第17話 人心掌握のすゝめ

 それから暫くの間、リコと花江先輩と「ボス」の三者による歓談は続いた。花江先輩がリコにくっついていると、「ボス」がおどけてみせたりして、リコは出された好物を食べながらそれを見て、くすくす笑った。


 初対面の間柄に存在する壁など初めからなかったかのような、十年来の友人同士水入らずで、久しぶりに飯でも囲んでいるかのような様子である。


 リコは時折私のことを気にしていたくれたが、私たちは定期的にハムや水を振舞われていたのでそれを飲み食いしていたのと、「ボス」が「近江くんは悪者役である前に大切な友人であるからね。何も食べさせない、飲ませないではかわいそうだろう」と言うのに得心がいったようで、そのうちにこちらを見向きもしなくなってしまった。


 人の姿をしていてもそこはしっかりタヌキ。目の前にある甘美なごちそうの山に釘付けというわけだ。なんと情けない! これまでに食べたことの無いほど肉厚で柔らかなハムを堪能しながら、私は心の内で嘆いた。


(まずいな……)細波が久々に、神妙な面持ちで口を開いた。例によって、細波が「まずい」というときは決まって良くないことが起こるときだ。私は辟易しながらも尋ねた。


(まずいとはどういうわけだ)

(俺は、あのリコとかいう多摩タヌキは何だかんだと言っても近江を助けるものだと思っていたんだ。それがどうだ、あの忌々しい二人によって篭絡されかけている)

(待て。何でリコが私を助けるはずだと思ったんだ)

(そりゃ、あれはお前に惚れているからだろう)

(な、なぜ惚れているとわかる)

(逆になぜわからない。あんなにわかりやすいじゃないか。おい! もじもじするな!)


 恋愛に関して細波の推量が当たらなかったことはない。それを知っているからこそ、私はこの細波の言葉でひどく動揺してしまった。


(しかしその当ては外れたんだろう)私は恥ずかしさをこらえながら尋ねた。


(悔しいがその通りだ。いや惚れているのは間違いないんだが。「ボス」の話術によって、よもやあそこまで感情がコントロールされてしまうとは思いもしなかった。もはやあれは催眠や洗脳と同じようなものだ)


(おいおい、催眠とか洗脳とかそんな物騒なことを言うなよ)


 私は細波をなだめようとしたがその甲斐もなく、直後に余裕のない舌打ちをするのが聞こえた。


(悠長なことを言っている場合じゃない。このままだと最悪、多摩が滅びることになるぞ)

(ど、どうしてそうなる)

(思い出せ、『多摩狸異聞録』の内容を)


 記憶をたどってみると、『多摩狸異聞録』には『天に雷鳴とどろき、地は割れるほど——』という記述が確かにあった。


(しかしあれによると、多摩タヌキと鬼とが契りを結ぶ必要があるらしいではないか。リコはともかく、まさか『ボス』が鬼だとでも言うのではあるまいな)


 私が言うと、細波は首を振った。


(違う、『ボス』じゃない。鬼は、——花江だ)

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