第十九章 物語撲滅委員会、ただいま会員募集中1

第108話 いつものがないと途端に不安になる

 うららかな春の陽気に包まれたある日、作者は逃亡した。

 未完の帝王、角戸 完である。

 終わりを決めずに思いついたものから書いていく悪癖、計画性のなさは作家の中でもトップクラス。

   

「角戸おおおおおお!!」


 その本間の叫び声は、物語終了課ではお馴染みになった。まただよ、という声が周りから上がる。

 角戸と本間の追いかけっこは、名物とかした。角戸の方が若いものの、運動はまったくしない性質なのでしばらくすると捕まる。

 捕まったかといって、大人しく完結させることはほぼない。

 結局は、本間がどうにかして物語を終わらせるというのが常だった。


 ほんの二ヶ月前までは。



【いつものがないと途端に不安になる】



 物語終了課では、今日も仕事は大量だ。日々生産される未完の物語の数は、増えていくばかり。

 係長である本間も物語を終わらせるべく、パソコンに向かっていた。

 

「平和だな」


 ふと口に出る。この頃、黙々と仕事ができている。物語に入ることも、出張もない。繁忙期である三月をぬけたというのもあるが、なんとなく緊張感がない。

 ぽけーっとパソコンの画面を見つめて、息をつく。


「係長、元気ないですね」


 と言いつつも、小牧は容赦なくファイルを机の上に置いた。


「そう見えるか?」

「角戸おおおおおお、って叫んでいた係長は生き生きしてましたよ」

「真似をするな」


 本間は苦笑しつつも、角戸というのを久しぶりに聞いたのに気づく。


「あれ? 角戸 完からの作品って最近は見かけてないよな」

「ないですね」

「……」

「真面目に完結させるようになったじゃないですか」


 一瞬、本間の頭の中に角戸の姿が浮かんだ。真面目に執筆する姿を思い浮かべようとしたが、霧と消える。


「絶対にあり得ない」

「自信たっぷりですね」

「怪我か病気かしたのでは……」

「心配し過ぎですよ」


 角戸が急に心変わりをして、完結させるようになったとはとても思えない。何らかの理由で物語が書けなくなったという方が自然で、信じられる。


「生きているかな」

「係長、追いかけ先と怒鳴り先がいなくなったから、寂しいんじゃないですか」

「そういうことじゃない」


 そういうことではないのだが、なんとなく居心地がよくない。角戸はあの散らかった部屋で一人暮らしだ。自炊もできず、生活能力はない。

 高熱にかかれば、氷や水さえ確保できずに倒れていてもおかしくはない。


「昼休みになったら、角戸の担当に電話してみ」

「その必要はございません。本間様」


 本間が後ろを振り向くと、老執事がいた。ほっそりした長身に燕尾服、白髪に白い口ひげ、目には片眼鏡(モノクル)をかけている。

 見た目は執事だが、文科省地方文化局の庁舎に執事がいるはずがない。

 

「あのどなた様?」

「ああ、私としたことが、自己紹介がまだでしたね。物語撲滅委員会、会長の葉梨 零と申します」


 本間は椅子の背もたれに体重をかけ、頭に手をやる。

 直感が『これは面倒だ。関わるな』と言っている。物語撲滅委員会という字面からしてもうやばい。

 即刻、退去を願うしかない。

 本間は立ち上がり、ドアの方を手のひらで示した。 


「ここは一般の方が来れるところではないので、外に」

「係長、葉梨さんは非常勤職員です」


 小牧の指摘に腕が固まる。


「ちょっと待て、本当か?」

「本当ですよ。しかも完結の帯作りのアイデアに、本屋での装着作業を指揮してくださった恩人です」


 問題児の間違いだ。


「は?」

「年齢制限で正規の公務員にはなれませんでしたが、非常勤職員として来てくださったんです。熱意ある方ですよ」


 いらない。変な方向に行っちゃっている熱意いらない。


「小牧様、お褒めにあずかり光栄です」


 葉梨は惚れ惚れとするような完璧なお辞儀をした。

 部下はもうとりこまれているようだった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る