本日は晴天なり

① 撲滅の誓い

 三日後。


 京香達はモルグ島から帰ることに成った。


 ヨーロッパ本土と行き来する定期船。これに乗り込み、車に揺られ、空港に行き、飛行機に乗れば第六課はシカバネ町に帰れるのだ。


 船場にはアネモイ2とクレマン・ガルシアが見送りに来ていた。


 カラッとした日差しと僅かに乾燥した潮風が京香の頬を撫でる。


 この数日でモルグ島、いや、ヨーロッパ一帯を覆っていた分厚い雲は全て消え去った。


 ヨーロッパの空は再び人の手に落ち、元通りの静謐に管理された天候とその恩恵が人々に降り注ぐ。


――包帯が無ければもっと気持ち良いのに。


 京香の体は包帯でグルグル巻きだった。左腕はギブスで固定されたままだし、他のパーツも大体がギブスと包帯が巻かれている。正直砂鉄入りのトレンチコートがただただ重かった。


「%#&#$$%$#$&(&$%&‘’%#&#$$%$%&‘())’&%$##$%」


 クレマンが何かを言っているが京香にはチンプンカンプンだった。モルグ島から持って来たトーキンver5は壊れてしまったからだ。


「『この度は本当にありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。謝礼は後日振り込ませていただきます』と言っていマス、キョウカ」


「アタシ達もアネモイとセリアを取り逃がしてごめん、高原達の動向が分かったら教えてって伝えて」


「はイ。%#“%$(”&%“%”%)“‘”’!」#)%“‘”)’&“))(‘$&%”&’」


 ヤマダに通訳を頼み、京香はクレマンと会話する。そのクレマンのすぐ近くではアネモイ2がフワフワニコニコと浮いていた。


 アネモイ2の顔はアネモイと瓜二つだ。それは当たり前で、ある意味で悲しいと京香は思った。


 そのままクレマンと二三のやり取りを終えた頃、定期船がモルグ島に到着した。


 最新のクルーザーだ。本土まで二時間もあれば到着する。


「$#%&$」


「『それでは、さようなら。また会える日を楽しみにしています』ですっテ」


「ええ、こちらこそ。また会いましょ。今度は観光で来るわ」


「%%((#&#%)”#)」


 クレマンと握手し、そのままクルーザーに向かおうという時、アネモイ2が口を開いた。


「$#&(Q”’&%’#$」


「『本当にありがとう。楽しかったよ。先代を見つけた時はぼくにも教えてね。多分相手できるのはぼくだけだろうから』」


「ありがと、アネモイ2。でも、あんたも無理しちゃだめよ。起動して早々、脳に結構な負荷を掛けたんだから」


 アネモイとの戦闘中、アネモイ2はPSIを過剰出力した。マイケルの換算では脳の寿命は二十年減り、残り三十年程度らしい。


「――!」


 アネモイ2が晴れやかに笑った。少年にも少女にも見えるキョンシーはこれからもヨーロッパを支え続けるだろう。


「じゃあね、アネモイ2。長生きしなさいよ」


「#%‘“($&((”%’)(&&#」


「%%YU‘(&)!」


「『また会おうね!』ですっテ」


 アハハハハ!


 アハハハハ!


 アハハハハ!


 アネモイ2の笑い声がモルグ島に響く。その声を聞きながら京香達はクルーザーへと乗り込んだ。




 クルーザーの座席に荷物を置き三十分後。京香は霊幻を連れてデッキに居た。第六課の部下達には二人にする様に伝えてある。


 ザザー。ザザー。ザザー。


 塩味を感じる潮風が唇を撫でていく。波音が鼓膜を刺激し、その音を聞きながら京香の視線は何処か遠い場所に固定されていた。


「ハハハハハハハハハハハハ! 京香よ、素晴らしい天気だ! 釣り日和だな!」


「そうね。今度皆で行きましょうか」


 霊幻の笑い声は変わらない。応急処置的な修理がされた体は継ぎ接ぎだらけで、歪なフランケンシュタインだ。モルグ島に戻ったらすぐに修理に出さなければいけない。


 ハハハハハハハハハハハハ!


 京香がいつも聞く笑い声。いつもならばこの笑い声を聞くだけで精神はある程度の安定を見せる。だが、今日は、いや、この数日はそう成らなかった。


 京香の脳裏に三日前交戦した、高原が連れたあのマグネトロキネシストの姿が過ぎる。


 それは繰り返し繰り返しメトロノームの様に再生され、脳にこびり付いてしまった。


 喪服姿のキョンシー。女性体。細身で中背。


 あの一瞬の交戦中、蘇生符の奥の顔を京香は見た。


「……ねえ、霊幻。あのキョンシーのことなんだけどさ」


「どのキョンシーのことだ?」


「あのマグネトロキネシスト。アタシの砂鉄とぶつかり合ったやつ」


「おお、アレか! 凄まじいマグネトロキネシストだったな! 吾輩では相性的に勝てんぞアレは!」


 躊躇いがちに京香は問い掛けた。このキョンシーに聞いたとして解決する訳では無い。


 だが、今抱えている、胸を捩じられる様な吐き気を催す痛みを共有できるのは霊幻だけだった。


「アンタはあのキョンシーの顔、見た? 眼の記録に残ってるよね?」


「ああ、見たぞ! 蘇生符で中央大部分が覆われているがな!」


――それじゃあ、


 京香は胸の奥の重い物を吐き出す様に霊幻の顔を見た。


 継ぎ接ぎの中の紫の瞳に自分の顔が映る。


「あの顔さ、アタシにはすごく見覚えがあった顔なんだ。アンタも知ってる顔なんだけど。どう思う?」


 京香の問い掛けに霊幻は「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」と大きく笑った。


「そ、そうよね。アタシの見間違いよね」


 このまま笑い飛ばして欲しかった。霊幻が馬鹿らしいと一蹴してくれれば、京香の胸の痛みは去り、また前の様に戦う事が出来る。


「うん、そうね。ごめん、気にしないで。あんな一瞬だったんだもの。見間違ってもおかしくないわ。アタシも今回はPSIを使い過ぎたのかしら」


 ハハ! 京香には分かっていた。これはただの悪足掻きだ。自分があの顔を見間違うはずが無いのだ。


 そして、霊幻がその言葉を口にした。


「お前が見間違うはずが無いだろう! あのキョンシーの顔はその物だった!」


 ヒュッ。京香は息を呑んだ。


 清金カナエ。京香の最愛の母親の名前だ。


 もう言い逃れできない。その顔と全く同じキョンシーがあそこには居たのだ。


 京香は呑んでしまった空気をゆっくりと吐き、掠れる様な声で呟いた。


「………………そっか」


「そうだ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 一体、墓荒らしは誰だろうな!」


 ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!


 笑い声が響く中、京香の胸にぽっかりと穴の様な痛みが生まれた。


 痛みは悲しみへと変換され、怒りへ昇華する。


 一体、母の顔を模したあのキョンシーが何者かは分からない。


 だが、アレが京香の思い出を冒涜する物である事は確かだった。


 時間にして五分かそこら、京香は口を閉じて海と空を見つめ続けた。


 ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!


 相棒の笑い声に身を預けながら、胸の中で荒れ狂う怒りを抑えるのにそれだけの時間が掛かったのだ。


「……ねえ、霊幻。アタシ、決めたことがあるの」


「おお! 言ってみるが良い!」


 京香は右手を伸ばし、霊幻の頬を撫でた。


「あのキョンシーを使った奴ら、全員撲滅してやる」


「素晴らしい! 吾輩もそう思っていた!」




 更に十分、京香は霊幻と共に潮風にその身を晒し、ブルッとした寒さに襲われた。アネモイ2で天候を再び制御したとは言え、もう十一月だ。ヨーロッパの空気は冷たかった。


 その寒さで、身を縮ませ、京香は懐の内ポケットに入れていたある物に気づいた。


 ゴソゴソと右手を懐に入れ、そこから京香は紙で包まれた二つのキャンディを取り出した。


「はい、霊幻、あげる。舐めちゃいましょ」


「ん? 了解だ」


 アネモイがまだちゃんと喋れていた時に貰ったキャンディだ。


 包み紙を開き、京香は黄緑色のキャンディを口の中に入れた。


――……ブドウ味ね。


 人工甘味料をふんだんに使ったブドウ味のキャンディだった。


 このキャンディをアネモイはあの展望室でセリアと何度も舐めたのだろう。


「……あっま」


 それだけ言って最後に青空を見上げた後、京香は霊幻を連れ、クルーザーの中へと戻った。

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