先輩③

「はあ……昨日はやっちゃったなあ……」


 僕は先生の講義を聞きながら、突っ伏しながら溜息を吐く。


 よりによってあんな往来で、あんなことを大声で言うなんて……。


 だけど、言った言葉に嘘も間違いもない。

 それはそうなんだけど……。


「ふう……とにかく今日は、昨日みたいなことがないようにしないと……」


 うん、そのためにも、まず外で女性と会ったりしないほうがいいな。

 昨日みたいにばったりとこよみさんと遭遇して、またこよみさんのあんな瞳を見たくない。


 ところで。


「……先輩。なんで先輩がこの講義を受けてるんですか? これ、四年生は受ける必要ないですよね?」


 僕は隣に座る先輩をジト目で見る。


「あはは、やだなあ上代くん。君が大学の中じゃないと私と話をしてくれないからじゃない」

「だからといって、今僕は授業中なんですが……」

「うん、講義を受けている最中にこうやって生物工学について語り合うなんて、すごく時間を有効に使ってると思わない?」

「思いません」


 ダメだ、常識が通用しない。

 や、確かに昨日は生物工学談義に花が咲きましたけれども、なんでここまでして……。


「うふふ、だって、この大学でこんなに楽しく話せるの、君しかいないんだもん」

「え? それってボッチってことですか?」

「ち、ちがうから! ちゃんと友達くらい……!」

「そこ、静かにしなさい」

「「す、すいません……」」


 ボッチを指摘されて先輩が声を大にして否定すると、さすがに見かねた教授が僕達に指摘する。


「(と、とにかく、少なくともこの講義が終わるまでは会話はなしで!)」

「(じゃ、じゃあこの後は付き合ってくれる?)」

「(はあ……ちょうどお昼休みですし、お昼ご飯食べながらでよければ……)」

「(ええ! それでいいわ!)」


 ◇


 ということで、僕は仕方なく授業が終わった後、先輩と昼休みにキャンパスの中庭で昼食をとることにした。


「へー、上代くんはお弁当なの?」

「あ、はい。といっても、昨日の残り物ですけど……」


 そう言ってから僕はお弁当箱の蓋を開けると、先輩がお弁当の中身を覗き込んだ。

 そして、僕の顔をまじまじと見た。


「ふーん、自分で作ってるの?」

「ええ、そうですけど……」


 何が言いたいんだろうか?

 今時、一人暮らしの男子大学生がお弁当を作ることなんて珍しくもないと思うんだけど……。


「ふーん、てっきり妹さんが作ってるのかと思ったけど」

「は?」


 先輩の言葉に、僕は首を捻る。

 妹は実家だから、そんなことはあり得ないんだけど……。


「あれ? 昨日の女の子、上代くんの妹さんじゃないの? ほら、中学生くらいの」

「は、はあ!?」


 先輩から放たれた言葉に、僕は思わずのけぞった。


「ち、違いますよ! 彼女は桃原こよみさんと言って、僕より年上の方ですから!」

「え、ええ!?」


 今度は先輩がのけぞる。


「だ、だってあの子、どう見たって!」

「で、ですけど、本当ですから!」


 僕は先輩に必死に説明する。

 でないと、今度二人が会った時、余計なこと言いそうだし……。


「ふ、ふうん……」


 先輩は腑に落ちない表情をしてたけど、とりあえず信じてくれたようだ。


 ホッ、よかった。

 これ以上、こよみさんにつらい思いしてほしくないから、少しでも誤解されないようにしないと。


「そうすると、その、桃原さんだっけ? 上代くんとはどういう関係なの?」

「え、ええ!?」


 ヤバイ!? こんな質問されるなんて考えてなかった!?

 ど、どう答えよう!?


「……ふうん、私、ちょっと分かっちゃった」

「えええええ!?」


 な、何が分かったって言うの!?


「ズバリ! 上代くんは彼女のことが好きなんでしょ!」

「えええええ!?」


 え!? や、その……。

 どうしよう、顔が熱い……。

 別の誰かにハッキリ言われてしまうと、僕自身の気持ちを改めて再認識してしまう……。


「なーんてね! そんな訳ないか! だって、上代くんの前カノとあの人じゃ、タイプが全然違うもんね……って、上代くん?」

「は、はい!?」

「……ふーん、そっか。ちぇ、ワンチャンあるかと思ったのに」

「え、ええと……先輩……?」


 い、一体何のワンチャンがあると!?


「まあいっか。とりあえずご飯食べよ? ていうか、その美味しそうなから揚げ、私にちょうだい!」

「は、はい、どうぞ」


 その後、僕と先輩は雑談をしながら昼休みを過ごした。


 ◇


■由宇視点


「はあ……失敗したなあ……」


 私は思わずうなだれる。


 だって、上代くんがあんなにいい子だなんて思わなかったんだもの。


 それに……彼はあの本を読んでくれて、そして、褒めてくれた。


「もう……だけど、私は後に引くわけにはいかない。たとえ、その上代くんを利用してでも……」


 手で顔を覆い、思案していると。


「……うふふ、あなた達、私に何か用?」


 上代くんの元カノとサッカー自慢のダサい男が後ろからこちらへと近づいてきた。

 気づかれないとでも思ったのかしら。


「フン……ちょっと付き合って欲しいんだけど?」


 上代くんの元カノが射殺すような視線を向ける。


「あらあら、どこに連れて行かれるのかな? で、私は何をされちゃうの?」

「「…………………………」」


 そう言うと、二人は押し黙った。


「ふふ、図星みたいね。まあいいわ、だってあなた、可哀想だもの」

「可哀想ってなによ!」

「あら? 言ってもいいの?」

「べ、別に構わないわよ!」


 ふふ、本当にバカな女。


「じゃあ言ってあげるわ。上代くんに対してつらく当たることでしか自分のアイデンティティを表現できなくて、彼を貶めた結果、自分の存在価値を示せる相手が他にいなくなっちゃったんでしょ?」

「っ!?」


 ホント、分かりやすい。


「で、今度は私に何度もアプローチしても相手にされなかったこのダサい男を当て馬にして、上代くんのマウントを取りに来てる、ってところかしら? ホント、安い女ね」

「っ!? う、うるさい! いいからさっさとついて来なさいよ!」


 本当のことを言われたものだから、彼女は声を荒げることしかできないなんて、ねえ。


「はいはい、じゃあ行きましょ? で、どこに連れてってくれるの?」


 まあいいわ。

 せっかくだから、そうね……彼女を呼び水にして彼を、そして“奴”をおびき寄せることにしましょうか……。


 自分の思い通りにいかないと済まない女が、そのとおりにいくと勘違いして意気揚々と歩く彼女の背中を眺めながら、私は口の端を吊り上げた。

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