奇跡の価値は君が決めろ

 透明なケースに収まった五本の注射は常に早乙女自身の学生鞄の中に入れている。

 家族が早乙女の部屋に入ることはないが、万が一何かの用事で入ってこないとも限らない。薬品の見た目が見た目なだけに、どうしても手元にないと不安を覚えてしまうのだ。

 とはいえ、学生鞄に入れてしまうと学校にも持ち込むことになる。薬を取り出す機会は現在は無いものの、虐められている側である彼では勝手に荷物を漁られかねない。

 世界が注目する者達から直接与えられた物だけに、彼の注意は尋常ではなかった。ケースの上からあまり怪しまれない黒いポーチを被せ、ロッカーに入れていた鞄を机横のハンガーに引っ掛けている。

 同様の真似をしている生徒は数多く存在し、見た目だけであれば然程違和感は無い。もしも尋ねられた時を考慮して、普段なら絶対にしない自作弁当を中に入れていた。

 

 今後一ヶ月の間に五本の薬を使う機会が訪れる。

 その薬を使うか否かを決めるのは早乙女自身。副作用が大きいが故に、平日で使えば学校に行けなくなるのは目に見えていた。

 一回や二回くらいであれば平日で使用しても誤魔化すことは出来るだろう。彼自身が虐められているのは家族も知っていて、学校に知らぬ者はいない。仮病を使ったとして、どうして彼を責めることが出来ようか。

 普段通りに学校に通い、その上で日々の鍛錬を怠らない。

 明確に目的が出来た早乙女の雰囲気は堕落に満ちていないし、学生特有の緩いものを持ってもいなかった。注射を貰って条件を出された際は驚いたものだが、彼女の告げた条件を達成すれば多少なりとて注目してもらえる。

 あの日、記憶を消されず殺されなかった時点で早乙女は既に疑問に思うべきだった。

 どうして気付かなかったのだろう。確かに初めての事であったのだから気が回らなくても不思議ではないが、落ち着けばその程度の思考に行き着くことも出来た筈だ。


 それが出来なかったのは正しく早乙女自身の怠慢。

 これからの将来を描けず、一学生に甘んじていたが故の惰性が思考を妨げた。そんな己を彼は心底嫌っていて、今はあらゆることに注意を傾けている。

 そして、一度周囲を注意深く見れば解ることもあった。

 人間関係による上下。各々の性格。誰が支配者で、誰が被支配者なのか。見れば見る程、それは瞭然となって早乙女の思考に流れ込んでくる。

 自分を見る目は三パターン。嘲りか、同情か、無関心。

 少なくとも味方となる者はこの教室には一切存在しない。頼れる誰かも居ない状況で、真実信用出来るのは己のみ。


「パターンを考えておくか」


 昼休み。

 各々が弁当やパンを取り出す中、早乙女自身も弁当を広げながら手帳サイズのノートにペンを走らせる。

 予想される自身の危機とは何か。主題の横に薬品の使用回数を記載し、思い付く限りの内容を一列ずつ書き込んでいく。

 怪獣。自然災害。事故。犯罪者。虐め。

 大きな枠に纏め、命の危機となる状況を次は想定していく。例えば怪獣であれば、自身が攻撃の流れ弾を受けるかもしれない。

 災害であれば建物の倒壊であったり、津波に呑み込まれることであったり。事故であれば車の衝突だ。

 犯罪者とは愉快犯による殺傷事件が該当する。火災に巻き込まれることも加味すると、驚く程に彼に起きそうな出来事は多岐に渡っていた。

 

 勿論、その殆どが実際に発生することはないだろう。

 大規模な自然災害など頻繁に起こるものではない。怪獣の襲来についてもレッドが居る。愉快犯なんて早々出会うこともないであろうし、身近な危機と言えばやはり事故や虐めだ。

 

「……ま、使う必要はないよな」


 事故であれば使う必要に迫られるかもしれないが、虐めで使うのは言語道断だ。

 筋力十倍。その言葉通りであれば、軽く小突くだけでも骨を折ることが出来る。壁を殴れば日々が入る可能性も十分に有り得た。

 如何に早乙女の筋力が平凡であろうとも、十倍にまで高められれば煉瓦を十枚割ることも造作もない。

 だから、虐めの鎮圧に使えば過剰になる。怪我人多数で済めば良い方で、死者まで出せば早乙女の人生は急転直下。真木はこれ幸いと責め立て、更なる地獄へと彼を連れて行くのは目に見えていた。

 横目で真木達が居る場所を見る。

 他人の机を占領して馬鹿笑いに興じる彼等は、人の迷惑を一切考えない。自分がされたら嫌なことを想像せず、何処までも自分本位な生活を送っていた。


「上位カースト、ね」


 学校は社会の模型である。

 それを言い出したのは誰だろうか。解らないが、成程と首を縦に振る。

 上位カーストを富裕層に見立て、底辺カーストを貧困層に当て嵌めれば、面白いくらいに社会の縮図となる。

 富める者は富み、貧する者は貧し、その流れを断ち切るのは容易なことではない。虐められている側を差別されている人間に当て嵌めれば、現在の早乙女は差別主義者に差別されているようなものである。

 実にくだらない。学校とは単なる教育機関に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。友情を育むことも嫌悪し合うこともあるが、一度社会に出れば会わない者の方が圧倒的だ。

 

 差別されている側が人権を獲得するには、社会の構図を逆転させるしかない。

 トランプの大富豪にある革命と一緒だ。弱者が頂点となり、強者が最底辺に居る状況とならねば早乙女の虐めは消えない。この場合、早乙女の現在の手札はあまり多くは無いと言える。

 三や四しかない状況では二や一には勝てない。逆転するならば――盤外のジョーカーを最後まで隠し通すべきだ。

 ただの鬼札では真木達に取られる。故に正攻法は使わず、今はレッド達に認められることを最優先とした。強くなる道としてもあの二人の傍に居る方が正解で、しかしそれをすれば彼の生活は一変してしまう。

 揺れ動いている。彼は平凡な暮らしをしたいが、かといって非常識溢れる世界に浪漫を感じない訳でもない。

 至って普通の感性をしているからこそ、盤外の札の使い方は慎重にならざるをえないのだ。文字通り、レッド達は爆弾と言っても良いのだから。


「頭が痛くなってくるなぁ……」


 呻き声を漏らしながらノートに道筋を書く。

 行動の起点や辿り着く場所。己がこう動けばどのような影響が起きるのか。さながらストーリーを作っていくような感覚に、自分は作家だったような気さえしていた。

 そうこうしている間にチャイムが鳴る。掃除を行い、教員側からの連絡を受け取った後に帰宅するだけだ。

 その頃には早乙女に複数の視線がぶつけられるも、その勢いは以前と比べると低い。拙いとはいえ戦闘技法を学んだが為に、彼の攻撃を脅威と思う者が真木達の中から出て来たのだ。

 さぁ今日はどうなるのか。溜息を零しながら最後の挨拶を終えた――――――瞬間、学舎全体が揺れ出した。

 最初は小さく、されど徐々に勢いを増して、机も窓も壁も軋む音を立てる。

 突然の事態に皆が騒然とする中、教員の叫び声によって全員が机の下に潜り込む。早乙女は咄嗟に携帯を起動させ、情報の巡りが速いSNSを開いた。

 

 震度四、震度五……震度六。

 けたたましく鳴り響くエリアメールを無視し、SNSを眺めている早乙女は同じ事が周囲でも起きていることを理解した。

 つまりこれは、学舎だけが揺れているような特異な出来事ではない。極めて自然的な災害であり、彼自身が無いと思っていた出来事である。

 遠くでは壁や硝子の割れる音が聞こえ、事態の深刻さが嫌でも伝わってしまう。

 地震は数分続いたが、彼等には一時間にも感じられた。徐々に収まり、完全に消えたことを早乙女は理解して顔を出す。

 そのまま割れた窓に駆け寄ると、直ぐに開いて外を見る。

 そこには、黒煙をあちらこちらで上げる街の風景があった。見慣れた場所が一気に地獄へと変わり、他に窓に集まった生徒達は悲鳴を上げる。

 皆が皆、思い思いの言葉を叫んでいた。教師の落ち着かせる声も届かず、騒がしさは加速するばかり。

 だが、早乙女は焦燥を覚えながらも悲鳴を口から出すことはなかった。即座に鞄を掴み、それを胸の内に抱えて廊下に飛び出す。

 

 目指すは屋上。珍しく施錠されていない重厚な扉を目指し、足を全力で動かした。

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