第13話 はじめの青春
今日は素晴らしい日だ。
いつもと同じように登校し授業を受ける。そんな代わり映えのない一日かもしれないけど、僕にとっては素晴らしい一日だった。
正確に言えば、今日も素晴らしい日だ。毎日が素晴らしい。
僕がこう思えるのも、桜子さんのママになったからだろう。
今日も彼女の朝ごはんを用意し、弁当を渡して、非常に充実した朝だった。
ジャケットを着せてあげるときなんて幸せの洪水状態だった。
幸せを噛みしめながら、僕は登校する。
通学路を歩いていると、とある家の庭にあやめが咲いていることに気がついた。
いつも見ていた何気ない光景も、僕が気がつかなかっただけで、彩り鮮やかに輝いているのだ。
下駄箱で見かけた御厨さんが落ち込んでて不思議に思っていたけど、上機嫌のままクラスに入る。
室内の雰囲気がどこかぎこちない。
隣の席でスマホを触っている女子に尋ねたら教えてくれた。
彼女がサッカーのルールをよく分かっていないせいで理解するのに時間がかかった。
山本くんがPKを外した結果、負けてしまったらしい。
彼はクラスのみんなに応援にきてほしいと頼んでいた。
それが仇となり、試合を見に行ってPKを外した場面を見たクラスメイトも多い。
僕は山本くんの試合のことはすっかり忘れていた。
元々行く気がなかったし、何よりこの土日は、僕の人生の大きな転換点となった日なのだ。クラスメイトの試合どころではなかった。
◆
山本くんは授業が始まるギリギリに教室に入ってきた。
いつもなら朝練をしてからクラスに来るけど、今日はしていないようだ。
クラスメイトたちが声をかける前に始業を告げるチャイムが鳴り、先生が入ってくる。
授業が終わると山本くんはすぐに苛立った様子で教室を出てどこかへ行く。そしてまた、授業が始まるころに戻ってくる。
御厨さんは毎回、なにか言葉をかけようとして失敗していた。
他のクラスメイトたちも似たようなものだ。
山本くんはクラスの人気者だ。
いつも僕たちのクラスの中心にいる。
彼が落ち込んでいると、クラス全体の雰囲気も下がってしまう。
「その……残念だったな」
昼休みになって、ついに業をきらしたのか、御厨さんが山本くんのもとに突撃した。
クラスのみんなが固唾をのんで見守っている。
「辛い気持ちは分かる。でも、元気出しなよ」
「……」
山本くんは押し黙って俯いたままだ。
あの山本くんが御厨さんを無視するとは、やはりかなりの重症なのだろう。
「山本は頑張ってたよ。2点目決めたときなんか、すげーカッコよかったと思うしさ」
「御厨……試合、見にきてたのか?」
山本くんが顔を上げる。
その顔に宿った感情は、恐れだった。
「えっ? ま、まぁ、たまたま暇だったし? あたしも見てたから分かる。あんたがいなきゃ、そもそもPKにならずに負けてた。あそこまで接戦になったのも山本の活躍のおかげだ。だから、そう自分を責めるなって」
励まそうとしたはずが、どんどん雰囲気が悪くなることを察したのか、御厨さんは焦りを見せて、早口でまくし立てた。
御厨さんの精一杯の励ましを聞いて、山本くんの青白くなっていた顔が徐々に赤く変化していく。
うーん。
あまり良くないかもしれない。
御厨さんの隣にいる立花さんも、あちゃーという顔だ。
「俺を憐れまないでくれ!」
「あっ……」
山本くんは激昂し、そして教室を出ていく。
御厨さんはその背中に手を伸ばし、空振った。
御厨さんの励ましは逆効果だった。
山本くんは御厨さんのことが好きなのだ。そういう相手に対しては、自分が失態をおかしたときには、そっとしておいてほしいだろう。
夫婦や長く付き合っている恋人のように深い関係なら、慰めてほしいと思うかもしれないけど、2人は付き合ってすらいない。
山本くんがいなくなった教室には、重苦しい空気が漂った。
◆
裏庭に、日当たりも悪く、あまり人もよりつかないベンチがある。
フェンスや壁が障害となって、外からも校舎からも見えない場所だ。
昼休みでもあまり人が来ない場所に僕はやってきた。
「ここにいると思った」
「……笹内」
山本くんがベンチに座っていた。
学校の外に出るほどヤンチャじゃなかったようだ。校内で一人になれる場所となれば、選択肢は限られてくる。
「隣に座ってていい?」
「勝手にしろ」
山本くんは鬱陶しそうだ。
クラスでも腫れもの扱いだったし、きっと一人になりたいはずだ。だから誰も来ないベンチに来たのに、僕の存在は迷惑だろう。
「ありがとう」
なるべく距離をとりたいのか、山本くんがベンチの端に移動した。
僕は反対側の端に座る。
見るからに憔悴していた。先週とは大違いだ。
彼はいつも笑顔でクラスの中心にいる。スクールカーストが存在するとしたら、一番上のグループに位置しているだろう。
でも今はそんな人気者の姿とはほど遠い。
「……」
特に何かを話すこともなく、互いにベンチの端に座ったまま時間が過ぎていく。
グラウンドの方からは生徒たちの元気な声が聞こえる。
公式戦で敗北した翌日であっても、サッカー部の人たちも昼練をしているようだ。キーパーがどうとか、ナイスシュートとか聞こえてきた。
彼らの声が山本くんを苛立たせる。座ってうつむき、両手を握りしめた。
チャイムが鳴った。
昼休み終了の5分前を告げる予鈴だ。外に出ていた生徒たちは教室へと戻る。
騒がしかった校内は、徐々に静かになっていった。
「なぁ、チャイム鳴ったぞ」
「うん」
今すぐ戻らないと間に合わない。
午前中もなんだかんだでちゃんと授業に出ていた山本くんがそわそわしている。
「戻らないのか?」
「僕と山本くんは午後の授業に出ないって若宮先生に伝えてるから大丈夫だよ」
「……はぁ?」
「戻りたいの?」
「いや……でも、よく若宮がオッケーしてくれたな」
「青春してきますって言ったら許可もらえたよ」
「はぁ? なんでそれでオッケーなんだよ。つうかお前って……意外とバカなんだな」
頭をガシガシとかいて呆れている。
そして、授業の始まりを示す本鈴が鳴った。
「サボっちまったじゃねえか……はぁ」
山本くんはベンチの背もたれに身体をあずけて、両肘を背もたれの上端にのせながら、空を見上げた。
「つうか笹内は何しにきたんだ? 俺を慰めにきたんじゃないのか?」
「誰かが傍にいることが必要だって思っただけだよ。その役目は、僕にできることだと思ったから」
「どうせいるなら、慰めるぐらいしろよ」
「うーん、運動部のことは良く分からないしなぁ」
「笹内は確か帰宅部だったか?」
「そうだよ。だから勝敗のかかったPKを外したときの気持ちなんて分からない」
「お、おい、そこはもっとこうオブラートに包んでくれよ」
「だから教えてよ。どんな気持ちなの?」
ベンチの端から距離を詰め、身を乗り出しながら尋ねた。
「迫ってくんじゃねぇ……分かった、分かったから! 話すから、ちょっと離れてくれ」
そして彼は自分の気持ちを話し始めた。
「俺が出場するせいでベンチになった先輩がいるんだ。その先輩は悔しいはずなのに練習中もいつもサポートしてくれた」
「良い先輩だね」
「あぁ、本当に良い人なんだ。だから、せめてものお礼として、インターハイに連れていってあげたかった。でも相手は強豪校でさ、勝てるかどうか不安で、だから自分自身を鼓舞するために、クラスのみんなを誘ったんだ」
「なるほど」
「その結果がこれだ。PKのとき、俺は自分に負けた。俺の蹴りに勝敗がかかっていると思ったとき、その重圧に耐えられなかった。攻めた結果じゃない。守りにいって失敗したんだ」
「うーん。攻めにいって外したなら、まだ自分を許せたのかもね」
「あぁ、俺には合わせる顔がねえんだ。応援にきてくれたあいつらにも、引退が決まった先輩たちにも……ほんと、情けねえ」
「そうだね、情けないよ」
山本くんはそうだよなぁと苦笑しながら、ベンチに寝転がり、腕を組みながら僕を見上げた。
「これから、どうすればいいと思う?」
「山本くんはどうしたいんですか?」
「そうだな……こそこそするのは柄じゃない。いっちょ、ぶつかってみるか!」
山本くんが気合を入れて、立ち上がった。
その顔には決意が宿っていた。
「はやく戻るぞ。俺は優等生なんだよ。授業をサボるだなんて、落ち着いてらんねぇ」
「今の山本くんは、すごくカッコいいよ」
「はぁ? バカにしてる……訳でもなさそうだな。お前、変なやつだわ」
「そうかな?」
「あぁ、とびきりの変人だ。笹内って下の名前、なんていうんだ?」
「はじめだよ」
「俺はお前をはじめって呼ぶから、お前も圭吾って呼んでいいぞ」
「分かった、圭吾くん」
「その……ありがとな、はじめ」
女性を下の名前で呼ぶのは桜子さんが初めてだったけど、男性を下の名前で呼ぶのは山本くん――いや、圭吾くんが初めてかもしれない。
桜子さんの名前を呼ぶときよりも、なんというか気恥ずかしい、むずがゆいような気持ちになった。
僕は思った。
きっとこの気持ちこそ、青春なのだろう。
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