4章

第18話 ある日の夜

 泥酔して醜態をさらしたあの日から、私の日常は大きく変わった。

 ママができたのだ。しかも、まだ高校生の男の子だ。

 私自身なぜこうなったのかはよく分からない。でも気がついたらこうなっていた。


 誰かにバレたら不味い状態ではあるけれど、後悔はしていない。

 だってあの日以来、私の私生活はまともなものになったのだから。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 家に帰ると迎えてくれる人がいることが、これほど幸せなことだと思わなかった。

 朝にいってらっしゃいと見送ってもらい、帰ってきたらおかえりなさいと迎えてもらう。それだけで私の毎日はバラ色だ。

 

 はじめくんがママになってから半月が経った。

 生活を共にしているから、互いの距離はだいぶ縮まったはずだ。

 彼も時折冗談を言ってくれるようになった。


「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……僕にしますか?」

「はじめくんにする」

「えっ!?」


 はじめくんとしては、私が狼狽えるところを見たかったのだろうが、私がはじめくんと即答したことで、彼が狼狽える結果になった。

 顔を真っ赤にして、手をあたふたと動かしている。

 笑いながら彼の頭に手を置いて、リビングへと向かった。


「また僕をからかって遊んでますね!」


 ぷんぷんと怒っているが、恐ろしさはなく、小動物のようで可愛らしいとしか思えない。

 本人も本気で怒っていないからなおさらだ。


「ふふ、はじめくんには癒されるよ」

「そう言ってもらえると、僕も嬉しいです」


 仕事の愚痴を言いながら、リビングでジャケットを脱ぐ。はじめくんにジャケットを渡して、寝室に入って部屋着に着替えた。

 何日も共同生活をしていると、なんとなく暗黙の了解のようなルールができてくる。

 着替えるときは寝室で着替えて、脱いだ衣服に関しては、スーツだけははじめくんに手渡し、残りは洗濯機のそばに置いてある籠に入れる決まりになった。


「今日もお仕事お疲れ様です」


 一緒に晩ごはんを食べながら、はじめくんが労ってくれる。

 私が今日の仕事の愚痴を言うと、面白そうに聞いてくれるので私もついつい話してしまう。きっと私のストレス解消に大いに役立っていることだろう。

 

 はじめくんはあらゆる家事をこなしてくれて、私の世話をしてくれる。

 慕われている……のだろうか。

 正直なところ、彼がなぜ私のママになって甲斐甲斐しく世話をしてくれるのかはよく分かっていない。時折聞いてみても、はぐらかされて終わってしまう。


 一番分かりやすい理由を想定するならば、私を異性として好いているから。

 でも、いやらしい視線は感じないし、無遠慮に見てきたりもしない。

 もちろん、時折私の身体に反応しているなと思うときもある。でも私に恋愛感情を持っているというよりは、あの年ごろなら当然の反応だろう。いや、むしろあの年ごろとしては、反応が薄すぎるかもしれない。


「ごちそうさま」

「おそまつさまでした」


 一汁三菜の丁寧に作られた晩ごはんを食べ終わった。

 今日のメニューは和風だった。さわらのみぞれ和えと煮物、ほうれん草のおひたし、そして味噌汁だ。

 はじめくんの出す料理はいつも手作りだ。

 「作り置きしたりしてるから意外と楽ですよ」と語っているが、相当に大変だと思う。

 まともに料理ができない私にとってはその労力が想像もつかない。

 後片づけも全てはじめくんがしてくれるので、私はソファーに座りながらテレビを見る。

 これから至福の時間が始まるのだ。


「はい、どうぞ」

「待ってました!」


 はじめくんがテーブルの上に冷えたコップを置いた。中には当然ビールが注がれている。

 今日は少し暑かったから、キンキンに冷えたビールが一層美味しく感じた。


「ぷはぁ!」


 美味しい。

 美味しいけど、もう少し飲みたい。


「もう一杯……だめ?」

「だめです」


 食器を洗いながら、はじめくんが冷たい声で言う。

 共同生活における暗黙のルールが、最近また一つ新しく作られた。

 ついお酒を飲みすぎてしまうため、飲んでいいのははじめくんが入れてくれたお酒だけということになった。

 基本的に、一日一杯しか認めてもらえない。

 数を減らしたかわりに、はじめくんなりに気を利かせてくれて、よりビールを美味しく楽しめるようにコップを冷やしてくれている。

 そのせいで余計においしく感じて、もっと飲みたくなってしまう。


 大体のことは仕方ないとすましてくれる、だだ甘なはじめくんだが、お酒に関しては厳しい。

 飲むときは飲めばいいが、普段は数を減らすべきという考えらしい。至極まっとうであり、何の反論もできない。

 でも、はじめくんに冷たく断られることも、それはそれで楽しいので、いつもお酒をねだるのであった。

 許してくれればラッキーだし、断られても楽しい。

 どちらに転んでも私はハッピーだ。


「勉強するね」


 はじめくんと一緒に生活することになって、私が新しく始めた習慣がある。

 それは資格の勉強だ。

 以前からちょっとずつ進めていたけれど、実をいうと今まではあまり進んでいなかった。

 今勉強中の資格は、仕事に必須ではないけれど、あったら多少見栄がよくなる程度のものだ。

 資格の習得を通して得た知識が仕事に役立つこともあるし、できれば取りたいと思っていたけれど、必須でないこともあり中々勉強のための時間をとれないでいた。


 はじめくんによると、私が勉強しているときは仕事ができる女性に見えるらしい。

 勉強しているとよく視線を感じる。

 憧れの人を見るような目でこちらを見てくれている。

 恥ずかしいけれど、悪い気はしない。

 年下の可愛い男の子にそんな目で見られて嬉しくない女がいるはずがない!


(あれ?)


 はじめくんがLINEをしていた。

 恐らく相手は高校の友だちで、しかも女の子だ。

 スマホを買った翌日の夜にスタンプの送り方を聞かれ、そのときの送信相手が御厨レイラさんという女の子だった。

 プロフィールに登録してある写真を見たけれど、とんでもない美少女だった!

 使い方を教えるために、はじめくんと金髪美少女とのLINEのやり取りを見せてもらった。

 高校生の男女による青春をかいま見たようで、私は目がくらむのであった。


(むむむ)


 スマホを購入してから、1週間ほど経っただろうか。

 今もあの女子高生とのやり取りは続いているらしい。


(私ははじめくんになるべくLINEしないようにしてるのに!)


 初日にLINE爆撃をして以来、私は自重しているのだ。

 にもかかわらず女子高生は平気でLINEをしてくる。

 私は大事なママがとられる嫉妬で怒り狂うのであった。

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