謎の人物による偶発・必然の接触
夕方。
徐々に陽が落ちる速度も揺るやかになった午後四時において、早乙女は今日も今日とて傷だらけのまま近道を進んでいた。
口の端から血を流し、露出した腕には大小の擦り傷がある。白いワイシャツは砂で汚れ、見るからに喧嘩帰りであることが伺えた。
早めに帰れるとはいえ、暴力を受け続けていれば結局遅くなる。校舎裏は特に人気が少ないことで有名であり、例え目撃者が居ても無視されるのが日常だ。
喧嘩は五人中三人まではダウンさせられたが、残り二人と真木によって存分に殴られた。彼女は目を光らせて倒れた早乙女の顔面を蹴り上げ、その一撃が一番のダメージになっている。
早乙女本人も解る程真っ直ぐに歩けていない。もしやと最悪の未来を想像するも、例え想像しても何も変わらないのだ。
休んだら休んだ分だけの暴力を振るわれるのは目に見えていた。だから身体がおかしくなっていることを自覚しつつも、彼は病院に行くことは絶対にしない。
近道は放火事件が起きた後と比較すると何も変わっていない。
木々が折れている箇所があったり、焦げ跡があるにはあるが、それ以外は至って普通だ。倒れた木も撤去され、そこに怪物が居たであろう痕跡は一つも残されてはいない。
早乙女はその事実に残念がる。常に傍に異常があってほしい訳ではないが、完全に無くなってしまうと寂しさを覚えるもの。
程々の付き合いが出来れば最良で、されど実際はどちらかにしか傾かないものである。
「――何か、寒いな」
季節は初夏を迎えた六月。
寒さを齎す冬は去り、暖かみのある春も過ぎた。次は猛暑と呼ぶべき夏が始まる筈なのに、この近道は嫌に冷えている。
太陽の差し込まない暗がり故か、あの怪物に追われた恐怖が故か。可能性を二つ挙げるも、即座に違うと彼は断じる。
これは物理的に冷えている。明確に、確実に、自分の体温が外側から奪われている。
不自然な自然現象に緊張が走った。またこの道で何かが起きていると足は自然と前へと急ぐ。抜けねばならないと頭は急かし続け、しかし同時に警戒しろと走ることを封じる。
怪物と出会った場合を考え、体力の温存を図るべきだ。既に体力は大分喪失したものの、逃げるだけならまだ可能である。
寒さの正体が解らぬまま進み、そして彼は見つけた。
白い、本当に白いパーカー姿の人物。黒のラインが入ったパーカーの肩にはType2の黒文字が入り、無言のまま彼を見据えている。
その姿に既視感があった。
当然だ、何せ色が違うとはいえ一度助けられた人物の着ている物と一緒なのだから。そして、そのパーカーを着ているのであれば寒さの原因についても納得することが出来る。
「……先日、助けてくださった方ですか?」
「いいや、違うな」
低めながらも女性の声が答える。
助けてもらった際に聞いた声は男性のものだった。であれば、目の前の人物は別人だ。一気に警戒感を高める早乙女を他所に、女性はゆっくりと首を左右に振る。
「解らないな、どうしてアイツはお前を放置したのか」
「アイツ……?」
「レッド……といってもお前には解らんな。 黒い方だ」
「――もしやお知り合いなんですか!?」
まさかの事態だった。
別人は別人でも、件の人物と目の前の人物には繋がりがある。一つでもあの男について知りたかった早乙女は、焦りからか数歩前に出た。
「知り合いという表現は適切ではないな。 彼と私との関係は友人のようであり、恋人のようであり、家族のようでもある」
「友人で、恋人で、家族?」
「深くは考えなくても良いさ。 どうせお前には関係のないことなのだから」
不思議な関係性に早乙女は疑問を口にするも、女性は彼に対して然程の興味も持っていない。
当然だ、早乙女には何の力も無い。この出会い自体は彼女が動いたからこそであり、その理由を言葉から推測すれば先日の一件が脳裏をちらつく。
放置。目の前の女性はあの男が己を放置したと語っていた。
意味を察するのであれば、本来目撃者を放置することはないのだろう。男の方が態と見逃し、その原因を探りに彼女は此処まで来たのだ。――もしもあの一件をそこら中で吹聴していれば、きっと目の前の女性を認識する前に消されていたに違いない。
今度は違う理由で背筋が冷えた。レッドと呼ばれた男性に内心で感謝しつつ、湧き上がる疑問に今度は意識を向ける。
「お前、何か特殊な生まれはしたか」
「いえ、普通に一般家庭です」
「では何か人とは違う能力があることは?」
「寧ろ劣等性の部類に入ると思います……」
悲しいかな、社会で見れば彼は劣等性だ。
不足している方が多い現状において、彼女の答えに値する要素は一つもない。惨めな気分を味わう早乙女を他所に、女はあらぬ方向を見て思考を重ねていた。
やがて内容が固まったのか、パーカーの内側を漁って五つの液体入り注射を取り出す。透明な箱に収められた注射は長くはなく、人差し指程度のものだ。
薬液の色は目の覚めるような青。注射である以上は人体に流し込む代物なのだろうが、早乙女の目から見てもその液体は人体にとって害しか与えなさそうだった。
「劣等があの男の興味を引いたか。 少し興味が出たぞ」
「……何をするおつもりで?」
「するかどうかはお前次第だ。 これを受け取れ」
注射入りの箱を投げられ、慌てながらも早乙女はそれを手にする。
重量は無い。小物特有の重さを肌で感じながらも、その内側にある物は確実に正規品ではないだろう。彼女自身の自作だと言われた方が自然だ。
これを使うかどうかは自分次第。彼女の発言の意図が掴めず困惑を露にすると、人差し指を立てて説明が始まった。
「この薬を使うと三十分だけ筋力が増強される。 増幅量には個体差があるが、平均で十倍。 勿論副作用もそれに合わせて酷いものだ」
「…………」
「そんなに怖がらなくとも良い。 副作用は二十四時間だけ全身が筋肉痛を起こすものだ。 気絶していれば勝手に元通りだよ」
筋肉痛と言えばマシかもしれないが、全身に至る激痛の時点で満足に動かすことは出来なくなる。
全てが痛むのであれば指一本を動かすだけでも辛いだろう。無理に外を出歩けば、待っているのは鍛錬時の痛みを遥かに凌駕する病院行きレベルの地獄だ。正にハイリスクハイリターンである。
使うのを躊躇するのは勿論、そもそも使う機会がまったくない。
「明日から一ヶ月。 その間に五本全てを使い切らなければお前を殺さない。 逆に五本全てを使い切ればお前を殺す」
「なっ!?」
「お前がレッドの興味を引いた訳を知りたくてな。 取るに足りぬ存在かどうか確かめさせてもらう。 精々全力で一ヶ月を過ごしてみせろ」
内容は物騒そのもの。そして内容から今後一ヶ月の間に注射を使う機会が訪れる。
新たな怪獣が出てこの街を荒らすのか、早乙女本人の虐めがより苛烈になるのか。後者については彼女は知らない筈であるが、何故か何でもお見通しなのではないかと勘繰ってしまう。
質問したいことは多くある。けれども、女は正直に全てを言いはしないだろう。精々断片を残す程度で、その断片すらも彼等に辿り着くにはきっと足りない。
女の周りに風が吹く。足元の地面が霜に覆われ、徐々に彼女の全身を包むように氷が発生する。
頂点まで氷に包まれた身体は一瞬の後に割れ、その姿を消した。一体如何なる技術を用いたのかも解らぬ消失に早乙女は唖然としつつも、やがて薬品を鞄に入れて歩き出す。
厄介な事になったぞと、彼は内心で悪態を吐いた。他の奴等より前に行ったぞと、内心で喜んだ。
相反する感想を抱えながら彼は自宅に戻り、ベッドに転がる。その顔は虐められた直後の人間にしては、あまりにも喜色を帯びていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます