第74話 為すべきことはタヌキの手助け

「ポメリコ・ポンポコリーナ……。長いので、リコで結構です」


 獣少女と私の他には誰もいないこの状況、さらにわざわざ自分の名前を改めて独りごちる理由も考えにくいことから、この言葉は私に向けられたものであるとして間違いないだろう。そう確信した私の胸の辺りが何だかぽかぽかと温まっているのがわかった。どういうわけか知らないが、私は「リコ」という名前、その語の響きをとても素敵に、愛おしく感じているようである。



「……うん、そうか、リコ。……リコか。うん、ポメリコ……うん……。良い名だと思うよ……」


 私の頭は突如としてその役目を放棄しだしたのか、思考がままならないままで「リコ、リコ」と反芻した挙句、月並みな言葉しか捻り出すことが出来なかったのが不甲斐ない。勿論良い名であると感じたのは本当なのだけれど……それにしてももう少し気の利いた褒め方というのがあるだろう。


 さらに私の無能ぶりは留まることを知らない。「ここはどこ?」とか「いつからここに?」とか、名前を聞いてから次にどんなことを話そうかといくつか考えていたにも関わらず、その一切を忘れてただ茫然と突っ立っていたのである。リコはそんな私を見かねてか、つんと突っぱねた口調はそのままであったが助け舟を出してくれた。


「リコの方は名乗ったのに、あなたの名前は教えてくれないのですか」

「アッ……。そ、そうだね。うん。そうだ。まだ私の方が名乗っていなかった。私は……。…………ええと……。……アレ? 私の名前は……」

「わかりませんか」

「いや、そんな馬鹿な。自分の名前がわからないだなんて……。名前……。……私は…………ええと、ええと…………」

「……リコはまだここにいますから。思い出せたら教えてください」


 こう言ってくれるのはありがたかったが、それから私がどんなに云々頭を捻らせても、走っても逆立ちしても大きな欠伸をしてみても、どうしても自分の名を思い出すことはできなかった。それらしきものが思い浮かんでくるどころか、この場所で目が覚めて「穏やかなところだナア」と思う以前のことの一切合切を忘れてしまっている始末である。しかし記憶を無くしてしまっていることについては、少し動揺しこそすれ、「動揺することはしっかりと覚えているのだナア」と感心する気持ちの方が強く、変に取り乱すということはなかった。


 黙々と考えていても埒が明かないので、名前は思い出したことにして適当にでっち上げることにした。今の私にとって大事なことは自分の名前を思い出すことよりも、リコの助けとなることである。リコに横で難しい顔をされると気になって、どうにも気持ち良く眠ることができないので困る。リコと親交を深め、リコの抱えている困難を打開し、互いに霧の晴れたような心地でいなければならない。それなのに私が自分の名を思い出せない程度のことで二の足を踏んでいる場合ではない。


 私の名前は「ソラ」であることにしよう、と、浅はかながらも空の蒼色を目に映しながらそう考えた。そうと決まれば後は早い。リコに名前を思い出したから改めて名乗らせてくれと言おうと、私はこちらに背を向けているリコの背中に手をやり呼びかけた。いたずらに尻尾を撫でてやろうかとも思ったが、リコが嫌がるだろうと思ったので止めた。


 ……この次の瞬間に脳内を駆け巡った映像、いや、全身全霊で感じさせられた膨大な情報の津波と言うべきか。私には「何もかも吸いつくしてしまいそうな暗黒色の何か」としか感じられなかったその「何か」によって、私の意識はどうやら失われてしまったらしい。


 らしい、と曖昧に言うのは、リコがこのように説明してくれたためである。

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