第64話 登場人物は勝手に動く

 文字の渦が静まると、住宅街の道路らしいところに出る。建物の形状と、文字から現代日本だ。

 本間は刀を風呂敷で包む。


「あれ? 家に居たはずなのにな」


 角戸の声が間近で聞こえる。

 今回は本物の角戸が、物語に飲み込まれたらしい。前回は飲み込まれたと誤認しただけで、登場人物の角戸が物語にいた。


「角戸。俺の所属はわかるか?」


「物語終了課だろ。どうしたんだ?」


 間違いない、本人だ。

 本間は苦い顔をする。公用のガラケーを出し、課長にかける。


『どうした?』


「事案発生です。かく」

 

 風を切る音がした。

 咄嗟に角戸の腕を引っ張る。コンクリートに矢がぶつかって壊れた。

 本間は携帯から手を離し、刀を抜き、角戸を守るようにブロック塀に寄る。


「これは夢の世界だが、死んだら現実でも死ぬ。ところで、角戸が書いた未完の物語で現代日本を舞台にし、人を殺すような話はあるか?」

 本間は幾分早口で言う。

 角戸に未完のことを悟られたとしても、緊急事態だ。


「はあ?」


 角戸は急なことについていけてないらしい。普通に暮らしていれば、矢で撃たれるようなことは起きない。

 気持ちはわかるが、それどころではない。

 

 ある一戸建ての二階の窓、カーテンの影が揺れた。矢をつがえるのが見える。

 再度、風が鳴る。

 刀で矢を弾く。物語世界だからできることだ。


「ど、ど、どういうことだ」

 本間の背中に隠れた角戸が慌てた声を出す。


「落ち着け。もう一度訊く。角戸が書いた作品で未完の作品は?」


「いっぱいある」


(まだ沢山あるのかよっ)

 本間は気が抜けそうになるのを堪えた。

 カーテンの奥にいるボウガンを持った人物はこちらの様子を伺っている。


「じゃあ、真昼間から人を殺すような話は?」


「今ここで訊くこと?」


「重要なんだ。思い出せ」


 表情はうかがい知れないが、数秒の沈黙の後に角戸は声に出す。


「誰でもいいから二人を殺さないと町から出られず死ぬという話を書いたことがある」


「たぶん、それだ」

 本間は心の中で舌打ちする。

 おそらくデスゲーム系。設定自体を書き変えないと自分たちの身が危ない。


「実験的に書いただけの話なんだ。いつもの平和な日常に死の恐怖を入れたくて」


「わかった。ありがとう。詳しくは後で聞く」


 角戸の話とボウガンと今後の対処と三つ同時に相手できるほど、器用ではない。どれかに集中力が削がれる。

 まずは安心して書けるところがいる。角戸に完結を任せると何時間かかるかわからない。



「本間さん! 角戸さん、こっち!」

 

 聞き覚えがある声がした。

 ボウガンの方向から目を離さずに、声の方にじりじりと寄る。

 

 ブロック塀が途切れた先の裏側に、角戸の背中を押し駆け込む。ひゅっと音がして、ボウガンの矢が地面に突き刺さった。


「身を屈めて塀に沿ってついて来てください。裏口から家に入りましょう」


 声でわかっていた。だが顔を見ると、安心とまたかという思いで深くため息が出そうになる。


 また佐藤に助けられた。



****



 佐藤は、角戸 完の話の登場人物だ。

 角戸が登場人物を一々考えるのが面倒という無精なせいで、色々な作品に登場させられている。佐藤に限らず、角戸の作品の登場人物は大体そうである。


 裏口から家に入り、戸を閉めて鍵をかける。息を吸うと、生きている心地がする。普通の一軒家だ。外の緊迫感とは隔絶された温かみがある。


「助かった。ありがとう」

 本間は刀を鞘に戻す。


「本間さんがいるのは心強いですよ」

 と佐藤は言いながら廊下を歩く。なぜか刃の光が袖口から見える。


「いや、心強いと思っているのはこっちの方だ」

 佐藤なら、こちらを殺しにはこないと思える。

 家に居れば安心とは言い難いが、対処するくらいの物語は書けるだろう。


「あ、包丁持ってるのは自衛のためです」

 決まりが悪いように、佐藤は包丁をハンカチで隠す。


「ああ、いいんだよ。大変なことが起こっているのは理解している。俺も刀を持っているしな」

 

 自衛するのは当たり前だろう。生きるために必死に殺そうとする世界では。


「なんだい君ら、知り合いなのか」


 角戸が何気なく言った。その言葉に佐藤の体が固まる。


「あ、失礼」

 角戸は佐藤の方を向き、軽く会釈する。



 息を呑む音がした。

体が勝手に動く。

 包丁と刀の鞘が触れ合う甲高い音で、状況に気づく。角戸は腰をぬかしたのか尻もちをついていた。


「さ、佐藤?」

 

 佐藤が角戸を包丁で刺そうとした。それを防ぎ、弾いたのにもかかわらず、頭では理解が追いついていない。

 佐藤が後ろに跳び退り、包丁を下ろす。


「本間さんを殺すつもりはありません。どいてください」


 泣きそうな、自嘲するような、凍るような冷たい声で、佐藤が言った。全く知らない人に思える。


「その人が作者なのでしょう」


 佐藤の言葉に、今度はこちらが息を呑んだ。



「あ、あ、あ、あっ?」

 

 しゃっくりするような角戸の声で、頭が冷える。本間は角戸の足を、自分の足で軽く小突いた。


「二階の部屋に入って、ドアの前に物を沢山置け! 俺が来るまで開けるなよっ」


「へっ」


「行け!」


 問答無用とばかりに、角戸の足を再度蹴る。角戸は這いずるように、四つ足でドタドタと階段を上がっていった。

 二階の方から、ガタガタと物が落ちるような、引きずるような音が聞こえる。



「佐藤、酷いじゃないか。角戸はただの作家だ。佐藤だって知っているだろう」


 本間は刀を持つ手をだらんと下ろし、なるたけ明るい声で言った。


「ええ。よく知ってます。その方とは初対面ではありませんが、先程の人は『はじめまして』と言いましたね」


「うっかり忘れていたんだよ」


 もっと良い受け答えがあるだろうが、思いつかない。

 登場人物の角戸なら佐藤のことを知っているはずなので、苦しい言い訳だ。


「すみません、本間さん。僕は、本間さんが書いた文章を読みました。僕は、角戸という作者の登場人物だと知っています」


「えっ?」


「登場人物の角戸さんにスタンガンで気絶させられたでしょう。その時に」


 本間は思わず一歩後退る。


(致命的なミスをした!!) 


 心臓の鼓動の音がする。

 あの紙の文章を見られれば、そう推測される……。



「あの作者がいる限り、僕の周りは不幸になる」


 静寂の中で水がうつように、佐藤の小さな呟きが大きく聞こえる。


(そういえば、佐藤の両親は。両親がいたはずだ)

 静かすぎることに血の気がひく。

 

 本間は汗ばむ手で刀の柄を握る。

 相手は包丁。リーチはこちらがあり、物語補正がある。狭い廊下ながら、抜刀はできる。 

 勝てる。 


「包丁を置け! 周りのことは俺がなんとかするから!」


 本間の叫びに、佐藤は悲し気に瞬きしただけだった。


「あのな! 作者を殺すことは自分を殺すようなものだぞ!」


 佐藤が包丁を後ろに放り投げる。

 つい、それを目で追ってしまうものの、気配が迫ってくる。


 ―本間は丸腰の子供相手に、刀を抜くのを躊躇した。


 咄嗟に柄で殴りつけようとして、空振る。バランスを崩した。

 腹に打撃を受け、続いて後ろ首に衝撃を受ける。


「だっ」


 背骨に響き、刀を落とす。首を押さえ、床に転がった。

 横倒しの視界に、佐藤が刀を拾うのが見える。


「あなたがいるじゃないですか。本間さん」


 心臓が跳ねた。

 

 佐藤が二階へいく。今から追いかけても間に合わない。


(クソがっ!)

 佐藤への怒りか、自分への怒りかわからないものが膨らみ痛んだ。

 本間は胸ポケットからメモとペンを取り出す。

 

(人を死なせるものか。殺させるものか)


 物語を強制終了させる。高い確率でエラーがでる。完結したのに物語の中に閉じ込められる。だが、きっと助けはくる。


 本間は殴り書いた。

 


『―という夢を見た』 


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