⑥ 裏切りの打診




***




 ビュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー!


 ビュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!


『アネモイ、防いで!』


『kやndをどz!』


 上空二千メートル、アネモイが生んだ雲を背にセリアは叫んでいた。


 ビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュンビュン!


 風を破る音を立てながらセリア達へ不可視の槍が放たれ、それら全てがアネモイの生んだ風の防壁と激突する。


 ババババババババババババババアアアアアアアアアアァァアアアアアアアアアアァァァァァァァアアアアアアァァアアアアアアアアアアァァァァァァァアアアアアアァァアアアアアアアアアアァァァァァァァァン!


 連続して空気が弾ける音がした。衝撃波が遅れてセリアとアネモイを吹き飛ばす。


『ッ! ……ッ!』


 おかしくなりそうな聴覚を無視して、セリアは必死に下方へ目を向ける。


 そこにはアネモイ2とキョウスケ達が居た。


 もう何度もセリアはホムラが作り出した炎に焼かれている。風圧と雨ですぐさま消化されたが、一瞬とは言え何度も炙られた彼女の体には火傷の跡が複数でき、髪の先がチリチリに成っていた。


――痛いなんて言ってられない。


 セリアはヨーロッパを裏切ったのだ。アネモイのために今まで積み上げてきた全てを捨てたのだ。


 捨てた物はあまりに重く、目的を完遂できなければ、何もかもが無と化してしまう。


『セリア! さっさと投降しろ!』


 ドップラー効果を受けたキョウスケの声が聞こえる。彼が保有する二体のキョンシー、パイロキネシストのホムラ、そして、テレパシストのココミ。アネモイ2のスペックはアネモイとほぼ同等。ならば、戦力の天秤は相手に傾いている。


 セリアは考える。どうすれば逃げ切れるのか。キョンシーで戦った経験が無い。有効策は何で、最も避けなければいけないことは何でなのか、判断材料はほぼ皆無だ。


 本当ならば、研究所でアネモイを連れて一気に逃げるはずだった。そういう作戦を協力者達と立てていた。


 しかし、裏切りはバレていた。


 いつ、どのタイミングで裏切りがばれたのか。何もかもがセリアの協力者の言う通りだった。


 セリアは思い出す。自分がこのヨーロッパを、何もかもを裏切ると決めたあの日の事を。







 セリアに〝ヨーロッパを裏切らないか〟という打診が来たのはココミと言うテレパシストが発見され、ヨーロッパがアネモイ2へのPSI移行計画を立ち上げてすぐのことだった。


 打診をして来たのは、アジア系の日本人の老人と黒スーツを着た複数人の男女だった。


 休日、PSI移行計画のショックからモルグ島を宛所無く歩いていたセリアにその老人達が接触したのだ。


 二三体のキョンシーを連れた彼らの代表者である老人はこう言った。


『我々に協力するならば、アネモイを壊さずに済むぞ』


 その提案はあまりに暴力的な魅力を持っていた。


 平常時であれば、セリアは老人達の提案を一蹴し、速やかに気象塔へ連絡していただろう。


 しかし、寝耳に水だったアネモイとの別れ、これから先自分では想像が付かない急速な崩壊を起こしていくアネモイの未来予想図、今まで培ってきたアネモイとの思い出、それら全てが判断を鈍らせた。


『返事は後日聞こう。覚悟が決まったら来たまえ』


 老人達がその場から去るまでセリアは声を出せなかった。


 頭の中は、降って湧いた〝アネモイともっと一緒に居られるかもしれない〟という事実だけが脳内でリフレインしていた。




 キョウカ達がモルグ島から派遣されてきてからも、何度も裏切りの打診が来た。黒スーツ達は何処からかセリアへのプライベートメールや電話番号を入手し、それを通じてモルグ島の外れや路地裏にセリアを呼び出した。


 そこでセリアは入れ代わり立ち代わり、ヨーロッパを裏切ってアネモイを連れて彼らの組織へ入れと言う打診を受けたのだ。


 セリアの中でストレスが嵐の様に渦を巻いていた。PSIインストール作業を終える度、崩壊していくアネモイの姿が心に吹く嵐の強さを激烈に強くしていった。


 彼女の心は徐々に徐々にヨーロッパを裏切る方向へと舵を切り、アネモイとの会話が会話の様な物に成ったその日、裏切りを決断した。


 嵐の中、アネモイ2へのPSIインストール作業中、レインコートを着たセリアは研究所の外でその組織の連中へ返事をした。


 黒スーツに囲まれた白髪の老人がセリアへ握手をした。


『歓迎しよう。PSIインストール作業最終日、アネモイを連れて逃げてきたまえ。後は我々が君達を回収する。その時に我々の組織の名前を教えよう』


『……はい』


 セリアは心苦しかった。たった一体の、役目を終えたキョンシーのためにこれまでの全てを捨てようとしている。


 老人はこう続けた。


『だが、気を付けたまえ。今、君が裏切ると決めたことは、その部屋に居るテレパシストにほぼ確実に感付かれる。この飴を舐めると良い。特殊な電磁場を出す飴だ。胃の中に入れていれば、しばらくの間は思考を読まれないで済む。上手く立ち回ってくれ』


 老人から手渡された装飾紙。それに包まれた十個程度の飴玉を一つ舐め、残りをセリアは懐に入れ研究所に戻った。



 そして、最終日前夜、セリアはアネモイにこの黒スーツの組織から渡された飴を舐めさせた。


 微弱な電磁場を出し続けるこの飴玉は人間には害は無い。だが、キョンシー相手であれば蘇生符の働きを一部阻害し、自律型キョンシーの意思を一時的に薄弱化させる効果があった。


 アネモイは一時的に他律型のキョンシーと成り、セリアの命令に従う様に成った。


 天真爛漫な晴れやかな笑顔は消え、虚空を見つめるアネモイに、セリアは自分が間違えていると確信し、それでもヨーロッパへの裏切りを止めなかった。







 最終インストール後、セリアはアネモイに命令し、一気に研究所から逃げ出す気でいた。


 しかし、それはキョウスケ達に阻まれ、今こうして空の上でアネモイと逃げている。


――逃げるだけじゃ、だめか。


 できれば、セリアは誰も傷つけず、ただモルグ島から去りたかった。アネモイ2が居るからヨーロッパの異常気象はこれから先収まっていくだろう。このまま自分達が消えるのが短絡的には最も被害が少ないのだ。


 だが、逃げるだけでは意味が無いと、十数の火傷の中でセリアは悟った。


 逃げ切るためには倒すしかない。


『アネモイ、ごめんなさい。


『yえあ』


 初めて出された明確な戦闘命令に、アネモイは竜巻を生むことで答えた。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 竜巻の太さは直径三十メートル。それが三本、アネモイに付き従う様に虚空より生まれ落ちる!


『! 避けろ!』


 下方でキョウスケの声が聞こえる。


 それと同時に、アネモイが生み出した竜巻がまるでドラゴンの様にキョウスケ達へと突撃した。




 自分に恵まれた未来があるとセリアは欠片も思っていない。きっと、セリアがヨーロッパを裏切り今から入ろうとしている組織は自分を使い潰す。セリアの立場はとても弱く、アネモイとこれからも居られるかさえ曖昧だ。


 それでも、このヨーロッパに尽くしてきた風の神の終わりがこんな惨めな物ではなく、穏やかな陽だまりの様な物であれる可能性があるのなら、セリア・マリエーヌはそれに賭けるしかなかった。

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