飯綱江②

 今日は私の集中講義の最終日。


 私はこの前の四日間と同じく、講義室に向かって歩みを進める。


「ふふ、今日も彼は来ているかな?」


 彼……上代耕太のことを考えていると、無意識のうちに口元が緩む。


「思えば、この大学に来てから一番話したことのある学生が彼とは、皮肉なものだな……さて、では最後の授業に向かうか」


 私は講義室の扉を開け、中にいる学生を確認すると……彼はいつもと同じ席に座っていた。


「さあ、授業を始めようか。では、テキストの……」


 私は、いつものように授業を開始した。


 ◇


 ——キーンコーン。


「……さて、今日で私の講義は終了だ。各自、あらかじめ指定したテーマでレポートを夏休み明けに提出するように」


 講義が終わり気が抜けた学生達に対し、気を引き締める意味も込めて釘を刺すと、案の定、学生達は顔をしかめ、がっくりとうなだれた。


 だが、そんな中。


「飯綱先生」


 上代耕太が私に声を掛ける。


「ああ……上代くんか」

「先生、五日間ありがとうございました。すごく分かりやすくて、楽しかったです」


 そう言うと、彼は右手を差し出した。


「うん、私も君みたいな優秀な学生を教えることができて、非常に有意義だったよ」


 私は彼の手を取り、強く握った。


「先生は後期はどんな講義をされるんですか?」

「私か? 残念ながら後期は私が受け持つ授業はないんだ。だから、もっぱら本町先生の助手をすることになるよ。元々、私はそのためにこの大学に採用されたんだからね」

「そうだったんですか……ですが、それでしたらなおさらよろしくお願いします」

「ふふ……そうだな、本町先生のゼミの際はよろしく頼む。また君とは色々と議論を交わしたいしな。そうだ、まだ先の話だが、君は大学を卒業したら本町先生の研究室に入るのかな?」


 そう尋ねると、彼はしばらく考え込むと。


「うーん……僕はそれより早く、生活力というか、責任の持てるようになりたいです」


 そう答える彼の瞳は真っ直ぐだった。


「ふふ、それはこの前の君の彼女のため……かな?」

「あ、あはは……はい」


 私が少しからかうように尋ねると、彼は照れながら、だけど幸せそうな表情で首肯した。


「そうか、君達の幸せを祈っているよ」

「ありがとうございます! とと、それでは失礼します」


 そして、彼は手を振りながら教室を出て行った。


「ふふ……さて、それでは私も研究室に戻るとしよう」


 私も教室を出て、本町教授の研究室へと戻る。


「ふう……さて、ぞれじゃ……」


 パソコンを立ち上げ、集中講義を受けた学生名簿ファイルを開くと、今回の集中講義における採点を始める。


 もちろんレポートの内容が一番の採点多くを占めるが、授業態度や授業中での会話のやり取り等も採点材料の一つだ。


 私は五日間の結果を踏まえ、順に採点していく。


 可、不可、可、良、可、良……。


 次々と採点を続けるが、ある学生のところで採点する手がピタリ、と止まる。


「ふふ……考えるまでもないな」


 上代耕太……“優”。


 そして、私はその後も採点を続けた。


 ◇


「ふう……これで採点は終了、だな」


 右手で肩を押さえて首をコキコキと鳴らすと、デスクに置いてあるペットボトルのお茶を取り、口に含む。


「やあ飯綱くん、お疲れ様」


 後ろから声を掛けられ、振り返ると本町教授がコーヒーカップを手に持ちながら朗らかに微笑んでいた。


「あ、本町先生……」

「集中講義を終えて、どうだったかな?」

「はい、なかなか有意義な講義になったかと思います。学生達も積極的に授業に耳を傾けていました」

「そうかそうか、それは良かった」


 本町教授は私の言葉に、うんうん、と頷いた。


「それと、本町先生が気にかけておられる上代くんですが……」

「お! 彼はどうだった? おもしろい子だろう?」


 上代耕太の名前を出した途端、本町先生は少年のように瞳をキラキラとさせて私に尋ねる。


「はい。彼は本当に優秀な学生……いや、彼を評価するにはそのような言葉はふさわしくないですね。とにかく彼は“おもしろい”」

「そう! そうなんだよ! その独創的な発想といい、思慮深い考察といい、卒業後はぜひとも私の助手として……」

「ふふ……ですが、彼はどうやら早く自立したいようですよ?」

「むむ!? それはどういうことかね!?」


 本町教授は私の言葉に焦った表情を浮かべた。


「彼には研究などよりも、何よりも大切な人がいるみたいです」

「むむ、そうか……よし! ならば学長に掛け合って、彼にそれなりの給料が支払えるように……! 飯綱くん、では失礼するぞ!」


 そう言い残し、本町教授は鼻息荒く研究室を出て行った。


「ふふ……愉快な先生だ。さて、では私もそろそろ……」


 私は手早く帰り支度を済ませ、バッグを手に持ち研究室の扉を開くと。


「やあ、イタチソード」

「カネショウ……」


 そこには、屈託のない表情のカネショウがいた。


「遅くなったけど、準備が整ったよ」

「そうか……なら、行こうか」

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