第26話 間章 彼と彼女の死後
その人生で最初に思ったことは、自分は失敗した、ということだった。
自分とは誰か。何に失敗したのか。それは分からなかった。
その後しばらくして推測出来たのは、自分が前世で、やるべきことを最後まで出来なかったということだった。
人格はどうやら前世と同じ。記憶に関しても、技術的なものについてはかなり残っていた。
しかし自分がどういう存在であったか。そしてなすべきことは何なのか。それは残っていなかった。
ただ、戦うための力を欲していた。
滅ぼさなければいけない敵がいると感じていた。
そのためにはこの世界の敵では不十分だと感じたので、寿命を延ばして開発した転生の魔法で、次の人生を送ることになった。
地球型世界に転生した時、おそらくこの世界が自分が最初に生まれた世界に近いのだと感じた。
記憶が一部戻り、しかしながらその記憶と一致しない部分もあるので困惑した。
後に考えればそれは、地球型世界という、おそらく最も多い世界の雛形に、最初に自分が生まれたのであろうということだった。
神をも殺し、修羅をも殺す。
そして力を増していった。
地球型世界では文明こそそれなりに発達していたが、戦って経験値に変える敵には不足していた。
それこそ神以外には。
神。あるいは超越者ともでも呼ぶべき存在。
こいつらは自分の目的とする敵ではない。だがそれに近い存在だとは感じた。
地球型世界以外では、ほとんど無敵とも言える自分でさえ、下手をすれば敗北をする。
そして問題なのは、神々は地球という世界を守る意志を持っていないことだった。戦いの中で、勝利しつつも世界が崩壊するのを経験した。
何度も間違い、最初からやり直す。
記憶を失うこともあれば、記憶を取り戻すこともあった。
仲間も敵もいない、孤独な転生の繰り返し。
だがそれでも、心は折れなかった。
そしておそらくは18回の転生の果て。
最も異常な、地球型世界へと転生した。
異常ではあるが、なぜか懐かしい記憶。
しかし自分が最初に生まれた世界ではないという、確信があった。
なぜなら魔法が、隠されていたとはいえ明確に存在していたからだ。
自分が生まれた地球型世界は滅びた。記憶はないが、確信はある。
そしてこの世界において、自分は何かを為さなければいけないという予感があった。
この世界は異常だ。
神であっても低級のものであれば、滅ぼしてしまう力を持つ人間がいる。
そしてその神々も、他の地球型世界で邂逅した者たちよりも、はるかに強い。
ここが自分の至るべき場所だと、確信した。そしてその目的も、おおまかにだが想像出来た。
世界を守る。
大袈裟な話ではない。強すぎる神々を殺すために必要な力は、前世までの経験を併せても足りるものではない。
孤独な存在。転生を繰り返す存在にとって、共にある仲間などいない。
いないはずだった。
しかしそれが、奇跡的に見つかった。しかも充分な潜在能力を秘めて。
前世では殺し合い、憎しみを受けた関係であったが、こちらから提供できるものがある限り、彼は裏切らないと予測できた。
大切な者を守るためには、彼にも協力者が必要だった。ならばその協力者になろうではないか。
今はまだ力がない。そして時間は限られている。
2045年。だが、この期限は決まっているわけではない。
早くなることもあれば、ずっと先まで続いている世界を観測したこともある。もっともそれは本来の地球とはかなり違ってしまった世界であったが。
焦ってはいけない。おそらくこの世界での失敗は、致命的なものとなる。
それは記憶や知識ではなく、経験や直感によるものだ。
一世代分は、自分の仲間を増やすのに使えるだろう。だがそれが限界だ。
この世界で何かを成し遂げるために、自分は転生という選択を選んだ。
幸いにも、戦闘力を高める環境は整っていた。
今の自分よりもさらに強い人間。そしてダンジョンに眠る神々。
ダンジョンで戦う限り、世界の崩壊はない。もちろん相手の庭で戦うので、不利ではあるのだが。
(焦るな。まだ少し、時間はある)
そう思っても、不安な要因はある。
自分はおろか、神々さえも超越した素質を持つ人間を、数人発見している。
そしてそれらの子供たちの誕生には、なんらかの意図が見える。
誰かが、隠れている。
かつて魔王と呼ばれた、そしてまた勇者とも呼ばれた経験もある雅香は、その異常を知りつつも、真実にはたどりつけないでいた。
ここではないどこか。今ではない、少し前。
中央には巨大な魔方陣。そして部屋の隅には様々な書物や器具が、一見乱雑に置かれた部屋。
机の上に広げられた写本と魔方陣を、交互に見つめる40絡みの男がいた。
「これでいいはずなんだが……。どうやっても、これでいいはずはない」
矛盾するようなことを言って、男は頭をがしがしと掻く。
男が望んでいる、世界において最も偉大とされていた魔法。
勇者召喚式の魔方陣。それの再現に、彼は長い年月を捧げていた。
世界最高の賢者とも呼ばれた男が、目的のために選んだ手段。それは勇者召喚式の中に含まれているはずだ。
外からノックされた扉が返事も待たずに開き、圧倒的な体躯を誇る男が、顔をしかめて入室してきた。
「相変わらずひどい有様だな。お前の頭の中を象徴しているようだ」
賢者はそちらを見もせずに、何段にも積まれた本を、片端からめくっていた。
その様子は狂気に犯されているようで、しかし確実に、知性の輝きを瞳に宿している。
反応のない賢者に向かって、男は呟く。
「聖女様の魔法でも無理だったんだ。神々のほとんどが消滅した今、あいつを甦らせる方法なんて、もうないだろう……」
「あきらめたらそこで試合終了ですよ、団長」
賢者は反射的に言い返し、そこでようやく騎士団長がいることに気付いた。
そこで面倒くさそうな表情をするのが、この王国においても最高の賢者と呼ばれる魔法使いである。
「魔法の知識のないあなたには分からないだろうが、可能性はまだ残されているんだ」
そう応じる賢者の言葉に、団長は顔を歪めながらも、理解の色を示す。
「……魂を呼び戻す。普通なら無理だが、神々の祝福を得て、聖女に事前に魔法をかけてもらっていた。普通なら蘇生も可能だろうが、聖女自身が諦めているんだ。魔王の呪いのせいだろう」
睡眠や食事の時間を削って、失われし友の蘇生を目指す賢者に、団長は何度も同じようなことを呟く。
だが、それで賢者の行動が止まることはない。彼の力を戦後の復興にあててほしいのは確かなのだが、もしも万が一の可能性を考えると、今行っていることをやめさせることも躊躇われる。
実際のところ魔族も人間も被害が大きく、そして旗印を失ったために、戦闘行為は激減している。
賢者の魔法を使えば、人々の営みを戻すことに、さらなる力が加わることになる。だが彼はそんな他人のことなどどうでも良かった。
自分を認め、指針を示し、賢者とまで呼ばれるほどの功績を立てさせてくれた友人の方が、有象無象の輩よりはよほど大切だったのだ。
それに、まだ団長たちには言っていないことだが、かすかな可能性に、指がかかったところなのだ。
ほとんど自分を無視して書付を行う賢者に、団長は深い溜め息をついた。
「止めることは出来ない。だが、お前が潰れることはしないでくれよ」
何度となく同じようなことを言った団長は、そこから去っていく。
そしてそれと同時に、部屋の中にはもう一つの気配が出現した。
「人間はやはり理解しづらいな。たかだか十数年の時間をかけただけで、何かの成果を求めるとは」
その女を見たら、おそらくほとんどの人間は恐怖し、賢者は狂ったと思うであろう。
賢者の研究を助け、共に研究を進める女。その額には第三の目があった。
魔族に数えられる一種である、三眼族。その中でも最も強大な力を持ち、魔法に熟練した女だ。
魔王の一番弟子にして、四天王の筆頭と呼ばれた存在。
賢者は目的のためなら手段を選ばない。人間と敵対している魔族の力も、必要であれば利用するし、利用される。
魔族たちは人間と違って、魔王の復活を目的とはしていない。魔族とは元々、強者に従う種族だ。魔王亡き後、その内部では競争が始まっている。
だから魔王の復活を願う、四天王の一人と呼ばれたこの魔族も、賢者と同じく異端の存在であった。
賢者はかつて仲間であったはずの聖女や騎士団長にも明かしていないことを、彼女には明かしていた。
わずかな時間であったが、神剣の健在を示す反応が、魔方陣にあったのだ。
神剣は勇者の魂と融合していた。その神剣がまだ存在するというのなら、勇者もまだ存在しているはずだ。
だがその反応は短く、弱いものであった。
世界のどこにいても、世界を管理する神々の力にはしっかりと反応するはずだ。それを前提として考えるなら、神々の化身である神剣は存在するが、この世界にはいないと予測出来る。
そしてもしこの世界ではないとしたら……勇者が目的を果たした時に、前の世界に戻れるようになっていた魔法が発動し、そちらの世界に移動した可能性がある。
この予想はほぼ当たっていた。聖女や神々の加護により勇者の魂は魔王の破滅の呪いから守られ、そして帰還の魔法が発動したことにより、魂だけは向こうの世界に戻ったのだ。
もっともその真実に、まだ賢者は辿り着いていない。
前回の反応ではそれほど顕著ではなかったが、もしも神剣の力が全て解放されれば、それを元に異世界への扉が開けられるかもしれない。
さすがに一度や二度では無理だろうが、一度は勇者が神剣の力を発動せる事態に陥ったのだ。ならば二度も三度もあるかもしれない。
賢者と魔族、そしてもう一人の仲間だけに、この秘密は共有されている。
人間の常識や善悪の基準を無視する三人だけで。
勇者を勇者としてではなく、人間として必要としている者。
そしてそれを助け、自分も魔王の魂にのみ価値を見出す者。
二人は正確に狂っていた。
魔王の後釜などには全く価値を見出せず、彼女が転生したはずの世界を探す。そのために四天王の地位も、多くの支配下の民も投げ出し、彼女は魔王の姿を追い求める。
「必ず……探し出してみせる」
賢者は呟き、また思考の渦へと戻る。
そこへ風の揺らぎが現れる。
本来ならありえない、閉ざされた地下室。だがそこへ簡単に、肉体を大気に変えて侵入する存在。
賢者の同志えある、もう一人の存在。
「貴様か。エルフの動向はどうなのだ」
魔族の問いに、魔法の結界を簡単に突破して王城の地下に現れたエルフの女は、平静さをその美しい顔に貼り付けて言った。
「エルフは森に篭りました。ドワーフも地下に。ハーフフットも草原に。魔族と戦うために連合することは、二度とないでしょう」
人間の愚かさにも、魔族の野蛮さにも関心を示さず、エルフ族は古い生き方へと回帰した。
そう誘導した本人だけは、彼女にだけ価値のある存在を求め続ける。
勇者。そう、彼だ。
無窮の時間を過ごすエルフであっても、彼のような人間にだけは、二度と会えるとは思っていない。
伝えなければいけないことがある。己の愛した唯一の存在に。たとえ記憶を失っても、姿が変わっていても、彼女には分かる。
魔族が魔王を求めるように、エルフは勇者を求めていた。
そしてそれが、殺し合った関係を、この世界でも協力させていた。
賢者という、歪んだ人格の魔法使いに対して、二人は大きな期待をかけている。
聖女も傭兵も団長も剣聖も、賢者よりも歪んだ大魔法使いも、既に勇者を過去のものとしている。
だが賢者だけは別だ。彼の才能を理解し、そして賢者と呼ばれるまでに高めた友に、彼は再び会うために、全てを捧げている。
女たちの視線を全く無視して、彼は研究を続ける。
勇者召喚。それが世界と世界をつなげる魔法であるなら、もう一度世界と接触し、そこへの扉を開けるのではないか。
二人はそれを期待する。魔族とエルフ、それぞれの知恵を全て捧げて。
その一念が報われる日は、そう遠くはない。
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