第十一章 敵が味方になると弱くなるが、味方が敵になると厄介
第65話 所詮はデータ、紙の上の登場人物なので、死んだとしても悲しまなくていい
家のチャイムが鳴る。
荷物が届く予定はない。それで祝日の朝にくるのは、宗教か訪問販売。
夏美はインターフォンの画面を見、慌てて鍵をあけドアを開けた。玄関でさえ寒いのに、ひんやりした空気を肌に感じる。
「あの、都道さん。続は急な出張でまだ帰って来ていなくて……」
「知っている」
都道は黒髪に黒のロングコートという黒ずくめのいつもの姿だが、白い雪が頭と肩にかかっていた。
玄関前で雪を軽く払うと、都道は遠くを見るような目で冷笑した。
「出張か。いつまで、その言い訳を使うつもりなんだか」
「えっ」
ということは、ただの出張ではない。夏美は呆然と都道を見上げた。胸騒ぎがして、心細くなり自分で自分の手を掴む。
「説明する。上がらせてもらうぞ」
言うなり、都道は許可を得ずにドスドスと家の中へ入っていく。
「あっ、はい」
鍵をかけると、都道について行く。とても悪いことを聞かされる気がした。
****
「続は物語世界に囚われていると……」
都道からの説明に、夏美は自分の脳に言い聞かせるように繰り返す。
弟は自分の仕事のことをそう話すことはなかったけれども、危険が伴う仕事なのは知っていた。それでも、弟ならなんとかすると思っていた。
カップをギュッと両手で包み込む。紅茶の夕陽のような橙の液体が少しだけ揺れた。
テーブルの真向いに座る都道は、呆れた笑みを浮かべていた。
「あの馬鹿はただのデータ、紙の上の登場人物を殺せなかったんだ。実在の人物じゃないというのに。いつかやるとは思っていた」
物語世界は、登場人物や世界ごと実在化している。登場人物と言えども、実際の人のように体温があるし、喋り、笑う。
都道のように割り切れる人物は少ない方ではないかとも思う。
夏美も都道を殺しかけたが、あれは紙の上だと思っていたからだ。
「しかも夢オチときた」
都道の笑みが深くなり、まるで楽し気にすら見える。
「続は言ってました。夢オチは物語を強制終了させる。その際に高い確率でエラーを起こして、物語に飲み込まれた人が戻って来ないって。物語が完結して時間が止まるから、戻って来た人には私のように年齢のギャップがあると」
こんなことになるなら、つっこんで深く訊いていればよかったと後悔する。物語に飲み込まれるのは、圧倒的に弟の方が確率が高いとわかっていたのに。
「ほう。他には何を言っていた?」
「続きを書いて終わらせれば、戻れると。続も戻れますよね」
少しの期待を込めた夏美の言葉に、都道は深く息を吐いただけだった。
「ただそれだけなら、年齢にギャップを生じさせるほど時間がかかるはずがない」
言われてみれば、その通りだった。物語終了課という、物語を終わらせるのに特化した集団がそこまで時間をかけるはずがない。
「夢オチで閉じ込められた人物は、現実世界のことを夢と思い、物語世界のことを現実だと思い込む」
「忘れられてしまうの?」
それは嫌だ。
「現実世界に戻ってくれば、通常に戻るらしい。厄介なのは、自分は物語世界の住人だと思い込んでしまうことだ。それで、主人公を殺して終わらせる案は却下された」
「どうして?」
答えは考えればみつかる。脳がひっかかりを覚えたが、そう口に出した。
「アイツは人が死ぬのが嫌いだ。お人好しで馬鹿だ。主人公を庇って死にかねない」
夏美ははっと息を呑んだ。VRMMOで物語に飲み込まれた時に、レベル1でもつっこんできたのを思い出す。危険を承知でも、弟ならやりかねない。
「君は知ってのとおりだが、現実世界の人物は書いたとおりに動かない。人を助けようとする長所が邪魔だな。皮肉なことだ。皮肉とは言えば、物語を書いた作者本人は現実世界に戻ってこれたらしいがな」
都道はせせら笑うが、どこか親しみがある。
「飲み込まれた物語は、二人殺さないといけないというデスゲーム風の話だったらしくてな。下手に物語の続きを書いて暴走されたら、二次被害を食らいかねない」
人を殺す物語の中に弟がいると思うと体が震えた。
「厄介なのがな。物語の主人公は自らが創作上の登場人物と知っている。その相手を書いて動かそうとしても難しいらしいな。自殺もさせることができない。上は手をこまねいている」
「なら、どうしたら」
都道が、今までの態度が嘘のように明るくなる。
「そのために来たんだ。物語の続きを書いてくれ。私が物語の中に入る」
都道がUSBメモリーをテーブルの上を滑らせる。夏美はその飾り気のない白いメモリーをぱしっと取った。この中に弟を飲み込んだ物語がある。
都道がニヤリとした。
「私が主人公である佐藤 隆を殺して、物語を終了させる」
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