第54話 大事なものは、でりけえと

 あまりに途方もない話だと思った。殺す、ではなく、滅ぼす。それの言葉は決して誇張や脅しではないのだろう。淡々と、粛々と、伸びすぎた枝葉や雑草を刈り取るように平然と。「彼女」は人間を一人残らずこの土地から消し去るつもりだ……。


 このような、私が頭の中で考えていたアレコレはしかし心にまで到達することはなく、従って私が狼狽えたり、怯えたりすることなどは一切無かった。私は餌を求める鯉のように阿保たらしくだらしない口元を晒しながら、「エッ……エッ……」と、どもることしか出来なかった。


「まあそう驚くこともなかろうて」


「彼女」は極めて平坦に、冷静に続けた。「要するに、いち種族としての領分をはみ出してしまったのだからな。せっかく叡智を授けてやったと言うのに、まったくヒトとは愚かなものじゃのう」


 やれやれ、といった感じで掌を上に向ける「彼女」仕草にリコを思い出す。同時に、今目の前で話している「彼女」はリコではないのだという確信を抱いた。リコではない、何かおぞましいものがリコの身体を支配して物騒なことを言っているという事実に、吐き気を催す程の嫌悪感を覚えた。動悸が早まる。息が荒くなる。身体中に熱が走る。これはきっと、神酒とかいう液体の効力ではない。


「……なぜそれを、私に……私に話すのですか。私に……どうして……」


 消え入りそうなか細い声。しかし確実に絞り出したその内容は、あくまでも話を続けるためのものである。単に激情に任せて怒り、暴れ出したり、泣きながら首を垂れて赦しを乞うたりすることをしても何にもならない。少なくとも細波が私の立場にいたらそんなことはしないだろう。あるいはもっと飄々と、形ばかりでも対等に、のらりくらりと立ち回るのかもしれないが、不器用が服を着て歩いているような私にはこのくらいが精いっぱいであった。しかし、それでも、悔しいけれど、細波のおかげで爆発してしまいそうな感情をなんとか抑え込むことができたことは確かだった。


「ほう、なかなか胆力の強いものじゃのう。いつでも話して良いとは言ったが、まさか質問されるとは思わなんだぞ。良い良い、答えてやろう。隠すつもりもないでな。お主にこの話をするのは、この娘がお主のことを……キュウ! ……おや? おかしい。……ええと、お主にこの話をするのは……キュウ! ……ふむ」


 そのとき、完全無欠かに思えた「彼女」の様子が目に見えておかしくなっていた。重要なところで急にタヌキの鳴き声を出し、何度やり直しても「彼女」は私になぜ話したかを説明することができなかった。そのうちに「彼女」は神妙な表情で腕を組みだし、やがて胸に手を当てながら申し訳なさそうに言った。


「すまんのう。この娘は、わしを通してそのことを言われるのがどうしても嫌らしい。まったく、乙女心は難しいものじゃて……」

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