第97話 サメのペアルックは目立つ
三月。三月のはずである。
この頃の東京の気温は異常だ。
サメのトレーナーを着たとしても、寒いならセーターで隠れる。そう本間は思っていた。
(あったかい)
しかも、今から行くところはアウトレットパークで室内だ。まったく寒くない。
駅前は開けていて、人が多く行き交っている。
「良かったわね、続。よく晴れて」
姉はサメのワンピースにクリーム色のカーディガンを羽織っている。白地にふかふかした灰色のサメの顔がよく見える。
「そうだね」
心にも無いことを言う。
姉と同じサメの絵柄のトレーナーにワインレッドのジャケット、ジーパン。ジャケットの前を合わせてもサメの顔の上部が見えている。
サメが大きく描かれたトレーナーなんて、三十代が着るものではない。(誕生日プレゼントなので嬉しいものの)
斜めがけのボディバッグで、サメをどうにか隠している状態だ。
「サメが見えなくてかわいそう」
姉がバッグをちょいと引っ張る。
「いやいやいや」
本間は逆に引っ張る。姉なので力は加減する。
と、ジャケットの襟を力強く引っ張られた。振り向くと童顔の悪友が……。
「都道っ!?」
「今日はあったかいな。ジャケットはいらないんじゃないか」
都道はニヤニヤと綺麗に並んだ歯を見せて笑う。隣には都道の妻が「あらあら」とにこやかに笑っていた。
貴婦人という言葉が合う女性。暗めの茶髪を結い上げ、クラシックなブラウス、ロングスカートを着てレースの日傘をさしている。
「ちょっ、奥様。夫を止めて」
「仲がいいわねえ」
都道の妻こと、薫子は頬に手を当てて、上品に笑みを浮かべた。様になっているが、それどころでない。
「おやあ? なんかサメみたいなのが見えるな」
都道は片手だが、こっちは必死だ。バッグを抱え、ジャッケットごと押さえる。
「気のせいだ! 引っ張るな、伸びる!」
「ん、夏美さんはサメのワンピースか。いいな」
都道が姉に笑いかける。
「続と一緒なんです」
少しはにかみながら、姉が答える。今、一番言ってはいけないことだ。
「ほう」
都道の目が興味深そうに大きくなった。獲物を捕らえようとする猛禽類の目になっている。
「それはそれは、見て証拠を撮らないと」
「脱がそうとすなあああああ!」
本間は力いっぱい叫んだ。
****
ぎゃーぎゃー言っているものの、夏美には続と都道の仲がいいとしか見えない。
「都道さんにとられた」
ぽつりとつぶやく。親友で妻帯者で男性というのはわかっていても悔しい。
すっと影がさした。
「ごめんなさいね」
「え」
顔を上げると都道の奥さんと呼ばれた人が隣まで来ていた。
「あら。まずは自己紹介からよね。はじめまして。都道 府県の妻、都道 薫子よ」
「はじめまして。本間 夏美です。本間 続の……」
と続けようとして、言葉につまる。
対外的には義妹と言うべきなのだろうけど、認めたくない気持ちもある。
「大丈夫。事情は府県から聞いているから」
と薫子はチャーミングな笑みを浮かべてウインクする。優雅な所作に夏美はほっと息をもらした。
「お、ポケットがサメのヒレになっているな」
都道が続の服のポケットに片手をつっこみ、パタパタとさせる。
「何やってんだ!」
三十代の男らのやりとりとは思えない。小学生かと思う。
都道がついに両手を使い始めた。続は身体をねじって逃れようとする。その間も続の文句は止まらない。
たぶん、都道が本気を出せばジャケットなどすぐに奪えるだろう。長引かせ、反応を楽しんでいるが故に、わざと手加減している。
「んー」
あんな風に続にちょっかいをかけたい。嫌がられたい。
イチャイチャしたい。
「取り返しに行ったら」
ふふ、と薫子が笑った。
ここで頬をふくらませて大人しく待つよりいい。
夏美は腕をちょっとまくり、二人の方へ向かっていく。相変わらず、ぎゃーすか言っていた。
「ねえ。都道さんじゃなくて、私に」
夏美は続のジャケットを後ろから引っ張る。続が驚いた顔をして振り向いてきた。
「ごめん、寒いか」
続が自らジャケットを脱いで、夏美の肩へかける。
あっさりと手に入れてしまった夏美は、がっくりと肩を落とした。
「え、姉さん。そんなに俺のジャケットが嫌?」
目の前で続が見当違いのことでショックを受けていた。
****
都道はちゃっかり続と夏美のペアルックを撮った後、続が止める間もなく夫婦そろって風のように去っていった。
「あのやろ。まったく運が悪い」
続はそう言いながら、ジャケットのボタンを全部とめる。一部見えているサメをまたボディバッグで隠して歩きだす。
思わず、夏美はボディバックを引っ張った。
サメが見えなかければ、ペアルックにした意味がない。一緒の服を着ていることをまわりに見てもらいたい。
そして、その反応で続自身が意識してくれるといい。
「まあまあまあ」
と、続は軽くバッグを元に戻す。
また引っ張ると軽く手首をつかまれ、放される。
夏美はヒレになっているポケットに手をつっこみ、パタパタさせる。
「ちょ、恥ずかしいから。子供みたいなことやめよう」
続が顏を赤くし、夏美の手首をポケットからひっぱり、そのままつかんだまま歩く。
(かわいい)
年上とはいえ、弟のすることはそう思えた。自身の右手首をつかんでいる続の左腕を反対側の腕でからませる。
続が幾分早足になったのが、一層愛おしく思えた。
一連の行動はまわりからみたら、残念ながら兄妹か親戚のように微笑ましく見えていたのだが、二人は知らないことである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます