第9話 小鬼の森
ゴブリンには通常のゴブリンの他に、亜種とも言うべき技能を身につけた存在がある。
たとえば「はぐれ」はまともに食料を獲得することも出来ない弱小で愚かな個体であり、群れからも追い出される。人里を襲うのはこのタイプが最も多かった。そして農具を振るう村人にあっさりと狩られるのだ。
二体のゴブリンということならば、はぐれではない。おそらく斥候だろうと悠斗は予想する。
(ここら一帯の山が隔離されていると言っても、この範囲じゃせいぜいゴブリン100匹も生息しないような気もするけど……空間が歪んでる?)
悠斗がそんなことを考えている内に、春希は弓を構えた。
矢はない。正確には、光が収束して矢のようになる。
それほど精密に狙ったわけでもないだろうに、春希の放った矢は木々の中を縫って飛び、ゴブリンの反応を貫いた。
一つの光が途中で分かれ、二つの矢になったのである。
そのあたりがまずありえないことだと思うのだが、魔法の武器とはそういうものであると悠斗は知っている。春希の言った”導き”という武器の銘も、その効果から名付けられたものだろう。
そのまま一向は進み、見事に頭を射抜かれているゴブリン二体を発見した。
アルが進み出て、ナイフでゴブリンの右耳を切り取る。これは討伐証明として、ハンター協会に持っていけばいくらかの金銭になるのだ。他にも魔物の内臓や肉などは、薬効があったり素材に使えたりする。ゴブリンは肝臓や睾丸、角なども安いが売れる。
だがアルがその耳を切り取っただけで他には手をつけない。それより無造作に入れた腰の袋を、悠斗は見逃さなかった。
「その袋……」
「ああ、これはいわゆる魔法の袋ですよ。見た目より多くの物が入るんです」
その後に続けて、一部の魔法では古来から使われていたが、魔法の道具として完成したのは20世紀も後半を過ぎた頃だと教えてくれた。
物理学の発達がブレイクスルーだったらしい。
あちらの世界でも、悠斗の召喚以前は一部の魔法使いのみが使っていた魔法である。
悠斗のあやふやな相対性理論や光速の原理の科学知識から、協力者の魔法使いが瞬く間に作ってしまったのが収納魔法具であった。
おそらく時間と空間の関係から導き出した理論なのだろうが、やはりあいつは天才だったのだ。人格には問題があったが。そう、ものすごく問題があったが。
「これ、量産したら流通に革命が起きないか?」
実際あちらの世界では、この発明によって兵站が劇的に向上し、魔王軍を圧倒していったという実績がある。魔王軍と違い、人間は人間から略奪したり、人間を食料には出来ないのだ。
「簡単に作れるものでもないですし、容量もそう爆発的に多くなるわけではないんですよ。実際これも、春希さんの家から借りたものです」
春希自身が持っていないのは、おそらくゴブリンの耳を削ぐのが嫌だからだろう。
そういうところは女の子らしいというか、なんというか甘い。あっちの世界には母も顔負けの蛮族女戦士とかがいた。
それにしても、流通に影響が出るほどの物はないのか。あちらの世界では商人が欲しがっていたが、まずは軍に回されたものだ。
あちらの世界がこちらと違って、商人の力が弱かったのも関係しているかもしれない。
「さあ、どんどん行くわよ!」
春希の音頭に、一同は頷いた。
行軍中に悠斗は、この辺り一帯がどのようにゴブリンの巣になっているのか聞いてみた。
なんでも古来よりこの山や森はゴブリンが発生する場所らしく、一族が定期的に間引いていたそうだ。それが間に合わなくなってきたのは最近のことである。
空間が歪んでいるというのも間違いではないらしく、奥に踏み入れば危険な個体も出てくるという。いわゆる神隠しの森の一つである。そして最奥には湧き穴であるダンジョンがあるという。
神隠しの伝承で思ったのだが、こちらとあちらの世界では、時間の流れにも差があるようだ。
悠斗がこちらからあちらへ、そしてあちらからこちらへ移動した時間を考えると、母の胎内にいた初期には魂がなかったと計算しても、どうしても二年ほどは誤差が出るのである。
全滅させたと思ったゴブリンがいつの間にかまた増殖してるのは、どうもダンジョンがあちらの世界とつながっているか、何らかの原理でダンジョンから自然発生すると考えられているそうだ。
もちろん悠斗の常識では、ゴブリンは自然発生しない。
幻獣とあちらの世界で呼ばれていた種族などは別だが、ゴブリンは肉を持った普通の魔物である。
つまりあちらの世界か似た世界と、どこかでつながっているのだ。そして悠斗が考えるに、それは自分とも関係がある。
自分がこちらの世界に転生したのとほぼ同時に、ゴブリンの発生数は爆発的に増えたのだから。
後から調べられたのだが、ゴブリンが駆除しきれなくなったのは、丁度悠斗が生まれる八ヶ月ほど前からである。
それに時間の流れの差があると考えれば、増殖の早さにも少しは理由が付けられる。
あるいは時間がずれているのか。それなら話は別だが、今は計測のしようもない。
「この場所にはゴブリンしかいないのか?」
「たかがゴブリン、されどゴブリン。魔物退治の基本はゴブリンからってね。甘く見てると痛い目に合うわよ」
悠斗の問いに春希はそう返すが、悠斗の期待していた回答とは少し違うのだ。
彼が問いたかったのは、この山の生態系である。ゴブリン以上の存在がいるなら、それに対して心構えが必要となる。
それにゴブリンの恐ろしさは、彼もよく知っている。ゴブリンアサシンと俗に言われたゴブリンの亜種は、気配を断って闇から襲い掛かることが多く、熟練の戦士でもその毒の刃に倒れることは多かった。後衛の魔法使いなど、最も恐れた魔物である。
春希の霊銘神剣だけで、一同は数体のゴブリンを狩っていった。
そのうちゴブリンだけでなく、狼のような姿をした魔物も現れる。
犬の頭部に、人間の肉体。全身を毛皮で覆った魔物、コボルトだ。実は外見だけならけっこう格好良くて、ある意味可愛い。
ゴブリンが指揮個体の存在によって連携するのと違い、コボルトは元から連携して獲物を狩る魔物である。
半包囲された状態だと悠斗は気づいているし、他の皆も気づいているだろう。
春希一人に任せていた三人が、それぞれの霊銘神剣を取り出す。
みのりは薙刀。弓は盾型の鏡。そしてアルは戦棍である。
剣や刀を持っている者はいない。弓などは武器ですらなく鏡なのか盾なのか。神剣という分類のくせに、なぜ剣を持つ者が一人もいないのか、どうでもいい疑問を悠斗は抱いた。
コボルトは気配を消したつもりで、そのくせしっかりと位置を把握された状況で、一向に襲い掛かって来た。
「”癒し”」
弓の霊銘神剣”癒し”の盾により、魔力の防壁が全方位に張られた。
コボルトは奇襲したつもりで、同じタイミングで襲ってきた。春希の弓などでは、対応が難しかったろう。
だが弓の盾により、その戦法は意味をなくした。前半分をみのりが薙ぎ払い、後半分をアルが打ち払う。
みのりの薙刀は”泡”、アルの戦棍は”道”という銘を持っている。
それぞれの銘によって特殊な能力があるらしく、たとえば弓の盾はその名の通り、常時装備者に癒しの力を与えるというものだ。
実は春希の短弓は”導き”という銘であっても、誘導効果がその神剣の能力ではないらしい。あれは春希本人の闘技ということだ。
ついでに霊銘神剣についてもう少しだけ詳しく聞くと、十三家の能力者の中でも、かなり有望な者にしかそれは与えられないらしい。つまりこの三人は有望なのだ。
神剣の能力は所有者の魂と密接に関連し、所有者と共に成長していく。
所有者が死ぬか、魂との契約を破棄することによって次代へ引き継がれ、その能力も高められていくそうな。
悠斗のような十三家以外の外部の人間がそれを与えられることは少なく、与えられても近代に製造されたものに儀式を行った、性能的には劣るものであるそうだ。
例外的には十三家に引き入れるために婚姻を通じて十三家の人間となり、それと共に強力な神剣を与えられることがあるという。
「あんたの魔力なら、十代後半にはかなりの使い手にまで成長してるでしょうし、そういう話も来ると思うわよ。って言うか、弓とかみのりはその候補でしょうね」
大声が基本の春希が、それだけは小声で教えてくれた。
能力者を一元的に管理するために、婚姻を行ってその支配下に置く。これによって月氏十三家は日本の能力者を独占してきていた。
幕末にはかなり影で動いたそうだが、その後の対外戦争では国家の枠組みからは外れて動いていたらしい。基本的に十三家の動きを決めるのは宗家の巫女姫であり、彼女に命じることが出来るのは帝だけであったからだ。
現代では象徴とされる天皇だが、実は今でも十三家は、外部からは天皇の命以外は動かないらしい。
政府のお偉いさんや、それこそ内閣総理大臣であっても、所詮は一般人である。
状況に応じて助けることはあるらしいが、政府の統制は一切受けない。それが十三家という集団だ。
暴力機関が政府の統制下にないというのは危険なのではとも思うが、実際は様々な関係により、協調しているといったところだろう。
もっとも例外はいつの時代でもいるもので、フリーな立場で政府からの依頼を受ける者もいるらしい。
「源平とか足利の時代とか、戦国時代はどうだったんだよ?」
日本に限らず、魔法とその使い手がほぼ歴史から抹殺されていたというのは不自然だと悠斗は考える。
実際に魔法や闘技が存在するのなら、それこそ悠斗が召喚されたあちらの世界のように、魔法と科学が混じり合って、もっと違う文明になっているはずだ。
よくあるマンガやアニメの設定では、それこそ日本を裏から守る特殊技能の能力者がいるものだが、常識的に考えてみれば、こんな技術はもっと表に出て文明に影響を与えない方がおかしい。
日本では皇室の、つまりはアマテラスの権威の下でしか動かないと言っていたが。
「あ~、まあだいたいは神様に止められてたし自重もしてたんだけど……多少は動いている場合もあるのよ。例えば忍者」
「NINJA!」
アルが楽しそうに言うが、春希は微妙そうな表情で首を振る。
「歴史物とかで忍者ってあんまり待遇良くないじゃない? なんでかって言うと、あれってあたしたち一族の底辺が働いてたからなのよね」
それから春希により、日本史の裏側が少し説明された。
古代から平安時代まで、基本的に月氏は天皇、または皇室のコントロール下にあった。
ただし皇室同士の抗争などもあったため、その場合は宗家が意見の取り纏めを行っていたらしい。
武士が台頭してくると、源氏に流れる血統に従い、基本はその味方をしてきた。どうも平氏とは相性が悪かったようだ。
ちなみに一番困ったのは南北朝時代であり、どちらの政権が正当かで議論されたらしいが、現実的に政権を支配する北朝を正統としたらしい。
応仁の乱後の戦国時代は、これがどうにもならない状況であった。それまである程度はコントロールされ、血統で上下を決めていた支配者階級が、下克上で壊されていったからだ。
信長が統一への道筋をほぼつけた時、彼の脳裏にあったのは、天皇家の縮小であったそうな。
なんでも豊臣秀吉が失敗した大陸への遠征と、遷都、天皇の移動を元々は考えていたそうな。
というか信長自身が、どうやら特殊な能力者であったらしい。
そこで月氏は焦った。さすがに他国にまで月氏と天皇の関係は通用しない。半島にはともかく、大陸には伝統的な漢民族の一族がいたのだ。
明智光秀の軍勢が、都合よく信長を討てる位置にあったため、天皇からの勅許という形で彼に信長を討たせたそうな。
そこでまた月氏は迷う。光秀の謀反には表向きの正当性がない。信長討伐の密勅など、公表したら皇室と公家の策謀が世間的に明らかになる。
またまた都合よく、あるいは都合が悪く、羽柴秀吉が中国大返しで畿内へと移動したのを知った月氏は、今度は秀吉に接触。
秀吉に光秀を討たせると共に、勅許を回収。とりあえず畿内の動乱を一時的に回避した。
光秀一人が悪人となって、日本の秩序は回復された。
もっともそれはさすがに悪いと思ったのか、一族は光秀の妻子や郎党などを、こっそりと匿ったらしい。
そこからはもうぐだぐだである。
その後の日本の統治をどうするか、月氏は後援することは出来ても、プランを出すことは出来ない。
結局は流されるままに秀吉の味方をして、九州では離れていた一族と闇に隠れて争ったりもした。
どうにか天下統一がなされてほっとしたのも束の間。今度は秀吉による大陸出兵である。
中国との直接対決には至らず朝鮮半島でほぼ戦争が展開したため、日本も明も、能力者は牽制程度の役割で済んだという。
でもまだぐだぐだは終わらない。秀吉の死がまた、日本の未来を迷わせる気配を示した。
ここで豊臣家の政権を維持する方向に一族はまとまろうとしたらしいが、それを覆すものがあった。
徳川家康の存在である。豊臣家は権力と財力こそ持っていたが、それを有効に使うための舵を失っていた。
月氏は今度こそ一族全体をまとめて事態を静観。家康が関ヶ原の戦いで勝利し、豊臣家を滅ぼし、新たな幕府を開くまでを傍観していた。
家康の死の直前にようやくお偉いさんが接触し、徳川幕府が朝廷と言うか皇室に手出しをしないことを条件に、政権の安定化に協力。
元々朝廷の権威を利用していた家康は特に文句もなく、これによってようやく泰平の世が到来したという。
それはある意味デストピアに近かったのかもしれない。
能力者は一揆などの民衆蜂起には対応しなかったものの、徳川幕府は圧倒的な軍事力を手に入れたのだ。
鎖国して、しかも島国であった日本は、とにかく大規模な内戦は起こらないようになった。
月氏も改めて内部の統制を行い、十三家が十二家として正式に定められたのも、実はこの時代なのであるという。日露戦争後にアイヌ由来の家を加えて、現在の体制は完成した。
古代からの由緒ある組織と言っても、内実は市井の能力者をまとめ、時には地方政権に協力して対抗しあうこともあった。
そしてこの体制は黒船の来航という外圧によって、また変化を強いられるのであった。
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