オリジン・デパーチャー#2-2
「かえれない?」
「そう、もうかえれないの、あなたは。”絶対裁断のキリトリ鋏”の
世界とのつながりがないから」
淡々と告げるその言葉は、頭が理解を拒んでほとんど意味が分からなかった。
「ちがう……わたしは……」
「ちょっと、さくら! そんないきなりはっきり言うなんて……」
桜の髪の女性が慌てて口を挟むが、緑の髪の少女はやや首を傾げたただけだった。
「ほんとうのことだよ? ウソつくのはいけないことでしょ、もみじちゃん。
彼女の存在を証明するモノは全て、あの世界から切り離された。彼女をいじめた生徒も、動画を広めた人も、彼女のお父さんとおかあさんだって。
彼女のことを覚えている人はいない、記憶も記録も。彼女が存在した情報も切り取られてどこかへ行ってしまったんだよ?」
誰も、自分を覚えていない……?
まっすぐこちらを見つめてくる瞳から逃れたくて身を捩る。ベッドの脇の白いテーブルに、自分の学校の制服が畳まれて置いてあるのに気づき、よろめくように近づく。
冬壁には自覚できないが、緑髪の少女の言葉を否定して、自分が属していた世界とのつながりを証明するためだった。
「自分でみたほうが、よくわかるかも。生徒手帳があるよね、出して、開いてみて」
「さくら、なにも今じゃなくてもいいじゃない!」
頷いて促す間も、さくらと呼ばれた少女の視線は冬壁から離れない。その目に恐ろしい圧迫感を覚えながら、冬壁はブレザーを持ち上げ、震える指先で自分の生徒手帳を取り出した。
表紙を開き、挟み込まれている生徒証を見る。病院で特別に髪を切ってもらったばかりの自分の写真と『冬壁
「うそ……」
その写真と生徒証の文字が、まるで初めからそうであったかのように一瞬で消え失せた。証明写真があるべき場所は空っぽで、生徒氏名欄は未記入のまま。生徒証のフォーマットだけがそこにあった。
顔を上げ、説明を求めて夏樫を見るが、彼女は顎をしゃくって緑の髪の少女を示した。
「カンタンに説明してあげてもらってええか、さくら?」
「うん。それがさくらの役割だから」
夏樫に頷いた咲良という少女はソファから立ち上がり、白い壁の前に立った。いつの間にか手にしていたクレヨンを、無邪気な子どものように壁にこすりつけて何かを書き殴る。和服の女性、紅葉は心配そうに冬壁と、ベッドからこちらを眺めている夏樫を窺うが、彼女も夏樫も子どものいたずら書きのような行為を止めようとしなかった。
虹のように七色のクレヨンで色分けした、大きな円が一つと小さな円がいくつも記される。
「この大きなのが、あなたのいた世界。小さいのは他の並行世界。いっぱいあるから描ききれないけど」
口にしながら、咲良は虹色の円の中に簡素な棒人間をいくつか描き込んでいく。それぞれの棒人間の胸からは赤い糸のようなものが飛び出し、円の中心の点に繋がっている。
「世界に生きている生き物たちは、その世界と繋がっている。世界とその人との縁とか、絆とか、そういう繋がりで。その世界で生きて、その世界で死ぬために。そうして世界は出来上がってる」
淡々とした説明に冬壁がただ耳を傾けるしか出来ないでいると、咲良は白い壁に真っ黒なクレヨンで大きな鋏を刻み付ける。そのコントラストは禍々しく冬壁の目に焼き付いた。
「過去にあなたの世界に現れた、あらゆるものを切り取る“絶対切断のカミキリバサミ”。この異質物は、ある男が手に入れ、自分の偏執的な欲求のために使っていた」
「あの男の……鋏……!?」
夕暮れと鮮血に染まる部屋で見た、赤いシミと黒い髪の切れ端で汚れた鋏――剣を振るう少女を殺した鋏――冬壁が男の頸動脈を切り裂いた鋏。
冬壁のかすれた喉から漏れ出した問いに、咲良は壁の絵に向き合ったまま頷く。
「そう。そして、あなたが“絶対切断のカミキリバサミ”で使用者を殺したことで――」
「さくら! 正当防衛でしょ!」
「もみじ、分かっとるから今はお口チャック、やで」
口を挟む紅葉を、夏樫が穏やかに制する。
「あなたが使用者を殺したことで、異質物はあなたの中に取り込まれ、性質を変えて“絶対裁断の黒鋏”になった。そしてそれが目覚め――」
そして、棒人間の一つを繋ぐ糸に荒々しい×印を叩きつける。
「あなたは、あなたと世界を繋ぐモノを切り裂いた」
糸を切られた棒人間を塗りつぶし、円の外、鋏の傍に白いクレヨンで棒人間を描く。
「これが、今のあなた。自分という存在を世界から切り離して、どの世界にも存在してない。
さっきもいったけど、あなたという存在と、世界との絆が消滅したことで、あなたの戸籍、他人のあなたの記憶、血縁関係。それらは全て断ち切られた。あなたを知っているもの、あなたを証明するものは全て、存在しなくなった。
夏樫小雪があなたを拾わなければ、世界の狭間で消滅していた。」
冬壁は、握りしめたままだった白紙の生徒手帳に目を落とした。
「じゃあ……わたしはもう戻れないし、戻っても……」
もはや愛を感じられない母親も、冬壁をいじめた生徒たちも、暴露動画を上げた配信者も、誰も冬壁を知らない、覚えていない。
それは、もはや攻撃されないという以上に、耐えがたい恐怖だった。
そして、それをやったのが自分だということに体を震わせた。
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