパクトにまとまっている。曹瑛には伊織が驚く気持ちが理解できる気がした。

 どちらを向いても地平線が見える中国の大地と比べると箱庭のように思えた。


 高架の駅で電車を降りた。駅前に停まっていたタクシーをつかまえて伊織の実家へ向かう。狭い路地を進み、古い日本家屋の前で停まった。

「本当にうちに泊るってことで良いの」

「何か問題でもあるか」

 友人を家に連れていくのは何となく気恥ずかしいものだ。しかし、曹瑛は全く気にしていない。

 家族になんと紹介しよう、元暗殺者で今は東京で中国茶ブックカフェを経営している友人…いや元暗殺者は余計か。きっと家族が仰天する。


 伊織はチャイムを鳴らして玄関を開けた。

「ただいま」

 奥からドタバタと出てきたのは小柄な中年女性だ。人の良さそうな雰囲気と、目鼻立ちが伊織に似ている。母親だとすぐに分かった。

「おかえり、よう帰ったね。そちらはお友達?」

「そう。友達の瑛さん」

「こんにちは、曹瑛です」

 曹瑛は丁寧に頭を下げる。

「まあ、背が高くてハンサムやねぇ、テレビの人みたい」

 母親は大げさに驚く。長身でモデルのような整った顔立ちの曹瑛は、テレビに出るような有名人という印象なのだ。

 曹瑛は照れくさそうに微かな笑みを浮かべている。早く上がって、と母親に仏間に案内された。

 最近張り替えたのか、新しい畳のい草の匂いが心地良い。伊織の部屋は父親が何を思い立ったか書斎にしてしまったらしく、ベッドも無くなっていた。


 夕食には父親と妹の美織も帰ってくるという。長旅で疲れただろうから昼寝でも、と勧めてみるが曹瑛は周辺を散策してみたいという。母親が出してくれた冷たい麦茶を飲み干し、宮野家を出た。

「海まで行ってみる?結構歩くけど」

「構わない」

 路地を抜けると、住宅街の真ん中にまっすぐに伸びる小道に突き当たった。


「ここは風の道といって、下津井電鉄という鉄道の廃線跡地を遊歩道として残している史跡なんだよ」

 線路は撤去されているが、道中には駅の名残や、踏み切り跡と思われる場所が残されている。桜並木の木陰に涼しい風が吹き抜ける。山からツクツクボウシの声が聞こえてきた。これが聞こえてくると、夏の終わりを実感する。 

 緩やかな山道を登った先に景色が開けた。目の前に太陽の光を受けて輝く青い海が広がっている。


 髪を撫でる海風は微かに潮の香りを運んでくる。海を横目に眺めながら競艇場を通り過ぎ、トンネルを抜ける。

 駅舎跡から巨大な白い橋梁と海が見渡せた。伊織と曹瑛は並んでベンチに腰掛けた。


「海は好きだ。18歳の時に初めて海を見た。想像よりも広くて大きくて、青かった」

 曹瑛は眩い海を静かに見つめている。物心ついた時から海が身近にあった伊織にはその驚きは想像がつかない。

 曹瑛は無愛想で感情に乏しいと見られがちだが、繊細で豊かな感性を持っていると感じる。


「大きな橋だな」

 遠くに見える白い橋は青空によく映えている。

「あの橋は瀬戸大橋といって、本州と四国を繋ぐ橋だよ。島を繋いで海にかかっているんだ。橋には高速道路と、電車も走っているよ」

 本州と四国を結ぶ橋の構想は、当時は夢物語だった。鉄道と道路が通る橋としては世界最大級だ。

「橋は3種類あって、ここから見えるのは吊り橋。島の間を結ぶのに適切な形になっていて、途中から斜張橋に変わるよ。その先はトラス橋」

 別の展望台からみれば、パノラマで橋を見渡すことができるという。

「明日以降行ってみる?」

「見てみたい」

 曹瑛は橋と海の景色を気にいった様子で、しばらくベンチに座ったまま小さな島がたくさん浮かぶ穏やかな海を眺めていた。

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