21『幽霊少女3』
幽霊屋敷の中は、
「お前、本当に大丈夫か」
明らかに先刻までの理由とは違う感情が儚い腕に強烈な力を齎して、必至に左腕を占領する棗美へ駈壟は声を掛けた。彼女は恋心を後悔しながら、震えにむしろ身を委ねているせいか平坦な音程で早口に喋る。
「大丈夫だけど大丈夫じゃないかもだから大丈夫じゃなかったら大丈夫じゃないって言って大丈夫ですか」
「わっ!」
「どぉうわ?!」
駈壟が軽く声を上げただけで、可愛げなどかなぐり捨てて自分の保全に既に全力な棗美の、情けないような勇ましいような痺れるような悲鳴が出た。
「大丈夫そうだな」
「んんんんん!!」
涙が形成されるほどではないが彼女は瞳を潤ませて、怒りで赤く、恐れで青く、とも言える影った顔で棗美は駈壟の腕を力の限りに圧迫する。腕の血流が止まる感覚で流石に駈壟も
二人は玄関で靴を脱ぎ、その靴を出る時に持ちやすいように下駄箱の上に置いてから家に上がる。玄関を上がってすぐ右に続く廊下には、左側、左奥に
「カケルは結構意地が悪いんですね」
未だ目に湿度が残る感覚を感じながら棗美は不機嫌に言う。
「そうそう、そういう悪い奴に引っ掛からない様に、今後は注意して生きていけよ」
「そういう自分はいい奴アピールをする男の人って大体サイアクなんですよ?」
そうは言っても、棗美はやはりどうしても印象最悪な駈壟の事を心の底から嫌っていなかった。
廊下を歩くと、木が何処か腐っているのか、やたらとギシギシという鈍い音が軋む。右側の扉の金属ノブを回すと、静かな屋内に
部屋の中には全く家具や道具が無い。シンクから水が滴り落ちて、ステンレスにぶつかってはボツンという音を定期的に鳴らすだけだった。
「噂通りですね」
棗美が誰にともなく呟く。その言葉に反応せずに駈壟が無言で部屋の中を見ていると、棗美は駈壟の腕を持ったまま更に服の裾を掴んで駈壟の目を見ていた。外光の通りが悪い室内で、僅かに差し込む光を受ける棗美の赤い瞳が、それこそ何かの怪談に出そうなほど更に赤く光ったように見えた。
「あの、会話が無いと……その……」
弱々しい声で呟く。駈壟の目も、空気中の明度よりも少し明るくて、彼の虹彩の黄色が、棗美にとっては唯一恐怖感を和らげる色だった。彼女の瞳に幕を張り続け、光を揺らす消えない涙を見ると、駈壟は部屋の中へ向き直り口を開いた。
「好きな食べ物は」
「え、なんですかその話題の選び方」
「もう喋らん」
「ああああ! ごめんなさい許してください! 話します!」
腕に縋り付いて腕を振り回して棗美は謝り、それに従って駈壟の腕は波を作るように上下に激しく反復した。
「もう知らんもう知らん。俺はもう一言たりとも発しない。お前はこの屋敷に置いて行かれて幽霊少女に食われる運命だ」
「嫌です! ごめんなさい! そんな事しないでください!」
左腕を無視して駈壟は壁のスイッチに触れると天井にある白熱電球が点滅して、じわじわと室内を照らした。凄まじく小さく、カンカカンという微細な金属音のような音がして、その点灯プロセスの普通さもよりこの屋敷を不気味に演出した。
「お前、なんで俺にひっつくんだ」
そう言いながら駈壟は部屋の様子を確認すると、すぐに電気のスイッチを切った。パチンというスイッチの音と同時に、部屋はまた妙に薄暗くなる。
「え? 好きだからです」
キョトンとした声で棗美は答えた。逆に駈壟にはその様子こそ拍子抜けで、疑問の種だった。
「まだ今日出会ったばかりだろ。しかも二時間弱も経ってるか怪しい。普通その段階は、好きとか嫌いとかそういうレベルじゃない、相手への印象が固まらない時間だ」
「一目惚れです」
「そりゃ有り得ん話だ」
さっき一度灯りを点けてしまったからか部屋を出た時の廊下の暗さもより際立つ。二人は空気感に飲まれそうになるのを、言葉を交わす事で
「なんで有り得ないと思うんですか」
「一目惚れをするのは外見がいいからだ。俺の外見でそれをするわけがない」
「確かに」
「今ちょっと否定される事を期待してたんだけどな」
廊下の左の扉は全て無視して駈壟は先に奥の扉へ進む。棗美は本能的に歩みを止めようとして移動の抵抗を生む。その僅かな歩行速度の差異も、駈壟の力が自然と
奥の部屋の扉は簡単に開いた。物理的な抵抗も無く、精神的にも一つ目の扉とは比べ物にならない軽さで開いた。
扉の向こうには、更に扉が二つとシンクが一つあった。洗濯機用の排水パイプらしきものが壁から飛び出ていて、扉のうち一つはガラスが嵌め込まれた扉になっている。シンクには鏡もあり、閉まっている扉の中身がトイレだろうと想像出来た。
二人は中を確認しながら話を続ける。
「でも一目惚れは一目惚れです。顔が良いとか、背格好とかじゃなくて、見た時に、なんだかビビってなったんです。直感と言うか、理由の無い、もっと奥の、私の人格の源になってるような感情そのものというか」
「分からないな」
無配慮に駈壟は否定したが、棗美はそれを肯定する。
「そりゃそうですよ。私も『分かって』はいません。そう『感じた』だけですので」
「それは…………」
長い沈黙が降りる。駈壟の目は部屋の中よりも内側を見つめていて、瞳になんの光も反射していない。瞬きを繰り返して視線が部屋へ戻ると、
「……じゃあ本物かもな」
と言った。
トイレも風呂も、何の異変も無い。多少古いものの、廃れているというほどの荒れも汚れも無い。
駈壟がポケットからスマホを取り出し、棗美もそれを覗き込む形で時間を確認する。
まだ室内に入ってから六分しか経っていない。そんな短い時間を数十分と、長時間と錯覚するほど、二人の精神には自覚できない恐怖心が根付いていた。
棗美は駈壟の腕から右手を離し駈壟の左手を握ろうとする。しかし掌は結局握らないまま彼女は会話を続ける。
「ほんとに本物だって思う?」
疑問は本心だった。彼女は自分の意見を駈壟に肯定された事が不可解だった。
「嘘なのか?」
そしてその棗美の質問も駈壟には不可解に思えて、思わずそう訊き返してしまっていて、棗美は自信無さげな表情で答えた。
「そんなことは無いけど、ちょっと意外だったから」
「悪かったな」
自分でも大人げないと思うほどに駈壟は低い声で答えてしまったが、棗美は満足そうに首を横に振って、彼女の髪がその振幅を
「ううん、悪くない……ですよ」
拙い敬語を思い出した様に添えて、棗美は嬉しそうに笑った。
左奥にあった
左の
駈壟と棗美が玄関からすぐ右へ曲がる廊下の奥へ進んだのを見届けて、六人は入り口を眺める事を止めた。
塀の外側に沿うように立って道側を眺めていると、附口は来た道の奥に『お客様を満足させるのが、我々のプライドです』と書かれたホテルの看板を見つけた。
「あのさ」
ふと塚掘が話し出す。
「聞いていいか分かんないけど、さっきキド君が言ってた『あの事件』って何のこと?」
「ああ、それは多分、カケルが一番最初に調べてた事件の事だ」
率先して答えながら附口はスマホを操作し、事件の記事を検索して表示する。塚掘以外の中学生三人もその画面を覗き込み、明湖はブレザーのポケットに手を入れて壁に
「これって、通学路の坂から見えてたビルのやつ?」
ぼんやりと塚掘の記憶にもその光景は浮かんでいて、駈壟のような変人以外も、流石にあの破壊の様子を知らないという事は無かった。
「そうそう。この事件と、鈴の音事件の犯人が同じかもって考えてるみたい」
「鈴の音事件?」
「ああ、そだね」
附口はまた別の記事を開き、塚掘達はそれをしばらく読んで、
「ふ~ん、こんな事あったんだ」
と絵里奈が呟いた。絵里奈が身を引くと今度は千夏がスマホの画面に近付いた。
「最初はこれを調べてたんですか?」
画面をじっと読みながら千夏が訊くと、スマホを支える附口の代わりに明湖が答えた。
「いや、それはビル壁の破壊事件を調べながら見つけた事件なの。カケルは最初っから壁破壊事件の事を能力者の仕業かもって思ってたみたいで、手掛かりを探してたらその記事を見つけたの」
補足を聞くと塚掘が更に質問を重ねる。
「じゃあ、キド君はもしかして都市伝説そのものじゃなくて、能力者に繋がる事を調べてるの?」
その言葉を聞くと、明湖の説明の流れが完全に止まって「ん?」という言葉が落ちた。
附口も何かに気付いた顔をして、一度目を
「……そうか、能力者の事を調べてたのか。だからあの日ロケットを探さなかったんだ」
「え、何、ロケット?」
完全に一瞬で理解を置いて行かれた塚掘の言葉が、附口を我に返した。
「あっ、ごめん、これは過去の依頼の話で、多分守秘義務したほうがいい奴なんだ。でも……ツカボリ君の言う通りかもね。今回もカケルが能力者が居るかもって思った途端に、興味を持ち始めたみたいだし」
「じゃあ、カケルには探偵になりたいって事以外にも、何か探偵をする目的が更にあるって事?」
明湖が会話に入って、言語化された違和感が、また先ほどまでとは別の、重たい空気を漂わせ始める。
眼鏡を上げようとして附口は自分の
「いや、多分カケルはそもそも探偵になりたいわけじゃないんだと思う。もっと別の何かを調べてるんだ……。カヤマさんがクラスメイトから聴いた都市伝説の中に、能力者に関係ありそうな都市伝説って何かあった?」
記憶を検索して明湖は数秒で思い出す。
「あった! 政府が秘密裏に研究してた、能力者を人工的に生み出して能力者の軍隊を作るための人体実験場がこの町にあるって噂」
わざわざ訊いてから否定する事の心苦しさを噛み締めながら附口は言った。
「あー、それは流石に
「えー? 後は幽霊少女と、向こうのお化け屋敷と、動物がゾンビ化するウイルス兵器と、山の中に巨大シェルターが実はあるとか、それくらいよ?」
「ん? 動物がゾンビ化するって」
項の一つに塚掘が引っ掛かった。そう聞いた瞬間に、明湖も附口も、そして兄から話を聞かされていた美紀も、一斉に息を止める。
不自然に感じられる程の速度で道が一気に光を失い、太陽が雲で覆われていく。徐々に灰色へ沈んでいく町が、平衡感覚を僅かに揺らす。
明湖と塚掘の脳裏には鼠の姿が鮮明に想起されるが、何の事情も知らない絵里奈と千夏は四人の危機感を感じ取らない。
「皆どうしたの?」
軽い気持ちで絵里奈が質問するが、美紀が「ううん、なんでもない」と答えると、三人もそれに乗っかって話を終わらせようとした。しかしこういう場面に
「えー、絶対今なんかあったでしょ! 仲間外れだ!」
「いや、違うの。これは、その」
身を滅ぼす類の不注意な好奇心を
「ほれほれ! 白状せい! ネタは上がってるんだぞ~?」
「あの、待って、あのね、いや……あ、」
「何してんだお前ら」
「ウヒャアアア?!?!」
いつの間にか家の探索から戻ってきた駈壟と棗美が絵里奈の背後に立っていて、絵里奈から気道をすり抜けるような悲鳴が上がった。
「ちょっと! 戻ったなら言ってよ!」
絵里奈の慌てようとは対称的に棗美は眉一つ動かさずに話す。
「エリ以外皆気付いてたけど」
「何よ! 仲間外れか?! 胸を当てれば落とせるって教えた恩を忘れたか!」
「はあっ?! ちが、知らないし! ただ怖かっただけだし!」
事務所での耳打ちの唐突な暴露に、棗美は動揺の勢いに任せて掴んでいた駈壟の左腕を突き飛ばす。駈壟の脱力した腕が肩から振り子のようになって揺れた。
「ああ、胸を当ててたのか。無さ過ぎて全く気付かんかった」
悪態を吐く駈壟は何故か苦しそうな表情をしている。その場では附口くらいしか表情の真意を悟れなかったが、解放された駈壟の腕にはようやく血が巡りはじめ、無くなっていた感覚が生き返って痺れ始めていた。その苦渋の顔が、棗美の体格が深刻な物であったかのように不の印象へ拍車を掛けていた。
「それはそれで異議有るんですけど?!」
「あ~あ! 折角私がアドバイスしてあげたのに、ナツミちゃんったら。どうやら首尾は良くないみたいね~」
人差し指を左右へ振りながら、絵里奈はマウントを取り始めた。
「そんな事ないし! カケルは私の告白認めてくれたし!」
「いや俺、認めるなんて一言も言ってないだろ」
「えええ!?」
痺れる腕を抑えながら駈壟がノータイムで指摘すると、棗美から思わず高い声が出る。
「なあんで?! なーんーで?! 嘘じゃん!」
「待って待って待って待って今は止めろマジでほんと待って」
駈壟の左腕を掴んで上下に振り動かしながら、棗美は駄々を
その様子を見ながら千夏が青い顔で言った。
「え、ナツミちゃん、会って二時間の男の人に幽霊屋敷の中で告白してしかもフラれたのを成功だと勘違いしたの?」
「ぶっ……!!」
千夏の確認の情報整理が的確であるが故の、どうしようもない程の間抜けさに明湖が噴き出す。
「そこの彼女じゃない人! 何笑ってんのよ!」
棗美の反射的な
「お前のツボも大概意味分からんよな。コーンスープを飲んでなくてよかった」
「待っ……!! ちょ、今コーンスープとか言わないでっ……!」
大したことを言ったつもりは無かったのに、本当に何を言っても面白くなってしまう明湖を見ていると、駈壟は更に追撃を加えずにはいられない。
「今のコーンスープ、噴くほど面白かった?」
「同じ言い回しすんなッッ…………!!!!」
格好の的を射てしまった駈壟の遊撃によって明湖の腹筋は限界に達していた。
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