第76話 テンプレとテンプレ以外の襲来

 チルレスはまだ生きていた。

 だが戦闘不能状態なのは間違いない。放っておいても死ぬかもしれない。

「さて、こいつを治療すべきだろうか?」

 改めて悠斗は二人と相談する。そう、根本的な問題はそれである。


 水竜チルレスは、この湖の幻獣である。

 別に日本的な守護神とか、祭られているという抽象的な存在ではなく、純粋に頂点捕食者だ。

 人間に害を与えているというわけではなく、おそらくこいつがいるおかげ、湖周辺の魔物の被害は少ないし、他の危険な幻獣の縄張りともならない。

 これを殺してしまっては、生態系のバランスが崩れるのだ。


 チルレスは幻獣であるからして、解体すればおそらく金にはなる。

 だがそもそも解体するのが面倒であるし、役所に持って行くのも面倒であるし、説明するのも面倒である。

 討伐報酬もないし、殺す意味がほとんどないのである。

 あるとしたら自己満足だけであり、誰かに自慢するにも証明するのが難しい。


 殺す意味はほとんどない。あとはこのまま放っておくか、それとも治療して湖へ帰すか。

「この件で人間を恨みに思って、沿岸部に被害が出る可能性は?」

 レイフが嫌な指摘をしてくるが、それは大丈夫だろう。

 念話での会話は成立しなかったが、脅しつけることぐらいは可能だ。

「今更言ってもなんだけど、本当に来た意味は何もなかったな」

 ジャンの言葉にうな垂れるしかない他の二人である。




 チルレスの巨体を治療し、その姿が湖の底へ潜って行くのを確認してから、三人は旅程に戻った。

 その日は湖の畔の街で宿を取って、水が豊富なだけに風呂にも入る。

 日本人である悠斗は風呂で良かったのだが、レイフとジャンはシャワー派であるらしい。


 前世では召喚からして特別待遇だった悠斗は知っているが、この世界でもシャワーに分類される物があった。

 サウナや上から湯を流すという豪華な風呂もあったのだが、この街のレベルだと公衆浴場ぐらいしかなく、普通の湯とサウナの二つしかない。

 裸で湯に浸かっていたら、チルレスとの戦いの音は、この街にまで伝わってきたのが分かる。

 他にも色々と噂などを聞いていたが、やはりこの辺りは直接的な戦争の被害は受けていないらしい。

 地球での世界大戦もそうであったが、大戦と言っても世界中が治安の悪い状態なわけではない。


 雅香なども言っていたのだが、おおよそ文明が近世以降になると、前線を支えるための後背地が重要となり、そこの治安を維持することが重要となる。

 国の土地などは大通りはもちろんだが、下町でさえも貧民街以外はそれなりの秩序がある。

 もちろん日本においても犯罪が起こることはあるのと同じぐらいかそれ以上に、この世界の大都市の治安は悪い。

 だがこの三人の持つ暴力があれば、対応することは難しくない。




 旅は続く。

 前世では空中の移動というのは、なかなか難しいものがあった。空を飛ぶ魔物が多かったからだ。

 魔王の死後、魔物があえて人間の領土の空を飛ぶことは少なくなったが、飛行の魔法自体が難しいため、魔物を従属させた移動の方が、まだしもポピュラーらしい。


 そんな旅の中では、色々なことが起こっていく。

 小さな街道を行く旅人を、盗賊から助けたりした。

 なおこの盗賊は、名目上は傭兵団であった。


 村を襲う大きな盗賊団も退治したりした。

 こいつらも普段は傭兵団を名乗っていた。

「傭兵、盗賊兼ねすぎてるだろ!」

 ジャンはそう言ったが、そもそもあまり戦争の起こってない地域で、傭兵団が多い方がおかしいのだ。

 傭兵団の中には、半ば強制的に村の防衛を請け負っていたり、中には小さく分裂してちゃんとした護衛の活動を行っているところもあったが、悠斗にはこの原因が分かる。

 魔王軍との戦いが長すぎたために、戦力を確保しておくことが当然となっていたのだ。

 今は必要以上の戦力が存在して、正規兵はまだしも、傭兵の数がとにかく多すぎる。

 これが魔王軍との戦っている間であれば、がんがんと消耗して問題はなかったのだ。


 長きに渡る戦争が、戦う以外で生計を立てられない人間の数を増やしすぎていた。

(そういや日本の戦国時代が終わった後も、国内の戦力が多かったたから、大陸侵攻をしたって話もあったな)

 杜撰な計画で結局半島さえ領有できなかったのは、元々そのつもりがなかったからだとも言われている。




 そうやって旅を続けていくと、だいたいオーフィルでの強者の成すべきことは分かってくる。

 旅をするからには、旅人の宿に泊まることになる。

 そこそこ高めの宿は、見た目だけで断られることもある。金を積んでも、そもそも身分や職業で泊まれる宿のランクというものがある。


 よって自然と行商人や、傭兵の中でも上澄みが泊まる宿を選ぶことになるのだが、なにしろ若い三人なので、変な因縁をつけてくる物には事欠かない。

 前世ではさすがにそういったことは少なかったのだが、あれは勇者という肩書きと、どう見ても強そうな仲間たちのおかげであろう。

 基本的には領主の館などを宿として、ゲームのように四人や五人のパーティーで街道を行くことなどもなかった。

 軍事的な理由で一行だけが先行するということはあったが、それでも基本的には立派な宿舎が用意された。


 戦闘の中では、地面に毛布を敷いてその上で寝ることもあったし、満足に睡眠も休憩も取らず、三日ほど戦い続けることもあった。

 それに比べればこの旅は、なんだかんだ言っても気楽なものである。

 世界の危機は迫っているが、それを解決するのは自分だけの役目ではない。

 魔王と一対一で戦った前世の方が、後がないという意識は強かった。


「なんかこの世界、全体的に過酷すぎないか?」

 ジャンの言葉に悠斗も頷く。

「ただ最初の街ではそうでもなかったから、やはり三人だけというのが狙われやすいのかもしれない」

 レイフは冷静にそう洞察するが、根無し草の三人と見られれば、確かに奪う対象にはなりやすいのだろう。

 もっとも本当の実力者であれば、三人の力を見抜いて下手に手出しはしてこないが。


 それでも場合によっては、手を出してきたバカの上までが出てきて、街中で数十人を相手に騒動を起こすことになったりもした。

 下手に霊銘神剣を使うと、この世界では精霊剣と言われるものに近いのだが、これを奪おうという輩も出てくる。単なるチンピラから、街の有力者まで。

 街の最高権力者とその側近を残らずぶっ殺して逃げ出すなど、ちょっとどころではなく問題になりそうなことも起こる。

「なんでこんなにろくでもないやつばかりなんだ!?」

 レイフは怒っているが、それはまあこの世界には、民主主義が存在しないからであろう。

 権力者が民衆から奪うのを禁じる法があっても、それを恣意的に運用できるのが権力者であったりする。


 勇者として、ほぼ完全に人類権力のバックアップを受けた前世ではしりえなかった。

 あえて誤解を恐れずに言うなら、前世は恵まれていたのだ。




 あちこちに手配されていてもおかしくない騒ぎを起こしながらも、三人は旅程を消化する。

 飛行という移動手段を取っていることで、指名手配じみた情報が出されても、三人の実際の移動の方が早い。

 それに国境を越えれば、そこから先は司法が異なる。


 一週間の間に、三人はこの世界でも分かりやすそうな、つまり武装を整えて強く見えるようにしていた。

 なおこのために使った金は、当初の軍資金では足らず、奪おうとしてきたやつから逆に奪って、かなり強盗をしたりもしていた。

「う~ん、異世界転生も異世界転移も、勇者扱いでもない限りは、こういったことになるわけか」

 春希や弓が言っていたテンプレであるが、実際の異世界では殺伐としている。

 法治主義や人権、また私有財産が保障されていないと、平気で人の物を盗もうとするわけだ。

 風呂に入っている間に装備や財布を盗もうとする輩がやたらと多くて、一人は残って見張っているのが一番効率は良さそうだ。

 ひどいところであると宿の部屋の鍵に細工があって、宿の人間がそもそも盗賊を兼ねていたりもする。


 文明が遅れているというか、人間の民度が低いというか。

 おそらく地球でもかつては、こういってものが普通であったのであろう。

 治安の悪い土地や、危険な場所を行く時は、それなりの人数を揃えるということは、それだけで意味があるわけだ。


 こんな世界を、雅香は一人で動いているわけだ。しかも女の身で。

 悠斗と違って庶民感覚はあったのだろうが、それでも一人だけとなると、どこかで不覚を取るのではないか。

 ずっと雅香の心配などしていなかった悠斗であるが、さすがにここまで露骨な悪意に晒されると、その考えはお花畑であったのではと考えなくもない。




 だが、どうにかこうにか旅は無事に続いた。

 小さな国境線を幾つか過ぎて、やがて行く先には、巨大な山塊が連なる風景が見えてくる。


 標高が高くなってきた。ここまではまだそれほどではないが、目的地は一度かなりの高山を越える必要がある。

 しかし、もうはっきりと分かる。

「またこりゃ、すごい魔力だな」

 ジャンが呆れて、レイフも目を瞠る。

 大山脈を丸々守るそれは、魔法による結界であった。

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