悪徳不動産屋の罠
第1話
ポケットのスマホが振動している。待ち合わせのためにやってきた都内のホテル。ロビーのソファに座っていた曹瑛は着信ボタンを押した。
「人身事故で電車が止まっちゃって。約束の時間に行けそうにないよ」
電話の相手は伊織だ。ホームの雑踏の背後でアナウンスが聞こえる。
「ごめん、瑛さん」
「不可抗力だ、気にするな」
それだけ言って電話を切った。
曹瑛は手元にある紙片に目を落とす。先日、高谷の依頼を解決した礼にと榊が寄越した東京ロイヤルガーデンホテルのスペシャルスイーツビュッフェのチケットだ。期限は明後日まで。烏鵲堂の店休日と伊織の休みを調整した日程が今日だ。もう使うことはないだろう。
榊には悪いが仕方無い。曹瑛はチケットを胸ポケットにしまった。マルボロに火を点けようとして、真鍮のジッポを取り出す。テーブルを見れば、灰皿が無い。分煙か。小さく舌打ちをして立ち上がった。街中でも歩きタバコはやりにくい。曹瑛はロビーを見渡した。
ロビーは完全禁煙だが、端の方に喫煙場所があるのを見つけた。
狭いガラス張りの部屋に入り、マルボロをくわえて火を点ける。半袖のビジネスマンが一本吸い終えて出て行った。曹瑛は椅子にかけて足を組み、タバコを吹かす。ガラスドアを開けて新しい喫煙者が入ってきた。
「お、曹瑛か」
名を呼ばれて顔を上げれば榊だ。濃いネイビーのシャドウストライプのスーツに白の開襟シャツ姿、縁なし眼鏡をかけて長い前髪を少し下ろし、鋭い眼光を隠している。
「珍しいところで会うものだ」
榊は曹瑛の横に座り、シルバーのデュポンでフィリップモリスに火を点ける。タバコを吸う場所を長らく探していたのか、肺に煙を吸い込み美味そうに吐き出した。
榊はビジネスでこのホテルにやってきて、帰りだという。曹瑛は灰皿でタバコを揉み消した。腕組みをして黙り込んでいる。榊もひとしきり吸って気が済んだのか、少し長いままのタバコを灰皿に落とした。
「この後予定は」
曹瑛が静謐な夜の湖のような暗い眼差しで榊を見つめる。まるで、鳳凰会時代にバーで初めて対峙したときのような殺気をはらんでいる。榊はその剣呑な雰囲気に目を細めた。何か只ならぬ事情があるのか。
「予定は無い」
「それは好都合だ」
曹瑛が立ち上がり、榊の腕を掴んだ。そのまま喫煙ルームを出て、エレベーターのボタンを押す。説明の無い曹瑛に榊は困惑している。華やかなドレスの若い女性連れやカップルとともにレストラン階で降りた。
目の前には洒落た看板にスペシャルスイーツビュッフェと書いてある。明るいライティングの会場は多くの客で賑わっていた。
「そうか、このホテルで、伊織と行くんじゃないのか」
「電車の人身事故で来られないと、さっき電話があった」
「それは残念だったな」
「そういうことだ、行くぞ」
榊は曹瑛の顔を二度見した。まさか一緒に来いということか。曹瑛は無表情のままじっと榊を見つめている。
「俺は昼間にカツ丼定食を食って、今日はカロリー過多だ」
「日課のランニングを三倍にすればいいだろう」
曹瑛が殺気を放ち、威嚇する。冷静を装っているが、いつになく必死だ。
「一人で行けばいいだろう」
「一枚が無駄になる」
「明日また来ればいい」
「貴様、そんなに死にたいのか」
大人気ない押し問答の末、文字通りの殺し文句に榊は折れた。確かにこの華やかな場所に男一人は酷というものだ。入りづらいから一緒に来てくれと素直に言えばいいものを。
感じの良いウエイトレスが二人を案内してくれた。ふて腐れた大柄で強面の男二人にも笑顔を崩さないところは、一流ホテルの教育が行き届いている。奥の二人がけのテーブルに通された。ゆったりとしたソファに身を投げる。
「本日はご来店ありがとうございます。夏のフルーツをふんだんに使ったデザートを取り揃えております。ゆっくりとお楽しみくださいませ」
真顔で腕組みをした曹瑛と榊は無言で頷いた。店内は女性同士の客と、カップルが多い。華やかな店内でこのテーブルだけが妙に浮いていた。
高層階のビュッフェ会場はガラス張りで眺めが良い。大きな皿を手にした長身の男二人、着飾った女子に紛れてスイーツを物色する。
夏のフルーツが売りと言うだけあって、桃やマスカットにスイカ、ブルーベリー、パイナップルなどが載った多彩なスイーツがところ狭しと並ぶ。涼しげなゼリーにタルト、ケーキ、アイスとディスプレイも凝っており、目移りしてしまう。
曹瑛は黙々と選んで皿に盛り付けていく。その手際の良さに、榊は地味に驚いた。温かい紅茶を淹れて席に着く。榊が席に戻るのを律儀に待って、手を合わせていただきますと食べ始めた。
「美味いな」
「そうだな」
言葉少なだが、スイーツのおいしさに先ほどまでの剣呑な雰囲気はすっかり和らいでいた。スーツ姿の男二人が向き合って黙々とスイーツを食べる様子に、店内の客たちは微笑ましい視線を向けている。
「日本では桃は白いのか」
「これは白桃という品種だ。黄桃は別にある。黄桃の方が中国の桃に近いだろうな」
伊織の故郷は白桃の産地で、白い桃がメジャーだと聞いたことがある、と榊が続ける。曹瑛は白桃がたっぷり載ったタルトを口に含んだ。
「上品な甘さだ」
「そうだろう」
澄んだゼリーに閉じ込められた大粒のマスカットを掬い上げる。
「それはシャインマスカットだ、大粒で甘みが強い。皮ごと食べられる」
榊の言うとおり、口に含めば芳醇な甘みが広がる。曹瑛の目が少し大きく見開かれた。
「日本は果物や野菜が高いと思っていたが、それだけ手間暇をかけているということだな」
カロリーを気にしていると言っていた榊も二皿目を盛って帰ってきた。曹瑛は三皿目に立ち上がる。
「今日はチートデイだな」
榊は満足して、食後のアメリカンコーヒーをブラックで飲んでいる。曹瑛はまだ黙々と食べている。仏頂面でケーキやプリンを次々頬張る姿は見ていて爽快ですらある。
「桃を使った点心、作ってみるか」
曹瑛は食べるだけでなく、盛り付けや味を観察してレシピを考えているようだ。完食してアールグレイを美味そうに飲んでいる顔はどこか穏やかだった。
ロビーに戻り、口直しとばかりもう一度喫煙ルームでタバコを吹かした。
「チケットを無駄にせずに済んだ」
威張り散らしているが、曹瑛なりの礼なのだろう。
「それはどうも」
榊はエレベーターから降りてきた人物を注視した。眼鏡の奥の目がギラリと光る。曹瑛も榊の視線を追う。50代がらみのスーツの男が二人、柄が悪そうな取り巻きを連れている。
「誰だ」
「あれは組筋だな、もう一人は不動産会社の専務だ。きな臭いな、よくある話だが」
まあ、俺にはもう関係はないと榊は笑う。極道と不動産は切っても切れない関係にある。暴対法で表立って動けないが、裏ではやはり暗躍している。榊は極道時代の倒産整理で、後ろ暗い不動産関係者の顔はよく知っているようだ。
翌日の夕方、仕事帰りの伊織が烏鵲堂に顔を出した
「瑛さん、昨日はごめん。でも、榊さんが付き合ってくれたんだって、良かった」
「何故それを知っている」
曹瑛は怪訝な表情を浮かべる。伊織がスマホを取り出し、榊からのラインを見せる。キラキラ輝くビュッフェ会場で、曹瑛が皿一杯にデザートを盛って姿勢良く立つ姿、そして美味そうにケーキを頬張る写真だ。
いつの間に、あの男。曹瑛は小さく舌打ちしながら苦々しい表情を浮かべた。今度会ったら締め上げてやらねば。
ふと、伊織のバッグから住宅情報誌が覗いているのが見えた。
「引っ越しか」
「うん、今住んでる池袋のアパートが立ち退きになるんだ」
「急な話だな」
「大家さんから築40年以上だし、潰してマンションを建てるんだって。住人は優先的に戻れるけど、家賃は三倍以上だよ。そんなの無理だ、他を探さなきゃ」
伊織は浮かない顔で住宅情報誌をパラパラと捲っている。
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