最後の冒険②〜兄の役目〜
絵本で見たことがある。蛇のような弾力性のある長い首が八本あり,それぞれに意思があるように動いている。八つの頭の中には落ち着いているものもいれば叫んでいる頭,興奮して火を噴いているものなどさまざまだ。その統率のなさが余計に不気味さを感じさせる。
「こりゃあ,どうしたら良いんだ?」
お手上げと言った状態でジャンが見上げている。幸い,あのヤマタノオロチのような生き物はまだこちらに気付いていない様子だ。
「やれやれ。まあやってみないことには分からないな。意外と鈍くさかったり,皮膚が柔らかいかも知れないし」
ジャンが飛んだ。首の一つに近づいた。そして,綺麗に鎌を振った。首の一つが反応した。鎌は,皮膚には刺さらなかった。重力に身を任せて地上へと降りていくジャンの元へ,一つの首が突進した。ジャンはそれを鎌で受けたが,そのまま突き飛ばされた。大きな音を立てて壁が崩れたが,おそらくジャンは致命傷ほどの傷はおっていないだろう。壁の衝撃をうまく吸収し,受け身を取って地面に落ちたジャンが目に入った。そヤマタノオロチの動きを警戒しながら視線をかいくぐり,そのままこちらに戻ってきた。首の一つ一つなら弱点さえ分かればなんとかなるかも知れない。相手の唐突が取れる前になにか手を打たないと。頭の中で考えが巡ったが,特に名案は浮かばなかった。
自分に何が出来るだろう,と考えてみた。不思議だった。ほんの少し前までは,誰かと一緒にいるときは常に主導権は誰かにあった。それは自分の事であってもだ。物事を決めるときには誰かの指示に従い,自分がどうしたいのかもはっきりしないままに進めていた。なにをするにしても,判断の基準は常に他人の中にあり、自分の中身と言えば吹けば飛んでしまうのではないかと思うほどにスカスカだった。
この旅で,たくさんの人に出会った。多くの出来事があった。それらの出会いや出来事は,薄っぺらい自分にいくらか厚みを持たせてくれた。元の世界にもどったらどうなってしまうのだろう。ふと不安になる。今まで出会った人、仲間,成長した自分・・・・・・これらが無くなってしまうのではと思うとやりきれない。ジャンには,・・・・・・ジャンとの記憶も,思い出も全て無くなってしまうのだろうか。この記憶を,思いを何かに残しておきたい。ポケットを探る。もちろん,そこには何も入っていない。二人が過ごした足跡を残すことも出来ないんだ。
「せめて・・・・・・」力を込めて前を向いた。せめて同じ世界で一緒に過ごすことが出来ないジャンへの恩返しとして,雄姿を見せたい。その思いが自分の身体を突き動かした。
「ジャン,今までありがとう。元の世界に戻っても,見守ってて欲しい。ジャンのこと,兄ちゃんのこと・・・・・・」
涙を必死にこらえた。
「忘れないから」
ジャンはニッと笑って,鎌の柄をこちらに向けて動き出そうとするのを制止した。
「照れくさいこと言うなよ。兄ちゃん,か。そうだな。おれたち兄弟なんだ。見守ってるに決まってるだろ」
それに,と鼻頭をかきながら続けた。
「ずいぶんと頼りになるようになったじゃねえか。もう安心だ。最後に,おれにも兄ちゃんらしいことをさせてくれよな」
そう言うと,鎌を肩に乗せてヤマタノオロチに向かって飛び立った。首の一つがジャンの動きを捉えた。そして,空中にいるジャンに向かって大きな口を開いた。ジャンが鎌を振る。その所作があまりにも美しくて,一瞬の間時が止まったようにすら感じた。死神のジャン。きっと死にゆくものは命を刈り取られる前にその美しさに感嘆してから黄泉の国減ったことだろう。
最初は首に傷一つつかなかったヤマタノオロチの首だったはずなのに,まるで豆腐を切り落とすように刃の懺悔器がすっと入っていったようだった。そして,ジャンが鎌を振り抜いてからしばらく時間をおいて,綺麗に首が一つ落ちた。首からは血しぶきが上がらないほどに綺麗に落とされていた。
残り七つの首の一つが,切り落とされた首に気付いて雄叫びを上げた。どうやら彼らの身体は痛みを共有しないらしい。不思議な生き物だ。
その首が今度はジャンに向けて,火の玉を吹いた。まるで隕石が向かってきているかのように大きな球体が蜃気楼をまとうようにして放たれた。ジャンがまた鎌を振る。すると,生命の炎が消されたように,火の玉は姿を消した。怒り狂ったヤマタノオロチがまた首を向けていった。しかも,今度は二つの頭だった。さすがにまずいと思ったが,ジャンはいとも簡単に二つの首を切り落とした。
頭は残り五つ。だが,今回は全ての頭がジャンを認識した。しかも,怒りにまかせて突進してくるという様子ではなく,ジャンの動きを注意深く見切ろうとしている。同じ身体から派生しているのに不思議だ。かたや考えなしに猪突猛進してくるかと思えば,かたや思慮深く戦略的に攻めてくる。身体が大きいだけでなく,個性や特性を持って多様な攻めをされるとそうとうきついはずだ。それでも,ジャンは不敵な笑みを浮かべている。もしかしたら,この状況を本当に楽しんですらいるのかもしれない。
でも,それは思い違いかも知れなかった。ジャンの顔には時折光るものが反射した。それは,これから振るう鎌の一振り一振りが確実に自分の最期を示しているからであり,別れを意味しているからだろうか。自分が勝つと言うことが死に近づいていく。その矛盾した暗い道のりの中にジャンはいる。その心境はこれから生き続ける者には想像を絶する者だろう。それでも自分のやるべき事のために自分の感情や希望に反して責務を果たす兄の姿が目の前にある。ただ,その姿を焼き付けるように見ることしか自分には出来なかった。
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