第52話 シツレイがあってはならない。

 私はこれといった宗教思想や観念などを持ち合わせているわけではない。クリスマスにはケーキを食べ、新年には実家近くの神社へ初詣に参る。そこには信心も信仰もなく、ただただ儀礼や儀式を淡々とこなすのみである。それでも超常的な現象については人並みに、畏怖や畏敬の念を感じている。例えば神社の鳥居をくぐるときには必ず一礼をするし、盆と正月には祖父母の墓を参ることもする。そのたびに霊やら、神さまやらの存在のほんのひとかけら。おもかげを感じるような気がするのだ。


 今、目の前にいる「彼女」が放っている存在感はまさにそのおもかげをそのまま色濃くうつし出したようなもので、強大で、圧倒的で、一つの生物では太刀打ちすることはおろか、ほんの少し抵抗することでさえ到底かなわないことを容易に想像させる。それ故に私の身体はまったく活動を停止させてしまったかのようにぴくりとも動かず、もちろん声を出すこともできず、代わりに腹の底からは、むせ返るほどの緊張が上ってきた。


「そう硬くなるな。楽にして良いぞ…………フム、喋れんか。困ったのう……そうじゃ、これでも飲むか? なに、お主も以前飲んでおったものじゃ」


 「彼女」はそう言って私の前にずいと瓢箪を差し出した。その瓢箪からは以前ポコと飲み交わしたあの液体の芳醇な香りが漂っている。


「神酒、黄金水、光水……お主らはコレに色々な名をつけておったが、何のことはない。多摩の地の恩恵じゃ。もちろんあるこおるなんぞは入っておらんぞ? かっかっか」


 朗らかに笑う「彼女」と裏腹に、私は極めて厳粛にその瓢箪を受け取った。そうせざるを得なかった。とても一緒になってのんきに顔を緩ませようなどとは思えなかったのだが……。そのまま無言で一口、飲み込むと身体の芯から指先まで温まり、少しだけ落ち着けた。しかしまだ「彼女」と口をきける状態には遠い。恐るべき強大な力の前では、ただただ閉口して身をすくめるしかないのだと、私の本能が告げている。


「……むう、まだ緊張しておるのか。良い良い! こちらで勝手に話を進めさせてもらうよ。そうだな……、まずはお主が疑問に思っていることについて答えてやろうかのう。ポコロコ……ポコに昔ばなしをさせたのは、わしに会う前にわしのことを知ってもらう必要があったから。そしてこの場所を選んだ理由は、ここがいわゆる秘境、隠れ園だからじゃよ。……うん? ああ、ああ、わしにはお主の考えていることなど手に取るようにわかるぞ。これでもこの地の守護者じゃからのう。かっかっか……」

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