第29話 藤原綾乃

 夏休みが始まる。

 ほとんど8月の全てを、月氏十三家は宗家の本拠地で、儀式や交流についやする。

 学生はともかく大人はどうなのだ、と問えば答えは簡単に返ってくる。

 そもそも十三家の各家の当主にあたるような人間は、普通の職業に就いていない。

 自ら会社を経営していたり、その役員になっていたり、自営業をしていたり特殊な公務員であったりと、時間はある程度作れるのだ。

 特に各家の当主や幹部級の人間は巨大な富を生み出す基盤があるので、優雅に長期休暇を取得することが出来る。

 実際には各家同士の牽制や交流など、普段よりも厳しく神経を消耗させられるので、休みになってはいないのだが。


 そんな月氏十三家の根拠地は、飛騨山脈の東、長野県の北部に存在する。

 山と山に囲まれた、人口数万の町。ちょっと田舎だが生活するのには困らない程度に店がある、そんな所である。

 町丸々がほとんど一族の関係者で構成されており、何か事件があっても警察の手が入ることはない、かなり排他的な場所だ。

 悠斗はその町へ、車で向かっていた。ちなみに同行しているのはみのりとその家族である。

 春希は早めに帰り、弓はアルと同伴してやはり家族で向かうそうだ。

 最寄り駅にバスを出して、そこから町に向かう場合もあるのだが、一応は外部の人間である悠斗やアルは特別待遇だ。


 そしてそんな中で、悠斗は細かい注意をみのりから受けていた。

「宮様を呼ぶ時は、宮様、姫様、もしくは紫様と呼んで下さい。私や弓さんだけがいるところでは構いませんが、特に大人の方のいるところでは、注意してください」

 言葉には祝福と共に、呪いの力が込められているというのは、昔からある魔法の常識である。日本で言うなら、言霊というのが分かりやすい。

 春希の本名は春希であるのだが、それとは別に自らの本質を表し、同時に守る手段として、真名というものが存在する。春希の場合は「紫」というのがそれだ。

 十三家でも各家の当主やよほどの実力者にしか、そういったものはない。


 ちなみにこれは別に、月氏一族だけに限定したものではない。

 チャイナでは過去、姓と名、そして字でその人のことを記していたし、日本でも明治維新までは通称と諱というものが使われていた。

 皇室では昭和天皇、明治天皇などと維新後は言われるようになったが、普段は単に「陛下」と呼ばれるものであり、名を呼ぶということは憚られている。

 一族では呪術的な側面から、本名を他人にはあまり呼ばせないという習慣がまだ存在している。

 だが真名に様付けをして呼ぶというのは、どっちが本名なんだという疑問は出てくる。


 実のところこれは、悠斗自身にも少し関係してくる。

 悠斗の姓は菅原であるが、その本家は斗上であり、この斗上家のさらに本流に、小野家というものがある。

 戸籍には当然ながら菅原という姓で書かれているが、一族の中での認識としては、悠斗は「小野悠斗」なのである。

 その本来なら小野家に属するはずの悠斗なのであるが、色々な政治的駆け引きの結果、春希の鈴宮家が確保することに成功した。

 よって「菅原悠斗」は宗家の所属になる。もっとも嫁候補は宗家の中の庶流か、他家でも鈴宮を支持する派閥になるのだが。




 他にも悠斗は色々と注意を受けたが、一族の中でも特に中高年以上の年代からは、ナチュラルに格下目線で見下す者がいるかもしれないと言われた。

 アルなどは一族の範疇外からなのでそんな待遇にはならないのだが、一度完全に一族から離れた悠斗は、市井に生まれる雑草血統の能力者と同じく、まるで大名が小作人を見るような目で見られるかもしれないと。

 一族は実力主義ではあるが、同時に血統主義でもある。

 この二つは共存しないような気もするが、そんなことはない。

 能力者としての素質は遺伝するのだ。だから良質の血統を持つ者は、当人自身はそれほどでなくても、その子供に隔世遺伝で強い能力者が生まれる可能性が高い。

 特にこの傾向は女に多く、能力が発現せずに産む機械と捉えられている低能力良血統の女性は、嫉妬と僻みが激しいという。


 みのりや弓は、血統は一流半程度だが、能力は高い。こういった場合相対する女性はさらに、己の血統だけを根拠に居丈高な態度を取ることが多いという。

「まあでも、君ほどの規格外なら、そういうことはないと思うけどね」

 車を運転している、みのりの叔父はそう言った。

 ちなみにこの車に乗っているのは悠斗とみのりに加え、みのりの父と叔父の四人なのである。みのりの母親はみのりの弟二人を連れて、朝比奈家の本家である藤原家の屋敷がある京都へ向かっている。

 一族全員が集まると数千単位になるので、各家の当主や特に紹介される人物以外は各家の根拠地に集まる。

 みのりの父はこれまでに言葉を発していない。が、時折ドアミラーで悠斗の様子を覗っているのはあからさまである。

「見下していた相手が、下手すれば自分を妾にするかもしれないんだから、そんなに絡まれないと思うよ」


 能力者の世界において、一流から一流が生まれる可能性はそれほど高くない。

 だが超一流から超一流が生まれる可能性は、なぜか高いのであるという。

 おそらく強い能力者の遺伝子ほど、子孫にも遺伝しやすいのだろうとは言われている。

 しかし相性というものもあり、Aの血統の女性とは強い子が生まれるが、Bという血統の女性とはたいした子が生まれないという場合も多い。

 父親がステイゴールドで母父がメジロマックイーンであると強い馬が産まれるサラブレッドの世界と、そのあたりはけっこう似ている。

「君の場合は曽祖父の代からは一般人の血統と配合されているんだから、普通なら血が薄まって、一般人並の能力者しか産まれない可能性が高いんだけどね。いや、配合の神秘というやつかな」

 本当にサラブレッドのノリである。


 そして次に、爆弾を投下した。

「みのりちゃんもこんなお婿さんが来てくれるんだから、ありがたいことだよね」

 その瞬間、みのりの父の額に青筋が走った。

「みのりちゃんは結婚なんかしない! うちにずっといればいいんだ!」

 一族の人間とは思えない親バカ発言である。みのりは理由はどうあれ、顔を赤らめる。

「そうは言っても兄さん、どうせなら嫁に行くよりも婿に来てもらった方が、まだしもいいだろう?」

「そりゃそうだが……。いや、まだ決まったわけじゃないんだ。沖田の娘がいるだろうが!」

「またまた。ここまで有望な男の子なんだから、婿に来てもらった方が絶対いいだろ」


 みのりと弓はアルと自分の正妻候補であると、悠斗は聞いていた。

 それ自体は別にいい。二人とも美少女であるし、相性の悪さも感じない。性格も、みのりは温厚でありながらしっかりとしているし、弓も多少不精ではあるが、好きなことを話すと饒舌になる姿は可愛らしい。

 自由恋愛が基本の現代社会においては異質だが、悠斗はあちらの世界の王族貴族の結婚を知っているので、本人の希望が通らないことなど普通であると思っている。

「俺、長男なんですけどねえ」

「でも弟がいるんでしょ? YOU! みのりちゃんと結婚しちゃいなよ!」

 ノリのいい叔父の言葉に、みのりは顔を伏せる。

 そして父は呪い殺しそうな視線で悠斗を見る。首が180°ほど回っているのが視覚的に怖い。


 そんな兄に対して、弟は少し口調を変えて諭した。

「義姉さんの例もあるんだから、やっぱりいい物件は確保しないとさ。みのりちゃんもやなわけじゃないでしょ?」

「……」

 無言で顔を俯けるみのりである。

 それより悠斗は、義姉の例というのが気になったが。

「悠斗君も、みのりちゃんなら文句ないよね? 可愛いし、性格良いし、スタイルだって既にその未来を表しているようではないか!」

「まあみのり先輩に文句を言う男がいたら、それは相当の身の程知らずだと思いますけどね」

「分かっているじゃないか! 少年!」

 途端に気のよくなるみのりの父であった。


 後に聞いた話であるが、みのりの母である女性は、藤原本家の血筋であるが、魔法使いとしての素質はほとんどなかった。

 それで家格では下の庶流である朝比奈家に嫁いできたらしい。

 みのりが生まれたことである程度の役目は果たしたと言えるのだが、その弟二人も魔法使いとしての素質は乏しく、みのりが婿を迎えて後を継ぐのはほぼ決定らしい。

 もっとも朝比奈家は本家と分家があり、みのりの朝比奈家は分家であるから、家としての後継者に拘る必要はあまりないそうだが。

 ややこしい家督相続問題を前に、悠斗は過去の異世界の貴族階級のことを思い出していた。




 そして到着したるは長野県、月境町。夏場のこの時期だけ人口が膨れ上がる、山間から周囲の山にかけて家屋敷が広がる、都会ではないが田舎と言うには便利な土地である。

 いや、歩いて行ける距離に清い川が流れ、豊かな緑の山があるという情景は、やはり田舎なのであろうか。

 そんな町を見下ろすような丘にあるのが、宗家の本屋敷である。

 遠くから見ても石垣を巡らした、城とまでは言わないが城塞レベルの建築だとは分かる。

「すごい結界ですね」

「ほう、起動していないのに分かるのかね?」

 先ほどの一言からずいぶんと悠斗に好意的になったみのりの父は、素直に感心している。

「かなり複雑な術式ですね。普段はむしろ、力を隠すようにさえ働いている」

「ふむ、ではどうして君には分かったのかな?」

「魔力の流れが静かすぎて逆に異常です。それに気付けばわずかな魔力の流れが、術式を構成していることも読み取れます」


 悠斗の言ったことは完全に正解である。

 だがその内容は朝比奈兄弟を驚嘆させると共に、悠斗への評価を変質させた。

 即ち、単なる血統の価値でなく、魔法使いとしての技術を持つ者としての価値に。

 実際のところ専門的な訓練や知識を学び始めて半年にもならない少年が、そこまで見抜くというのは常識外の例である。

 九鬼家の怪物や、中国四川の覇王、アメリカの調停者など、国内外に常軌を逸した人間は多いが、悠斗の方向性はそれとは違う。


 天才。まさにその言葉が当てはまる。そして単なる天才とも思えない。

 まるで子供の頃から、この世界の体系ではない魔法の教育を受けたような、異質さを感じさせる。

 鈴宮の姫が彼を確保したことは正解だと、兄弟は思った。




 普段は管理人がいるだけの広大な屋敷へ、朝比奈とその本家である藤原の人間が集まる。

 夕食の前に新顔の悠斗は紹介すると言われたが、とりあえず藤原家の惣領には先に挨拶をするそうだ。

 強大な力を持つ月氏十三家。その中でも有力な藤原家のトップがどんな人間なのか、悠斗は少し緊張をしていた。事前にみのりからも情報は得ていたのだが。


「初めまして、菅原悠斗殿。私が現藤原家当主の藤原綾乃と申します」

 奥の間の一室で、必要もない脇息を横に置いた女性が、藤原家の当主であった。

 凛とした空気の中にも、相手を思いやる穏やかさが感じられる。貴族の当主の中でも、まともな人間が持つ雰囲気に似ていた。

 挨拶は普通、目下の物から先に行うのだが、綾乃は悠斗を客人として遇している。

 視線には鋭く観察するものがあるが、悠斗は好意的な印象を抱いた。

「菅原悠斗です。以後はよろしくお願いいたします」

「楽にしてください。藤原家はそれほど、上下の関係にうるさくはありませんよ」

 ころころと笑う綾乃であったが、相対する人間には自然と背を伸ばさせる威厳がある。


 事前に聞いていた情報では50歳をとっくに超えているのだが、能力者ゆえのものか、下手をすれば二十歳前後に見える。

 かつては藤原家の美人三姉妹と言われていたそうだが、彼女はその次女である。

 本当は彼女が九鬼家の本家に嫁入りし、長女が婿を迎えるという話であったのだが、性格の相性の問題か、長女が嫁に行き次女が家督を継ぐこととなった。

 その長女の産んだ兄弟こそが、九鬼家の化物と呼ばれる二人である。

 そういった血縁があるので藤原家は九鬼家と仲が良いが、二つの家が推戴しようとしている次代の姫巫女は、同じではない。

(婚姻関係も勢力図も複雑すぎるな。ちょっと系図をもらわないと)

 そう考えていた悠斗であるが、それをもらってもさらに混乱することになるとは、この段階ではまだ思っていなかった。

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