第104話 吸血鬼の王

 魔人族の長ベリダスが悠斗に、つまり勇者に敗北した。

 この時点で魔族領の勢力の天秤は、完全に魔王の側に傾いた。

 吸血鬼もこれで諦めてほしいものだが、イデオロギーにも似た宗教観を持っているのだ。

 正確に言えば宗教でもイデオロギーでもなく、哲学と言うべきだろうか。

 生態を無理矢理正当化するための手段であることには変わらない。


 吸血鬼は人間の血液がなければ生きていけない。

 なので圧倒的に人間よりも強い種族であるが、絶対に人間を滅ぼさない。

 また太陽という絶対の弱点があるため、昼間は己の身を隠す場所が必要となる。

 その手段を、自分の力を提供して人間を保護し、税金のように血を吸うか、圧倒的な支配者として人間を家畜として飼うかという、人間に対するポジションの違いが、吸血鬼の派閥の主な二つである。


 実は下手に人間の尊厳を認める吸血鬼よりも、完全に人間を家畜と考える吸血鬼の方が、統治は上手くいったりする。

 人間は基本的に、甘やかされれば増長する生き物だからだ。

 だから恐怖で支配しておく方が、下手に反乱も起こらないし、統治のシステム的にも簡単であったりする。

 言うなれば「百姓は生かさぬように殺さぬように」の封建制と、人間に人権を認めた民主主義の違いに似ているかもしれない。


 そして現在も雅香が魔王であった時代も、吸血鬼の王は独裁者であった。

 雅香が吸血鬼の支配下の人間を、財産として保護するようには命じたが、人間の人権などは認めなかった。

 その方が支配と統治のためには都合が良かったからである。

 この点が前世では最後まで、悠斗が魔王であった雅香と相容れなかった理由の一つである。


 もっとも地球に転生帰還し、一族の暗躍を知り、オーフィルとつながる前の現代日本を再度経験した悠斗には、社会は綺麗ごとでは片付かないのは分かってきた。

 吸血鬼が人間を大切に支配するのは、同じ人間同士で支配者と被支配者がいるのと同じだ。

 そして吸血鬼にとって人間が知能の高い家畜と考えれば、ちゃんと墓まで作ってやる吸血鬼の支配体制は、それほど悪いものではないとさえ思える。

 かつての勇者は現実に負けて大人になってしまったのだ。




 ということで悠斗としても、吸血鬼の王ラグトウスが素直に雅香の配下に戻るのであれば、吸血鬼の支配する人間の人権問題は棚上げするつもりであった。

 だがラグトウスは雅香が帰還しても反乱の火は弱めず、他の種族と共に魔王軍へ敵対していた。

 理由としてはひとつしかない。

 雅香が人間だったからである。


 ラグトウスにとって人間とは、そのアイデンティティのレベルで、吸血鬼の支配下にある弱い種族であるのだ。

 強い人間を認めるということは、その人格を崩壊させるのと同じである。

 彼にとっては人間の下につくということは、家畜よりも自分が下だと認めることである。

 たとえば地球でも、いまだに黒人差別をする白人がいたりするように、民族差別や人種差別以上の根深さと、確かに一定の理解は認められる点で、ラグトウスの価値観は分からないでもない。


 だが分からないでもないが、それを認めていては何も出来なくなるのでは、排除するしかない。


 魔人族の長ベリダスは、悠斗が強者であることを認めた。

 そしてまだ生きている。

 だがラグトウスにとって人間に負けるというのは、死んだほうがマシだと思えることなのだ。

 雅香が前世において人間だとは、人間の間だけではなく、魔族の間でも、ごく一部の者以外には秘密であった。


 雅香にはラグトウスを殺す理由はない。

 だが魔族を全て自分の支配下に置く必要はある。

 それに耐えられないというなら、両者のエゴがぶつかり合う。

 共生せずに、遠く離れた場所にいるのなら、問題はないのだ。

 しかし雅香は、オーフィルの統一とまではいかなくても、連合を組むことを必要だと思った。悠斗も同意した。

 強力な吸血鬼を支配するためには、ラグトウスを殺す必要がある。


 もしかしたらラグトウス以外にも、人間を上に置くことはおろか、肩を並べるところにいるのも耐えられない吸血鬼はいるかもしれない。

 だがそういった吸血鬼は、この際に滅んでもらうしかない。

 根切りだ。

 吸血鬼優性主義者に死んでもらうか、あるいはどこにも手の届かないところに行ってもらうかは、地球でもさんざん行われてきた民族浄化に近い。

 そして吸血鬼は人間を必要とする。

 そして眠っている間に太陽の光を浴びれば死ぬしかない。

「価値観の違い……いや、アイデンティティか。人間が魔族を排除しようとしたのに対して、吸血鬼はあくまでも人間自体の存続自体は認めていたわけだ。どっちが罪深いんだろうな」

 雅香はどうやら、地球における差別などと、これを比べているらしい。


 悠斗としては、どちらも間違っていると思うしかない。

「前に言わなかったか? 宗教を発明した時、人間は考えるのをやめたって」

「そんな言い方をしたかな? まあ似たようなことは言ったかもしれない」

 雅香としては宗教と言うよりは、神と言った方が良かったかもしれない。

 そして神の中でも、それに教義が発生した時、人間は愚かになった。


 人類の歴史においては人種による差別よりも、宗教による差別の方が古い。

 もっともかつては人種によって、民族によって、宗教が違っていたため、同時であったと言ってもいいのかもしれないが。

 オーフィルの世界も、人間が神を生み出し、その権威を使うことによって、歪みが生じた。

 これからやることは、その歪みを修正することである。




 夜が来る。

 吸血鬼の都市の門が開き、護衛ともなる吸血鬼を引き連れた、武装らしい武装は剣だけの男。

 吸血鬼は切られても死なないので、一般的な鎧などは身につけない。

 そして武器を腕ごときり飛ばされても、高位の吸血鬼であれば、すぐさま腕ぐらいなら再生する。

 よって吸血鬼は、武装を必要としない。


 豪奢な馬車だ。

 吸血鬼は馬に乗らない。馬よりも自分で走るほうが速いから。

 そして自分で飛ぶ方が速いから。

 あえて馬車に乗ったりするのは、単なる権力の誇示である。

 こんなところにもまた、価値観の歪みが存在している。


 馬車の中から現れたのは、真紅の瞳に漆黒の髪という、吸血鬼の王ラグトウス。

「よくもまあこのようなところまで来たものだな、人間よ」

「別に前世の名前で呼んでもいいんだぞ。アウグストリアと」

「黙るがいい人間よ。魔王を騙るその口をすぐにでも切り裂いてやる」

「魔王を騙る、ねえ……」

 雅香は頭を掻きながら、数歩歩み出た。


「お前、前世でも薄々気付いてたんじゃないのか? 私の種族が人間だったと」

「黙れ」

「人間に支配されるわけにはいかないから、分からないフリをしていた。それが本当のところじゃないのか?」

「黙れ!」

 激昂したラグトウスは風のように襲い掛かる。


 雅香の手の中には、刀が生まれていた。

 霊銘神剣。オーフィルにおいては精霊剣とも言われるそれで、ラグトウスの鉤爪を斬り飛ばす。

「最後の戦いだというのに、色々と喋ることもないのか。前世では教えられなかったことも、今なら教えてやれるぞ?」

 もはや言葉はなく、ただラグトウスは雅香へ鉤爪を振るうのみ。


 悠斗の目からすると、勝負は戦う前からついている。

 それでもこれが、魔族領統一の最後の大きな戦いになるのだろう。

 制限時間は朝日が昇る前までだが、それほど長くはかからないはずだ。

 雅香の刀が、ラグトウスの生命を削り飛ばしていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る