第14話 ムカつく

 レイラは午後の最初の授業である国語を担当する教師のことを苦手としていた。

 みんなからはヒスババアと言われている、眼鏡の女教師だ。

 規律に厳しく、服装が乱れているレイラに対してもよく注意してくる。

 余計なことを言われないために、いつも授業は真面目に受けていた。

 だが今日ばかりは、とても授業に身が入らない。レイラはため息をついた。


「私の授業がそんなにつまらないかしら? それだけ退屈なら、今教えてるところもよくお分かりなんでしょうね」

「げっ」

「A太郎がB次郎に『お前とはもうこれっきりだ』と言ったときの気持ちを教えてちょうだい」

「気持ちって、そりゃぁもう会うことはないってことでしょ」

「いつも言っているでしょう。行間を読みなさい」

「はい……」


 そもそも国語は苦手だ。

 外国で暮らしていた時期も長く、日本語は難しいと感じるし、行間を読み取ることも苦手だった。

 だから国語教師に当てられないように、いつも真面目に受けているのに、今日は運が悪い。

 レイラが不貞腐れていると、教室の扉が勢いよく開いた。


「遅れてすいません!」

「あら、確かお二人は体調不良で欠席だと聞いていたけれど」

「治りました!」

「なぁ先生、みんなにどうしても言わなきゃいけないことがあるんだ。授業中なのは分かってるけど、少し時間をください」


 山本に真剣な顔で見つめられて、国語教師は顔を赤くして頷いた。

 規律はいいのかよ!? レイラは心の中で突っ込む。

 山本が教卓にあがって、心配かけてごめんと謝った。


「大事なところでミスって試合に負けた俺のことを、みんなが励まそうとしてくれてたのは知ってる。でも自分が情けなくて、みんなのやさしさを受け止められなかった」


 本当にごめん、そしてありがとうと言って頭を下げる彼の顔は、午前中とは正反対に清々しいものだった。

 クラスメイトたちが山本をからかい、彼は笑って返す。いつものにぎやかなクラスの雰囲気が戻ってきた。

 

「もういいかしら?」

「あ、はい。ありがとうございます、先生」


 山本は教卓から降り、傍で見守るように立っていた笹内の元に行く。


「ありがとな、はじめ」

「カッコよかったよ、圭吾くん」

「おう」


 2人はいつの間に下の名前で呼び合うようになったのだろうか。

 山本が笹内の前にこぶしを突き出し、笹内が恥ずかしそうにこぶしを合わせた。山本も恥ずかしかったのか、へへっと照れ笑いを浮かべながら指で鼻を擦っている。


「思わぬ伏兵!」


 友人の立花舞が急に立ち上がり、親指を突き出して、グッジョブのポーズをとる。

 舞は肉食系ギャルであると同時にオタクでもあった。

 レイラにはよく分からない世界だったが、男同士の恋愛を妄想することが好きらしい。

 少し前に「クラスの男子たちは妄想できる要素が足りない」と嘆いていて、呆れはてたこともある。


「素晴らしいわ!」


 国語教師も、なぜか二人を見て興奮していた。


「もしかして先生もいける口?」

「な、なんのことかしら、おほほ」


 男子っていいよなぁ。

 決して舞や国語教師二人と同列にはしてほしくないが、レイラも彼ら二人の関係を羨ましく思った。

 レイラは人から男勝りな性格をしていると言われることもある。

 でも男同士のバカっぽい友情関係は、女であるレイラには立ち入れない領域だった。




    ◆




 放課後、レイラは笹内を呼び止めた。


「ありがと」

「えっと……何が?」


 笹内が困惑している。

 呼びした理由もよく分からないまま、お礼を言われたから当然だ。


「山本のこと。あんたが山本を励ましたんだろ?」

「あぁ、その件ね」

「私は何もできなかった。それどころか、山本を怒らせちまった」


 元々いつ爆発してもおかしくなかった。しかし、レイラの軽はずみな行動が引き金になってしまったことは間違いない。


「僕は山本くんのそばにいただけだよ」

「どんなやりとりがあったかは分からない。でもあんたと山本が一緒に帰ってきて、あいつは立ち直っていた」


 以前は笹内と山本は親密ではなかったはずだ。友人と言えるほどの関係性はなかった。

 でも山本が飛び出した後、2人の間に何かがあったのだろう。互いに名前で呼び合うほどの仲になっている。


「山本くんが自分で自分を立ち直らせたんだ」

「だとしても、礼を言わせて」

「僕はやりたいことをやっただけなんだけど……。まぁ、どういたしまして」


 レイラは笹内はじめを嫌っていた。

 彼にはやりたいことが何一つないように思えたからだ。

 クラスの中には、コミュニケーションをとることが苦手であまり他人と関わろうとしない者もいる。でも彼らは彼らなりに、やりたいことをやっているように思う。

 笹内は違う。自分と他人の間に壁を設けているわりに、一人でやりたいことも特にないように見えた。

 『やりたいことをやる』というのが信条のレイラにとっては、決して相容れないはずの人間だった。


「御厨さんは真っすぐだね」

「どうせあたしは考えなしで、可愛げのない女だ」


 相手の気持ちを察することができず、から回ってしまう。

 変えたくても変えられない欠点だ。


「御厨さんはすごく可愛いと思うよ」

「は、はぁ?」

「それじゃぁ僕は家でやりたいことがあるから帰るね」


 レイラは可愛いと言われ慣れている。

 でも、今言われた「可愛い」はいつも言われているものとは違う気がした。異性に向けたものではなく、まるで子どもに対して言うときのそれだ。

 教室から去っていく彼の後ろ姿を見ながら、レイラはつぶやいた。


「ムカつく」

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