第3話
招待制のパーティ会場は華やかな雰囲気に包まれていた。外資系商社グローバルフォースの日本法人設立の祝賀会だ。榊は白いエンボス加工の招待状を手渡す。
「彼は俺の秘書だ」
「ようこそお越しくださいました」
華やかなドレスのコンパニオンが深くお辞儀をする。榊は曹瑛を連れて会場へ入る。
高い天井に吊られた巨大なシャンデリアがライトの明かりを反射して煌めいている。テーブルに豪華な料理が並ぶ立食形式だ。ウエイターがワインを勧めてきた。榊はグラスを手に取る。曹瑛は榊から離れ、スーツやドレスで着飾った客たちに紛れていく。
榊がここに呼ばれたのは、赤坂に置く日本法人オフォスのプロデュースを担当した縁だ。金に糸目はつけない、社員が快適に仕事ができる空間を、という今の時勢にしては豪気な依頼だった。
完成したオフィスを視察したCEOが感嘆の声を上げ、榊の仕事ぶりを高く評価した。ぜひパーティへ来て欲しいと熱望されたのだった。会場にいる客は多国籍だ。欧米人からアジア、アフリカ系まで、日本人はむしろ少ないと思えた。
舞台では本格的なジャズバンドが生演奏をしている。仕事上の知り合いに何人か声をかけられたので、榊が暇を持て余すことは無かった。ワインは3杯目だ。場の雰囲気もあってか、酒が回るのが早い。
「英臣ですね、来てくれて嬉しいよ。あなたの仕事ぶりは素晴らしい」
流暢な日本語でブロンドの男が熱を帯びた調子で話しかけてきた。興奮気味に握手を求められる。男は仕立ての良いグレーのスーツを着こなし、周囲には男女取り混ぜた若手社員を引き連れていた。
榊は一瞬目を細めた。そういえば、仕事を請け負うときに見た会社のパンフレットに載っていた男だ。この男がグローバルフォース社のCEOか、榊は軽く一礼した。
30代後半だろうか、若いが品の良い佇まいだ。欧米人だけあって曹瑛と同じくらいか、それよりも高い。白い歯を見せて人懐こい笑顔を浮かべているが、その目には強い光が宿っている。古風なハンサムだという印象だ。ライアン・ハンターと名乗った。
ライアンが榊と話がある、と言うと取り巻きたちが散っていった。
「私は君を口説きにきたんだ」
「どういうことですか」
榊は唇を引き結んでライアンを見上げる。ライアンの顔には満面の笑みが浮かんでいる。その表情は子供のように無邪気だ。
「君をビジネスパートナーに迎えたい」
突然の誘いに榊は口角を上げて笑う。
「俺はしがない個人事業主です、あなたとは住む世界が違いますよ」
「私は本気だよ」
ライアンの表情が変わる。愛嬌のある表情は消えて、不敵な笑みが浮かんでいる。榊は縁なし眼鏡の奥からライアンをじっと見つめる。
「そうだ、その眼差しだ」
いつの間にか舞台ではピアノの旋律に合わせ、赤いドレスの細身の女性シンガーが情感的な歌声を披露している。榊の周囲に黒服が壁を作っていた。榊はチッと舌打ちをした。
「小田原の榊原組組長、榊原昭臣の長子だが18才で自ら離縁を申し出る。関東鳳凰会の柳沢組に入り、30代の若さで若頭を務めた。中国マフィア八虎連の扱うドラッグ、龍神の取引を破談にした後に謎の失踪を遂げる。その後、コンサルタントとして個人事業を営んで今に至る」
榊は唇を歪めてライアンを睨み付ける。背に銃口が突きつけられているのが分かった。盛大な拍手が起きる。女性シンガーの歌が終わったようだ。幕が降り、会場の明かりが落ちた。
榊は会場から連れ出された。ライアンとともにエレベーターに乗せられる。
カードキーをリーダーに当てると、最上階のボタンが有効になった。エレベーターは静かに上昇する。榊は身もだえるが、後ろ手に腕を掴まれ、自由を奪われていた。エレベーターのドアが開くと、その先に赤い絨毯の広い通路がのびている。アンティークのランプが廊下を照らし、調度品や壁に掛けられた絵画は下の階とは比べものにならないほど高価なものだ。
黒服がドアを開ける。そこはこのホテルのスイートルームだった。絢爛な文様の絨毯にアンティーク調の家具、一面ガラス張りの窓からは東京の夜景を一望できる。
「英臣、君を傷つけたくはないんだよ」
ライアンは甘い笑顔を向ける。黒服が広いベッドの天蓋を支える柱と榊の手首を手錠で繋いだ。
「貴様、どういうつもりだ」
榊はライアンに射貫くような眼差しを向ける。
「グローバルフォース社のCEOは私の表向きの仕事だ。本業はニューヨークの裏社会を支配する新興マフィアの最高幹部。アイルランド移民の父、ロイ・ハンターは泥水を啜る思いでのし上がり、今の地位を得た」
ライアンは椅子に腰掛け、ゆったりと足を組んだ。
「私は二代目として父の事業を継ぐ。しかし、父の遺産を受け継ぐだけは面白くない。実力で裏社会で名を馳せたい、そのパートナーとして君を指名する」
榊はベッドに腰掛け、肩を揺らして笑う。
「俺は引退した、今はカタギだし静かに暮したい。悪いが他を当たってくれ」
ライアンは立ち上がり、榊の目の前に立つ。その顎を持ち上げ、目の奥を覗き込んだ。
「この目がカタギの目か、私はお前のこの目に惚れた。今、日本はカジノ合法化に向けて動いている。各国の凶悪なワルどもが利権を争い、日本のヤクザなど容易く食われるぞ」
榊は顔を背けた。
「これはビジネスだよ」
ライアンは目を細めて微笑んだ。
会場のライトが消え、榊がエレベーターに乗せられるのを確認した。曹瑛は急ぎエレベーターに乗り込む。最上階のランプは有効になっていない。直下のフロアのボタンを押した。エレベーターが開くと、大柄のサングラスをかけた黒服が乗り込んできた。スーツの胸に手を入れて銃を取り出せるよう構えている。
「いないぞ、確かに長身の黒いスーツの男が会場階から乗ったはずだが」
エレベーターの天井に潜んでいた曹瑛が黒服を蹴り飛ばした。そのまま体重をかけて男を壁に押しつぶす。銃を抜いたもう一人が引き金を引くよりも早く、赤い柄巻きのバヨネットで手首を切りつけた。黒服は痛みに銃を落とす。エレベーターの外に蹴り出し、傍らにあった大きな花瓶を頭に向けて振り下ろした。破片が絨毯に飛び散る。男は水浸しで壁に背中を預け、気絶した。
廊下の奥から銃を手にした黒服が3人走ってくる。乾いた破裂音が響く。曹瑛は柱の陰に身を隠した。左腕に銃弾が掠った。血が滲んでいる。曹瑛は小さく舌打ちをする。
男たちが銃を構えてじりじりと近づいてくる。曹瑛は廊下に身を躍らせた。男たちは立て続けに引き金を引く。曹瑛は部屋のドアを開け、それを盾に銃弾を防ぐ。弾切れを狙い、スローイングナイフを放った。男たちの腕に、足にナイフが深々と刺さる。
曹瑛はドアの影から飛び出し、男の側頭部にハイキックを食らわせた。大柄の男が壁に激突し、気絶する。もう一人の顔面に鋭い肘鉄を入れる。男は鼻血を吹き出し、後ろ向きに倒れた。最後の男が曹瑛に銃を向ける。同時に曹瑛も床の銃を拾いあげ、男の額を狙う。
「お前の銃は弾切れだ」
「馬鹿な」
曹瑛の言葉に、男が動揺する。その隙をついて、男の銃を持つ手を振り払い、腹に膝蹴りを入れた。男は呻き声を上げてその場に倒れた。曹瑛はしゃがみ込んで男の胸元を探る。最上階への金色のカードキーを見つけ、エレベーターに走った。
最上階はスイートルーム一室だ。廊下に護衛の姿はない。観音開きの扉には鍵がかかっていた。曹瑛は扉を蹴り飛ばした。
「何だ貴様は」
部屋にいた2人の護衛が曹瑛に銃を向ける。曹瑛は手にした銃で護衛の手を撃ち抜いた。叫び声が上がり、流れる血で絨毯が赤く染まる。
見れば、榊がベッドに座っており、その手は手錠で繋がれている。曹瑛の切れ長の瞳に静かな怒りの炎が宿る。
「その男を返してもらおう」
ライアンは肩をすくめ、榊を見下ろす。
「君がやすやすと捕まるなんて、おかしいと思ったよ」
曹瑛はバヨネットを抜き、銃と共に構える。
「どうやら彼は本気のようだ」
護衛が立ち上がろうとする。曹瑛の銃口が護衛を狙う。
「待て、手を出すな、彼は君らを躊躇なく殺せる」
ライアンが護衛を諫めた。
「ここまで一人で来たのか、大したものだ。君は八虎連の暗殺者だな」
「俺は殺しから足を洗った」
曹瑛が殺気を漲らせてライアンの前に立つ。曹瑛の眼光にも怯えることなく、ライアンは余裕の笑みを浮かべている。
「とてもそうは思えない、君もうちの組織に来ないか。待遇は保証する」
「断る」
曹瑛は短く言い放ち、榊と天蓋の支柱を繋ぐ手錠を銃で撃ち抜いた。榊が手首を押さえながら立ち上がる。
「英臣、私は君をビジネスだけでなく、人生のパートナーにしたいと思っているんだ」
なおもライアンは諦めない。榊の手を強く握りしめて迫ってくる。
「ぜひとも君が欲しい、私には君が必要だ」
ライアンの熱烈なアピールに榊は困惑の表情を浮かべている。
「俺は帰るぞ」
曹瑛が呆れて踵を返した。榊が曹瑛の腕をつかむ。
「俺はこいつと付き合っている」
榊の発言に曹瑛が二度見して目を見開く。
「なんだと、嘘をつくな。その男、固まっているぞ」
ライアンが曹瑛を指をさす。
「こいつはシャイなんだ。そういうことだ、俺に構うな」
唖然とするライアンを尻目に、榊は曹瑛の手を引いて逃げるようにエレベーターへ乗り込んだ。車のある地下階のボタンを押す。酒が入っているので代行サービスを呼ぶ。
「貴様、冗談も大概にしろ」
曹瑛が榊に詰め寄る。その全身からは殺気が立ち上っている。
「悪い、ああいう強引なヤツはきっぱり断った方がいいんだよ」
榊は面倒くさそうに前髪をかき上げる。
「な…お前、撃たれたのか」
曹瑛のスーツの腕の部分に血が滲んでいるのを見つけ、榊は眉を細める。
「カスリ傷だ。明日は店がある、早く帰りたい」
曹瑛は気にしていない様子だ。榊は曹瑛に感謝した。
翌日、閉店間際の烏鵲堂に白とブルーのカットソーを重ね着し、ジーンズ姿のブロンドの欧米人がやってきた。椅子に腰掛けてメニューを眺めている。
「何の用だ」
黒い長袍姿の曹瑛が低い声で尋ねる。男はサングラスを外した。昨日のパーティ会場で会ったライアン・ハンターだ。
「中国茶を飲みにきたよ。良い店じゃないか」
ライアンは曹瑛からおすすめを聞いて、祁門紅茶と月餅を注文する。
「昨日は手荒な真似をして悪かった」
ライアンが頭を下げる。曹瑛は渋い顔で唇を引き結んでいる。
「ライバルの顔を拝んでおこうと思ってね」
「榊とはお前が思うような関係ではない」
曹瑛が不機嫌を包み隠さず吐き捨てる。
「君は英臣のために命を張って戦った。なかなかできることじゃない」
「一応、友人だからな」
それだけ言い、曹瑛は厨房に引っ込んでいった。
「昨日は世話になったな」
榊がカフェへの階段を上がってくる。高谷も一緒だ。
「英臣~!ここにくれば会えると思っていたよ」
ライアンが榊にハグを求める。榊は腕を押し出して全力で拒否する。
「おい、なんでお前がここにいる」
高谷は唖然としてその光景を見つめている。
「今度、リゾートホテルチェーンのリニューアルを手がけるんだが、いっしょにやろう」
「忙しい、俺は帰る」
慌てて踵を返そうとした榊を捕まえて、曹瑛がグラスに水出しの緑茶を注いでライアンの座るテーブルの対面にドンと置いた。
「そう言わずに一杯飲んでいけ」
曹瑛は目を細めて口元に意地悪な笑みを浮かべている。榊は青ざめて頭をかかえた。
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