第十六章 大学の入学式は、サメといい子でお留守番

第100話 入学式に一緒に行きたいワンコ

 四月最初の日曜日は、大学の入学式。

 夏美は自分の部屋でスーツに袖を通す。

 全身が映る鏡で確認し、黒の背広とスカートをのばす。

 なんとなくしっくりこない。服だけが大人びていて、中身が伴っていない。ストッキングもはきなれない。ぴちっとしていて太ももが絞められているよう。


 高校の時は禁止されていた化粧をする。

 アイシャドウに口紅も濃すぎるような気がして、ティッシュでふき取りやり直す。雑誌のとおりにやっているはずが、違和感がある。

 鏡の中の顏がしかめっ面をしている。


「姉さん! そろそろ時間じゃないか」


 ドアの向こうで続の声が聞こえる。

 腕時計を見ると言うとおりで、入学式に余裕もっていくならもう出ないといけない。鞄をつかんでドアを開ける。

 スーツ姿の続がこちらを見るやいなや、息をのんで肩をビクッとさせた。


「どうしたの?」


 そこまで驚かせるくらい、勢いよくドアを開けたつもりはない。


「あ、いいや。なにも……」


 慌てたように、続は手を振った。

 じっと続を見ると目をそらされる。ずずずっと近づくと、その分だけ続が退いていった。


「ね、姉さん。時間が」


 続の反応は面白かったけれども、出かけないといけない。

  

「続は入学式に来ては駄目よ」


 保護者は入学式に来れる。休日なのに続はスーツ姿で、来る気満々というのはわかる。事前に言ったのにやっぱり来たいらしい。

 続を保護者として、周りに認識してもらいたくはないし、本人にも意識してもらいたくはない。


「気配を消して行くから。手を振ったりしないから」

「だーめ」


 夏美が玄関へ向かうと、小さくなりながら続がついてくる。


「姉さんを遠目に見ているだけで話かけないから。会場に行くまでも、電車だったら別車両にいるようにするから」

「だめなものはだめ」


 続の肩がしょんぼりと落ちる。


「歓迎会では、お酒を飲んじゃいけないよ」

「わかってる」


 入学式の後では、先輩方や同期の学生らの食事会がある。顏合わせをかねているものだ。

 

「猫がいるとかゲームしようとか言われても男の家に行ってはいけないよ。世の男性は全てオオカミだからね」

「続もオオカミ?」


 くるっと夏美が続の方に向き直る。

 続は半歩下がり、両手を上げた。


「お、俺は忠犬です」


 言われてみれば、さっきから「本当にボクのことを置いていくんですか」「散歩に行かないんですか、ご主人様」という風に、そわそわと左右に揺れてついてきていた。

 ゴールデンレトリバーの幻影が見える。

 夏美はそっと息を吐いた。


「大丈夫よ。もう子供じゃないから」

「なにかあったら、すぐに連絡するんだよ」

「わかったから。いってきます。いい子でお留守番をしとくのよ」


 ヒールを履いて、ドアを開ける。

 続は何か言いたそうな顏をしていたが、残念そうな顏をしながらも、

「いってらっしゃい」

 と声をかけてくれた。



 建物の玄関を出たところで、空が暗いことに気づく。

 天気予報では曇りで降水確率は低かったけれども、西のあたりの黒い雲があやしかった。

 家へと引き返しドアを開けると、満面の笑みを浮かべた続が出迎える。透明なしっぽが振られていた。


「姉さん。考え直してくれたんだね。一緒に」

「傘を取りに来ただけなの。違うの」


 早口で夏美は言い、玄関の傘立てから折りたたみ傘をつかんで、素早くドアを閉める。

 ちょっとした罪悪感を覚えながら、やっぱり犬だったかもしれないと思った。

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