第31話 大切なコトは目の前に?

「確認したいこと?」ポコの髭が耳をくすぐってこそばゆいのを我慢しながら、私は尋ねた。

「ああそうだ」ポコは注意深く、後ろのリコには聞こえないくらいの声で言った。


 ポコの表情は今までに見たことが無いほど険しい。眉間に深いしわが刻まれ、じろりとこちらを見るその目は昨日瓢箪水を酌み交わした仲とはとても思えない程だったので、私は自然と背筋を伸ばし、神妙な面持ちで次の言葉を待つ。


 緊張で口の中が少し乾いているけれど、辺りにもやがかかっているせいだろうか。不思議と喉の渇きは無かった。朝ぼけた身体を気持ちよく冷やすくらいに涼しく、それでいて不快でない、良い霧だ。


「もしかして、リコの話している言葉がわからないのか?」


 そう問われ、さんざ引っ張っておいて何を今さらと、その瞬間は思った私であったが、ポコがいたって真剣であったので茶化すことなどできはしないと感じてゆっくりと頷いた。


「ああ。私にはただ『キュウ』と鳴く声にしか聞こえない」

「そうか……。参ったな、どうすればいいのやらだ」


 またもや頭を抱えるポコを、次の瞬間、リコがむんずとわしづかみにして私の肩から引っぺがした。


「キュウウウウ!」


 そして唸る。どうやら私とポコがひそひそと内緒話をしているのがお気に召さなかったようだ。ポコは暴れることなく腕を組んだままリコに掲げられ、何やら思案しているようであった。しばらくその状態で歩き続けていたのだが、突然ポコがカッと目を見開いて言った。


「ええい、ごちゃごちゃ考えてても始まらねえ! おいリコ! ニクウの家に着いたらちょいとばかし話をするぞ。多分お前はショックを受けるが、隠しておいたままでもいられないからな!」


 そしてリコの手の中から脱出し、また私たちを先導し始める。明星が見えなくなり、早朝から朝に変わっていく。

「待て待て、勝手に決めるんじゃない」私は慌てて立ち止まり、ポコを呼び止めた。


「そんな暇は無いんだ。怠惰で薄情で、その上小心者の私でも、一応学生である以上大学には行かなければならない。そして講義を受けなければならない。でないと単位をもらえず、果ては留年、親の脛かじりならぬ脛しゃぶりになってしまう。そして今日は朝一から講義がある。タヌキなんぞにうつつを抜かしている場合では無い」


「タヌキなんぞたあなんだい! ——いや、そうだな。怒っても始まらねえか。いいか、ニクウ。良く聞けよ」

「なんだ、詭弁なら聞きたくもない」

「大学っていうのは大事だよな」

「無論だ」

「なんで大事なんだろうな?」

「それは……、私が学生だからだ」

「ふむふむ、学生だと大学が大事なのか。じゃあ大学に行かないとどうなる?」

「さっきも言ったろ。単位が取れず、卒業もできず。果ては無職になって金は稼げない。すると親の金に頼って生きる情けない人間になってしまう。大学に行くのは、将来のためなのだ」

「将来ねえ、なるほど! じゃあやっぱり今日の朝一の講義は諦めた方が良いな」


 そこまで言って、ポコは再び歩き出した。「恐らくだな、ニクウ。これはお前の将来に大きく関わることなんだから」


「……将来の事なら仕方ないか」


 ぽつりと呟いて私も歩き出す。そこまで熱心に説得されては仕方がない、ということもあるがそれ以上に、私はもう少しこのヘンテコなタヌキたちと一緒に居たいと思ってもいたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る