第30話 後押し

「いややわ、ぼうーっとして。なにぃ? こっちの悩み?」


 科学館のいつものカウンター。こちらを見ながら小指を立ててニヤリと笑う。どストレートにそんなことを聞かれる関係になれたことは嬉しいがやめてほしい。


「ちがいますよ安田さん。こら、小指! しまってください」


「もうすぐ夏休みやもんねえ。なゆうちゃん連れてどこ行こかなーちてヤラシイこと考えよったんちがうん」


 なおも横目でにやにやと見られて参った。「ちがいますってば」


 具体的に言われて不本意ながら顔が熱くなる。


「ふふ、赤い顔してよう言う」


 すっかり誤解されてしまったのでため息をついて「……進路のことです」と真面目に言ってみた。


 安田さんはにやにや顔から一転、怪訝な顔になって「進路ぉ?」と訊ねた。


「……安田さんは、大学ってどう思いますか」


 安田さんはそういうん、全然わからんよ。そんな答えが来るかと思ったけど、実際のそれは意外なものだった。


「大学かぁ……行かせたよ。息子ふたり」


「えっ……」


「今はひとりは帰ってきて役場におるし、もうひとりは県外のね、大学の近く、いうかまあそっちの方で家庭もって仕事しよる。こういう話はあんまし言わんやけど、孫も四人もおるんよ、私」


 えっ……安田さんって、何歳だ? その疑問も浮かびつつ、自分のことを話す安田さんというのは本当に珍しいもので、いつも『安田さん』と言っていた一人称が『私』だったことも気になりながら改めてその人を見た。


「まあ大学いうもんはねぇ。悪くはない、ち思うよ。何事も経験やしね。勉強だけやなくて、サークル活動とか、ひとり暮らしや、アルバイトも。そんで確実に『就ける仕事』の幅は拡がるやろうし。まあ彦星くんの『やりたいこと』がそこの先にあるかは、安田さんにはわからんけども」


 失礼だけどまさか安田さんからこんなアドバイスをもらえると思っていなかったので反応が鈍った。


「うっふふふ。彦星くん、安田さんを見くびったらあかんよ?」


 見透かしたように得意げに笑われて「す、すみません」と素直に謝った。


 そして「館長なら絶対応援してくれるわ。もちろん、安田さんもねえ」と優しく微笑んでくれた。



「うっそ。そんなに頭いいんだ、彦星くんって」


 夏休み前の学校での面談にて引き攣るように笑いつつそんな正直な感想を言うのは館長だった。


「もちろん本人の意思がいちばん大事やち思いますが、教師としては、こんな可能性がある生徒を潰すいうか、見過ごすいうんは……ねえ」


「なるほどね。いいですね、大学は設備もいいだろうし、エキスパートが揃ってる。僕も行きたかったですよ。頭が全然足りなかったけど」


 はは、と明るく笑ってこちらを向いた。


「その時しかやれないことってあると思うんだ。『悔いなく』って、前に言ったよね? ここを離れる未来をあえて作って、その日までの期間をより濃く、充実したものにするっていうのもいいと俺は思うよ」


 やっぱり、この人の後押しは俺にとっていちばん強力だ。


「だけどね」


 そして、ちゃんと筋を通すのがこの人なんだ。


「西野家からは資金援助は一切しないよ。彦星くんが『学びたくて』行く大学だもんね。実家のお父さんに自分で頼むか、奨学金制度を利用しながらアルバイトで稼ぐか、その覚悟を持って、決めてほしい」


 少し、驚いた。いや、頼りにしようだなんてもちろん思ってはいなかった。けど、そこまで突き放すようなことを言われるとも予想してはいなかった。




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