第4話 神宮寺さんの部屋

「あの……入らないんですか?」


 扉を開けて中に入ってもらい、さっさと家に戻ろうという目論見は、神宮寺さんによってぶち壊される。

 彼女は地面にへたり込んで動く気配を見せない。

 酔っ払いがちゃんと動いてくれると思ったことが間違いだったようだ。


「もううごけなーい」


 あしつかれたー、と足をバタバタしている。

 普通に動けそうなんだけど……。


「ん!」


 神宮寺さんが両腕を広げて僕を見ている。

 これは要するに、自分を部屋まで運んでいけということなのだろう。

 こっちは女性のプライバシーを侵さないように気をつけているのに意味がなかったようだ。


「はぁ、仕方のない人ですね」


 神宮寺さんを注意する気力もない。

 早く運んでおさらばしよう。

 神宮寺さんに近づいて、肩を貸して一緒に立ち上がった。

 朝にすれ違うときはいい匂いがしていたのに、今は濃厚なアルコールの香りしかしない。一体どれほどお酒を飲んだのだろうか。


「えへへ」


 神宮寺さんは何が楽しいのか笑っている。

 だらしがないけど……可愛い。


「入りますね」


 僕は玄関扉を開けて、神宮寺さんの家へと入った。

 家族以外の異性の家に入るのは、これが初めてだ。記念すべき初訪問がこんな形になってしまうとは……。

 むなしく思いつつ、それでもやっぱり心のどこかで、憧れの神宮寺さんの家に入れることにドキドキしながら、僕は家の中に入った。


「失礼しま……えっ?」




    ◆




 驚愕が限界を超えると案外冷静になる。

 僕は今日、そのことを知った。


 神宮寺さんとともに彼女の部屋の中に入ると、悲惨な光景が広がっていた。

 ゴミの入った袋が散らばっているし、飲み干したお酒の缶や瓶が何本も転がっている。ぐちゃぐちゃになった服も散乱している。

 はっきり言ってしまうと汚部屋だ。

 誤字じゃない。お部屋じゃなく、汚部屋だ。

 

 初めて異性の家に、しかも憧れていた人の家に訪問したら、その部屋が汚部屋だった。

 そんな人は僕以外にいるだろうか。

 普段部屋が汚い人は少なからずいる。でも彼らは彼らなりに、人を招待する際にはものを押し入れに全部押し込んで取り繕ったりはするはずだ。

 偶然にも部屋の中に入ることになったせいで、僕は一切遠慮のない汚部屋に入ることになってしまった。

 

「はやくいこーよ」


 足の踏み場がないような気がするんですが。

 実際に住んでいる当人の神宮寺さんは気にした様子はない。

 本当にここを歩くのか。

 すぐにでも神宮寺さんを放り捨てて帰ってしまいたい。

 

 今思えば、さっきまでの泥酔しているだけの状態は可愛いものだった。

 普段きっちりしている神宮寺さんがお酒を飲むとベロンベロンになってしまう、というのは一種のギャップだし、そこまで悪いことじゃないかもしれない。

 でも……これはない。

 論外だ。

 女性として――いや、人として駄目だろう。


 ゴミをかき分けながら進んで、なんとかリビングにたどり着いた。

 リビングやキッチンも汚い。

 幸いなことに生ごみ系はちゃんと処分しているらしい。部屋の美観は最悪だけれど悪臭はしてこない。

 ソファーの上に散らばっていた荷物を全部動かして、神宮寺さんをソファーに寝かせた。


「みずー」

「今持ってきますね。冷蔵庫あけますよ?」

「はやくー」


 もうデリカシーもなにも考える必要はないだろうけど、一応許可をとって冷蔵庫をあけた。

 あー。なるほど、そうきたか。

 ミネラルウォーター、お茶、ジュースといった飲み物を期待して冷蔵庫を開いたけれど、中に入っていたのはお酒だけだった。

 部屋にお酒の空き缶ばかりが転がっていた時点で予想してしかるべきだったかもしれない。

 おつまみの類も見当たらず、お酒しか入っていないのが闇を感じる。

 というか生ごみはちゃんと捨てていると思って感心していたけれど、冷蔵庫の中身を見る限り、そもそも生ごみが出るようなものを家で食べていないだけなのかもしれない。

 

「僕の家から水をもってくるので待っていてくださいね」

「あい」


 僕は急いで水を取りに戻った。

 神宮寺さんの部屋に戻ると、神宮寺さんはソファーから床に落ちて、お尻をつきだして四つん這いになっていた。

 セクシーというより、なんだかマヌケだ。

 

「どうしてそうなるんですか……」


 ソファーに再度座らせて、ペットボトルの水を渡す。

 力が入らないのか、受け取ったペットボトルをすぐに落としてしまう。コップじゃなくてペットボトルにしたのは英断だったようだ。


「仕方ないですね」


 床に転がったペットボトルを拾い、キャップをあける。

 神宮寺さんの半開きの口に、ペットボトルの飲み口を当てた。

 ごくごくと水を美味しそうに飲んでいる。

 無事に飲んでくれて嬉しくなってしまい、僕はペットボトルを傾けていく。

 

「ごふっ!」


 飲める限界を超えてしまい、神宮寺さんがふき出した。

 ペットボトルや口から水がこぼれて、神宮寺さんの白いシャツにかかってしまう。

 シャツが濡れたことで、胸元が透けて見える。

 黒だ。

 黒いブラジャーが、大きく湾曲して胸を覆っている。


「じー」

「……はっ!」


 神宮寺さんのジト目の視線に気がついて我に返った。

 思わず見入ってしまった。

 どれだけ醜態を晒していようとも、彼女の胸は目に毒だ。


「え、えーっと……とりあえず早くシャワーでも浴びて寝てください」

「めんどくさい」

「今のまま寝たら、肌に悪いですよ。待ってますから早くシャワー浴びてきてください」

「わかった」


 正直なところ、もう帰ってしまいたい。

 でも浴室で倒れたりしそうだ。それで翌日になって死んでた、なんて事態になったら後悔してもしきれない。

 さすがに浴室までつきあう気はないけれど、ここで待っておくぐらいはすべきだろう。


「ちゃんと着替えも持っていってくださいね」


 浴室にふらふらーっと直行しようとしたので釘をさす。

 僕がここで待っておくことを決めた以上は、裸のまま出てくるなんてハプニングは避けたい。

 引き戸を開けて、神宮寺さんは寝室へと入っていった。

 成り行き上、寝室も見えてしまったけれど、他と同じように酷い状況だ。

 ゴミの袋や衣服が転がっている。

 服をタンスにしまったりはていないのだろう。床に落ちている服を拾って浴室へと向かっていった。

 

「……はぁ」

 

 神宮寺さんがシャワーを浴び始めて、ようやくひと息つくことができた。

 うーむ。今日は激動の一日だ。

 僕の人生の中でもトップクラスに濃い一日だった。

 

 まさか僕が女性の部屋に入っているだなんて今でも信じられない。

 幸いというべきなのか、部屋の惨状がひどいため、女性の部屋に一人でいる背徳感や気まずさといったものは一切ない。むしろ汚い部屋への嫌悪感が勝っている。

 

 ソファーに座って神宮寺さんを待っていると、浴室から何かが落ちるような音がした。


「大丈夫ですか!?」

「おー」


 浴室の扉と洗面所の扉で隔てられていても、ちゃんと聞き取れる音量で返事ができているから、怪我をしたりはしていないだろう。

 おそらくシャンプーの容器か何かを落としたに違いない。

 安堵してソファーに戻った。


「はぁ」


 人騒がせな女性だ。

 ゆっくりしている暇もないらしい。

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