第71話「守る者としての矜持」


 俺と奈央さんが中に入るとそこには処置室のベッドに腰掛けている狭霧が居た。少し呆けて見えるが目は開いているしパッと見ると大丈夫そうに見えるが左足の包帯が痛々しかった。


「あ、ママ……じゃなくて母さん、私……って、シン? シン!!」


「危ない!! 狭霧、暴れないで下さいね? 怪我が酷くなりますから」


 ベッドから飛び降りてこっちに来そうだったので全力でベッドに抑えつけるとジタバタしながら抱き着いて来た。


「あっ、う、うん……シン~」


「狭霧、落ち着いて下さい。怪我に障りますから、ね?」


 取り合えずは足に負担をかけないように、そしてベッドから降りようとさせないように落ち着かせて離れようとしたが、離れないので妥協して手だけ握ってその場に立つ。周りの看護師は最初こそは俺を止めようとしていたが狭霧の方が手を放さないと分かると渋々納得してくれた。


「うっわ……すごっ……ここまでなんて」


「相変わらずシン君にだけは甘えん坊なんだから……最近は成長したと思ってたんだけど……本当に幼稚園の頃からベッタリで」


 驚愕の表情を崩せない赤音先生と逆に私たちを見て落ち着いた奈央さんが対照的で、後から入ってきた医者も面食らっていた。搬送されて来た時は落ち着いていたらしい。逆に私が来てしまった方が問題なのでは無いだろうか?


「シ~ン~!! 怖かったよぉ~!!」


「いや、竹之内、あんたさっきまで『あまり痛く無いんで』とか真顔で――――」


 ん? もしかして思ったよりも怪我は大した事は無かった? それと同時に別な事を考えて狭霧の顔をジーっと観察する。


「私、凄い必死でっ……怖くて~」


「そうですか、頑張りましたね。それで? 何を隠しているんですか?」


 そう、ここまで甘えて来る時は七割方何かを隠している時だ。私に何かを悟られないように甘えて誤魔化す。狭霧の得意技の一つでも有る。ここ数年は物理的に距離が離れていたが、そもそも幼稚園から中学までは大体こうだった。


「そう言えば、小さい頃から狭霧は何か困った事が有るとそうだったわね、やっぱりシン君を連れて来て正解だったわ。狭霧、正直に話しなさい」


「な、何も隠して無いから……さっきから左足はジンジン痛いし、軽く飛んで道路にお尻ぶつけちゃったし、体中痛いんだよ? 優しくしてよ~!!」


 そう言って右足を一瞬だけ庇う仕草を私も、そして俺とボクも見逃さなかった。意見が完全に一致した。


「ふむ……せんせい、狭霧の右足を入念に調べて頂く事は出来ませんか? 何か隠してます」


「っ!? 凄いな君は……一応はCTから全身も、特に両足は共にレントゲンも撮って調べたのだが……竹之内さん、あなたの右膝、大変な事になってますね?」


「え!? ど、どう言う事ですか!? 先生、怪我をしたのは!?」


 奈央さんが思わず医者に詰め寄りそうだったので抑え、落ち着かせると医者が話し始めた。話は長かったので要約すると、まずは交通事故は確かに車に轢かれた事は轢かれたのだが突き飛ばされた時にカバンがクッションになり、臀部、つまりはお尻は無傷。そして血が出て引きずられたと言う左足だが、これも出血は酷いが骨も露出する事無く、少し深い傷と足首の骨にヒビが入ると言う、あの規模の交通事故にしては軽傷で、恐らく夏休み明けには松葉杖も使わないで済むと言われた。


「良かった……日常生活には……」


「問題はここからでしてね……私は専門では無いので、整形外科の者を呼んでますので詳しくは彼女からお願いするので私はこれで失礼します」


 初老の医師と看護士が出て行くと別の看護士と女医さんが入って来た。キリッとした感じの女性が入って来るが少し表情が険しい。


「はい、はじめまして。整形外科兼スポーツ診療科から来ました野上です。まずは竹之内狭霧さん……こんなになるまでどうして放置したんですか?」


「え? そ、それは……」


「狭霧? どう言う事なの!?」


 取り合えず奈央さんを落ち着かせて狭霧を促すと最初は黙っていたが少しづつ喋り出す。


「おかしいなって、思ったのは二月の試合で……で、でもすぐに痛みは止んだから」


「それで放置していた? そう言えばハードワークをしていると他の部員からも聞いてますよ?」


「そっ、それは……」


 俺がそう言うと女医さんは「やっぱり」と相槌を打った後に話を続ける。


「恐らくそれが原因でしょう。前十字靭帯損傷、あなたの場合は断裂ですが右足が、分かりやすく言うと右足の皿の靭帯がほぼ断裂しています。力が入らないでしょ?」


「うっ、はい……」


「ここからは私と総合診療科の医師の推測なのですが、恐らくは極限まで酷使していた膝と、今回の交通事故の衝撃が重なって辛うじて無事だった靭帯が限界を迎え断裂したと考えます」


 なるほど、だから井上さんを庇った時に狭霧は動けなかったのか、狭霧の運動神経なら避けるのは不可能でも何かしらの回避行動は取った筈、足の痛みで無理と悟って、だから咄嗟に逃がした。


「ちょっと待って、前十字靭帯損傷って大学の先輩が……待って下さい。先生それって!!」


「えと、学校の先生ですね? 失礼ですが詳しい状況を聞いて無いのですが彼女は何のスポーツを?」


 そこで声を上げた中野先生に女医の先生も何か気付いたようで話し始めていた。


「はい。あ、私、涼月総合学院で女子バスケットボール部の顧問を務めております。中野赤音です」


「バスケット……そう言う事ですか……この怪我、症状は本来はバスケットボールなどのスポーツでは、そこまでは多くないのですがそれでも膝を使うスポーツなので」


 その後二人の話を聞いて行くと専門的な治療と、可能なら手術が必要だと言われた。もちろん早くした方が良いと言われたのですぐに受けるように言ったが……。


「怖いよぉ……」


「狭霧、早く治さないといけませんから、聞き分けて下さい」


「そうよ狭霧、一週間くらいで歩けるようになるんだし」


 ご覧のように渋り出した。予想は付いていたけど改めて説得には時間がかかりそうだが、どうしたかと思ったら狭霧がこっちを見て呟いた。


「デート……二人きっきりで……遊園地」


「はい?」


「シン君!! 答えはイエスのみよ!! 分かってるわね!?」


 いや、それは……奈央さんの目は真剣だ。さらにダブル先生と看護士さんもこっちを見て来る。狭霧は手を掴んで離さない。


「そんな事で良ければ喜んで、入院中は毎日来ますから覚悟して下さいね?」


「うんっ!! 手術受けます!!」


 その後は迷うことなくトントン拍子に話が進んで行く中で中野先生は安堵の表情と同時に少し影があるように見えた。このまま入院となり手術は明後日、大人だけで話が有るそうだから看護士さんと一緒に車いすを押して狭霧と処置室を出た。


「タケ!! 大丈夫なの!?」


「えっと手術が必要だって……アハハ」


「ごめん、私が……」


 部長と井上さん、他のメンバーも皆が心配そうに取り囲んで話出すから看護士さんと二人でさり気なく抑えながら移動を開始する。


「気にしないでよ~!! だって治ったらシンがデートしてくれるって!!」


「で、でも……」


「狭霧もこう言ってますから、明日から時間があれば顔を出してあげて下さい。幸い個室を取ったそうなので、少し人数が多くても問題無いですよ?」


 病室に入ると少しうるさいと看護士さんに注意され、さらに佐野さんや部長さんも軽傷らしく軽い怪我の処置を受けて今日は解散となった。後ほど奈央さんと女医さんが来るそうで、病室で自然と二人きりになる。



 ◇



「ふぅ、さて狭霧? 今は二人です。もう泣いてもいいですよ?」


「うん……ありがと、やっぱりバレてた? あと……背中貸して」


「当たり前です。どうぞ」


 昔のように大泣きはしなかったけど背中にしっかり抱きついて泣いている。昔はおんぶをして帰る際には泣き疲れて寝ていた事も有ったと記憶から呼び起こす。私の記憶では無いが確かに体は覚えているこの感覚は不思議だった。


「約束……守れないよぉ……」


「気にする事なんて有りませんよ。来年、全国に連れて行って下さい」


「でも……来年は三年だしさ」


「なら皆に全国に行ってもらって、すぐに復帰して、いいとこどりしましょうか? 大丈夫、リハビリにも付き合いますから」


 そう言いながらも私は一つの不安を抱えていた。中野先生のあの表情、いくら小さい時に医療の知識を独学で学んだとは言え私の知識はせいぜい子供が集めた程度のもので、専門家には遠く及ばない。正に広く浅く、ある程度は分かっている器用貧乏の所業だ。


「シン……私、すぐに治る……よね?」


「もちろんです。先ほどの女医の方の説明は聞きましたね? 手術をして一週間で歩けるようにはなると……」


「そう、だよね……うん」


「不安に思うのは分かりますが、先生の話をしっかり聞いて、あとは奈央さんと話し合いましょう。良いですね?」


 そのまま奈央さんが来ると交代するように病室を出た。中野先生が手を振って呼んでいたからだ。


「副会長くん、悪いねラブラブなとこ呼び出して」


「問題は有りません。それで、お話はなんでしょうか?」


 中野先生は少し苦笑いをしながらキリッとした表情に切り替わった。割と焦った顔か呆れた顔しか見た事ないから新鮮だった。


「うん。私、大学時代もバスケやっててさ、その頃はもう引退してバスケはサークルでお遊びだったんだけど、ガチでやってる先輩、それこそ実業団とかプロリーグ目指してた人が居てね」


「狭霧と同じ怪我をしたと?」


「察しが良いね……ほんと頭が良い子は助かるかな……その先輩は、再起不能になったの……怪我を無視した結果でね。だから」


 再起不能……選手生命が断たれたと言う事か。それほどの怪我なのか? 家に帰ったらすぐに調べよう。それとリハビリの方法や出来る事は全て。


「分かっています。明日から毎日来ます。無理はさせませんから、私の生徒会活動に関しては連絡しておきます」


「ありがとう。でも違うの……たぶん手術後に話されると思うから今言うのはって、思ったんだけど……その、リハビリが相当大変だと思うから」


「そうですか……取り合えず術後の経過と医師の方と話し合いをした上で、ですね」


 それだけ言って中野先生は学院に報告が有ると言って公衆電話の方に行くらしい。狭霧と一緒に搬送されて来た際にスマホを会場に置き忘れてしまったそうだ。


「ま、そう言うわけで、竹之内……さんの事お願いね?」


「はい。今度は、必ず彼女を守り切るのが私の存在意義ですので……」


「な、何か重いわね……でも、それくらい責任感が有った方が良いのかな? あの子は才能有るからたま~に天才特有の明後日に飛んで行く感じが有るから」


 分かっています。彼女はすぐに私を……俺を、ボクを置いて行くから追いかけるのがいつも大変なんですよ。



 ◇



 病院の前に出ると母さんが車で私と奈央さんを待っていた。面会終了時間まで居て、さすがに夏とは言え辺りは薄暗いから助かった。奈央さんは明日、会社の昼休み頃に着替えを届けるそうで、私もそのタイミングでお見舞いに行く事にした。

 そして奈央さんを送り届けると車内では母さんと私だけとなった。経緯は先ほど奈央さんが話していたので理解はしたようで少しの間黙っていたのだが、おもむろに口を開いた。


「信矢……今は一番、大丈夫な状態?」


「はい。母さん。問題有りません」


「そ、そう……あんたが不安定なのに、こんなの言うのは間違ってるとは思うんだけどね……」


 言いたい事は分かります。だから答えると同時に内側からの返事も来ていた。さすがは私達だ。こう言う時は一致するんですね。


「言われるまでも有りません。狭霧は何があっても……今度こそは、私が守り抜きます。これは三人の総意です」


「すっ、凄いわね……相変わらず」


「ええ。あの頃の、もう誰も守れない弱い私では有りませんから、そのために、ここまで強くなって、体を鍛えた。当然です」


 そう言ってすぐにスマホを確認すると通知が入っていた。もちろん狭霧だ。すぐに返信しなくては不安に思うだろうから簡潔に送ろう。明日から忙しくなると思いながら私はスマホを見ながら返信の文面を考えていた。

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