② 嵐の隙間と葡萄畑の回想







 三時間後、セリアはアネモイと共に研究所に居た。奥の部屋の二つのベッド。そこに二体のアネモイが寝かされている。中央右側に現行機、中央左側には次世代機だ。


 その二体の間にはシカバネ町から呼び寄せたテレパシスト、ココミが立っている。ホムラと言う全く同じ顔をしたパイロキネシストに抱き着かれ、二体の後ろでは持ち主のキョウスケが居た。


 セリアの眼には見えないが、今、二体のアネモイはココミのテレパシーで繋がれ、PSIや記憶の複製作業が行われている。


 たった今本日三回目のPSIインストール作業が始まったのだ。


 部屋に置かれた計測機器のモニターの信号はせわしなく、研究員達が喜色を浮かべた顔で動き始める


 特に外部からのキョンシー技師であるマイケルのテンションが高かった


『ワーオ! ファンタスティック! エクセレント! 半場じゃないぜ!』


 ポヨンポヨン。狸の様な大きな腹を激しく揺らしながらあっちこっちに跳ね、キーボードとマウスを弄り始めた。


 十秒か二十秒。研究員達のてんやわんやの喝采が部屋へと響く。


『首尾は?』


 きっと良いのだろう。それが分かっていてセリアは近くに居た若い研究員へ呼び止めた。


『はい! 素晴らしいです。まさか、本当にPSIの譲渡が可能だなんて。見てください、ここの数字が急速に増えているでしょう? これは大脳皮質の電子パラメータを検出した物なんです。あ、海馬の電子パターンも左右で同じ物に近づいているでしょう? 記憶のコピーも順調です』


 研究員の言葉は理系らしく早口で文章量が多く、PSIと記憶のコピーが順調であることだけ分かった。


 PSIコピー中のアネモイ達の顔に感情は浮かんでいない。虚無の瞳が天井を眺め、只の死体の様だ。


 太陽の様な笑顔は雲に隠れてしまった様で、見る影も無い。


『すいません。私は一度外に出ます』


 一言断りを入れてセリアは部屋から出て行った。


 後、五分でこのインストール作業が終了する。その時、アネモイはまた何かを失っているのだ。


 セリアはレインコートを着て研究所の外に出た。アネモイが脳を弄られているこの時間だけ、ヨーロッパの空はその支配を神へと返上し、嵐が弱まるのだ。


 ビュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー、ザー!


 ビュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!


 それでも外の風雨は激しく、人が出るのには向かない天気だった。外に出ている人間は数える程しか居ない。


 セリアにとってあのまま部屋に居て虚無の顔をしたアネモイを見つめるよりこちらの方がマシだった。


 研究所の奥からここに出てくるまで一分半。後三分もすればまたこの嵐は強くなるだろう。


『……アネモイ』


 セリアはアネモイと出会いを思い出した。







 初めてアネモイと出会ったのはセリアが未だ十歳の時だ。フランスの片田舎。豊かな農産地帯。祖父母、両親、年の離れた兄と姉と共に、葡萄畑で暮らすありふれた少女だった。


 葡萄は水分の少ない土地でも生きる事の出来る生命力の高い植物だ。故に、アネモイのおかげで水豊かな地域と成ったセリアの故郷においてわざわざ葡萄を育てる意味はあまり無かった。


 事実、セリアの周りの農家は育てていた葡萄畑を潰し、キュウリやトマトなどの水分が必要な作物を作っていた。


 セリアは両親と祖父母に問い掛けたことがある。何故、周りの様に今の土地に適した作物を育てないのか。


 彼ら彼女らは皆微笑んでセリアの頭を撫でた。そして、風の神様に頼ってばかりじゃいけないんだよ、と諭す様に言ったのだ。


 その言葉の意味を幼いセリアは良く分からなかった。大人に成った今でも分かっていない。


 さておき、セリアが奇特な葡萄畑の家の子供として過ごしていたある日、偶々、本当に偶々アネモイがセリア達の町へ来たのだ。


 セリアはその日、いつもの様に葡萄畑に居て、熟したばかりの葡萄を一房捥いで食べていた。母に見つかったら怒られるが、そもそも豊作なのだ。少女一人の腹分など誤差に過ぎない。


『やあ、小さなレディ。美味しそうな葡萄だね!』


 頭上高くからそう声を掛けられ、セリアはビックリした。驚き過ぎて持っていた葡萄を落としてしまった。


 弾かれた様に顔を上げ、セリアは息を飲んだ。


 綺麗。それがセリアの胸から最初に浮かんだ言葉だった。


 少年か、少女かは分からなかった。自分と同じくらいの年頃の額に蘇生符を貼ったキョンシーがニコニコと自分を見ていた。


 陽光がそのキョンシーを照らし、フワフワとした風が葡萄の葉を揺らしていた。


 お日様が降りてきたのだとセリアは勝手にそう思った。


『ぼくはアネモイ。君の名前は?』


『――』


 セリアの頭は真っ白だった。ただこのキョンシーに見惚れ、綺麗とはこう言う物を指すのだと魂で理解するばかりだった。


 結局、アネモイにまともな返事をセリアはできなかった。だが、アネモイは嫌な顔一つせず、ニコニコと笑ったまま、『またね!』と何処かに行ってしまったのだ。


 ボーっと熱に浮かされた様にセリアは家に帰り、アネモイに会ったという話を家族にした。


『ああ、セリアは風の神様に出会ったんだねぇ』


 祖父母と両親が嬉しそうにセリアに言った。


 あのアネモイこそがこのヨーロッパを救った風の神。あのキョンシーのおかげでヨーロッパは地球の楽園と化した。我々はその感謝を忘れてはいけない。今日、風の神様と話せたことを良い思い出にして忘れないようにしておきなさい。


 忘れるはずが無かった。忘れられるわけが無かった。あの綺麗な姿はセリアの魂に刻まれ、ある意味で彼女の人生を決定づけたのだ。


 セリアはまたアネモイに会いたかった。今度はちゃんとお話ししたかったのだ。




 そうして、気づいたらセリアはアネモイの付き人に成っていた。運命の悪戯か、ヨーロッパ気象局に勤めたセリアは、磨き上げた堪能な語学力、高校大学を飛び級する学力を見込まれアネモイの付き人に選ばれたのだ。

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