第77話 賢者の楽園
山脈全体に魔法の結界が張ってある、過剰なほどの防衛力。
これを越えた盆地に、魔法都市エクレアが存在する。
そこは学術都市であり、人類の叡智の結晶だとかも言われているが、ラグゼルに言わせれば老害共の溜まり場といったところなのである。
なにせ魔族との戦争においてさえ、個人ではともかく都市の独立した行政としては、全く人類に貢献しなかったのだから。
歴代の魔法使いたちが重ねて強化してきた、山脈ごと都市を守る結界。
飛行の魔法で侵入することは出来ず、侵入してから飛行しようとすれば、使役された魔物が襲い掛かってくる。
確かにこの防衛力であれば、魔王軍による侵攻にも耐えられたかもしれない。
一応は外界との接触はあり、嗜好品は輸入している。
だが基本的には自給自足で成り立っており、確かに他の人類が滅亡しても、ここだけは魔族の侵攻から逃れられると考えたのだろう。
甘い。
あの雅香がそんなことを許すわけがない。
いや逆に懐柔するふりをして、内部からの崩壊を狙っただろうか。
とにかくラグゼルも前世で言っていた通り、浮世離れした場所であるのは確かなのだろう。
悠斗も話には散々に聞いていたが、実際に立ち寄ることはなかった。
山脈の中を通る細い街道を前にして、既に標高は1000mを超えている。
空を飛ばなければ、踏破に三日はかかるが、強化魔法を使えば一日で到着する。
荷物さえなければ、難しいことではない。
「なんとか夕暮れまでには到着したいな」
雄大な山は美しいが、それを楽しむほどの余裕はない。
エクレアの存在する標高は、およそ1500mにもなる。
一度越えなければ行けない場所は、3000mや4000mもある山脈の中の道だ。
この辺りは地球なら熱帯に分類されてもおかしくない緯度にあり、高所であることで逆に、平均気温はそこまで上がらない。
熱帯であり高地であるということで、逆に一年中が過ごしやすい環境なのだとか。
「この中で宿泊する必要があるほどの山に登ったことがある者は?」
二人は手を上げない。つまり悠斗だけということか。
まあ悠斗も訓練の一環として、日本アルプスに登ったことがあるだけなのだが。
山に分け入ろうとする場所に、小さな街があった。
往来する商人のために、防寒の衣服を用意してある。山から戻ってきた商人は不要になった衣服をここで売るので、中古が基本となっている。
「くさっ! 男くさっ!」
ジャンが嘆くがオーフィルの衛生観念などは、地球の中世ヨーロッパと比べればマシなレベルである。
下水道によって汚水の貯水はされているし、村などでも汚物などはちゃんと処理されている。
ただそれでも平均的に、人間は臭い。
異世界に来て羽目を外したい、悠斗以外の二人であろうが、女遊びをするにしても、よほどの高級娼婦以外は、はっきり言って臭い。
そもそも伝染病などのことを考えれば、人間との接触は最低限にしておいた方がいいのだ。
魔物が地球に現れた時は、その単純な凶暴さ以外にも、寄生虫や病原菌が注目されたものだ。
一応こちらの世界に来るにしても、抗生物質などは携帯しているため、一般的な病気の心配はあまりないのだろう。
ただ悠斗の基準であると、日本の清潔なAV女優などに慣れていると、オーフィルの娼婦は買いたくはない。
田舎の水浴びの風習がある村の女の子などは、それなりにいい匂いがしたりする。
だがレイフもジャンも欧米の文化圏の人間だ。
「お前らって女性経験あるの?」
唐突な悠斗の言葉であるが、二人は乗ってきた。
「山越えの前に鋭気を養うわけか!?」
「まあ俺も、こちらの文化に興味がないわけではない」
「いや、俺はどうでもいいんだけど」
悠斗も前世ではあまり気付かなかったが、オーフィルの人間の体臭は、割ときついのだ。
香水をつける文化の人間には分からないかもしれないが、悠斗の守備範囲内から大きく外れている。
(エリンはいい匂いがしたけどな……)
思わず遠い目をする悠斗である。
「まあ防寒具を買ったら、別に女遊びしようと構わないけどな。伝染病とかウイルスとか考えると、俺は遠慮しておくけど」
肉体年齢は高校生でも、中身はプラスして合計40歳ほどの悠斗である。
性欲は肉体にそれなりに引っ張られるが、この危険な状況で娼婦を買う気にはなれない。
「俺もまあ、そんなことはやめておけるが」
レイフは自制心によって、そしてジャンは宗教的な理由で、買春を諦めた。
なお二人とも当然のようにキリスト教徒ではあるのだが、レイフはアメリカに特有のリベラル派であり、ジャンは一応カトリックである。バチカンの司令下にあるので当然とも言えるが。
そういえばプロテスタントはどうなったのだろうなど、今更考える悠斗である。イギリスは島国で門の影響を受けなかったので、かなり安全だとは聞いているが。
そんなこんだで買い物をした三人は、健全な夜を過ごし、翌日山脈へと入るのであった。
魔法都市エクレアへの道は、魔法使いによって整備されている。
そしておおよその魔物も駆逐されている。もっとも普通の危険な獣はいて、むしろ獣よりも恐ろしかったりする。
魔物でなくても毒を持つ生物は、魔物扱いされていたりする。主に昆虫や蛇の類だ。
一定以下の魔力を持たない生物しか、この山々には入っていけない。人間は除くが。
だが幻獣の中には平気で入り込むものがいて、それなりに狩りの必要はあるということだ。
強化した肉体で強行軍を行う三人は、当然ながら獣の襲撃など受けない。
「けっこう整備された道だな」
「まあエクレアの人口は10万ぐらいいるって話だから、それに行き渡る嗜好品を運ぶとなると、街道の整備も必要だろうしね」
それに魔法使いの魔法を使えば、街道は重機を使うよりもよほど簡単に整備出来るだろう。
悠斗はそう考えていたが、実際は悠斗やラグゼルのように、好き勝手に魔法で色々なことが出来る者は、オーフィル全体でもそれほど多くない。
それでも確かに整備された街道は、先を急ぐ一行にとってはありがたかった。
空を飛べないというのは困ると思っていたが、自動車で走る程度の速度は出せる。
計算通り、その日の日没までには、山を二つも越えて、街の姿を見ることになった。
太陽が山に隠れるため、この辺りの日没は早い。
それでも陽光の中、かなりの広さの湖の畔に、城壁に囲まれた都市が見える。
山脈もそうであったが、この街はさらに強力な魔法の障壁が展開されている。
城壁自体はそれほど強くもなさそうであるが、おそらく魔法の守りはかなり強力なのだろう。
魔法の障壁には、ある程度穴が開いていて、中の様子をわずかながら窺うことが出来る。
巨大な魔力の持ち主が、片手に余るほどの数はいる。
魔法都市エクレア。
そこは賢者の楽園であると同時に、優秀な魔法使いを抱える軍事国家という面も持ち合わせていた。
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