あの日の瞬間を彼は忘れない
「おーおー、ゲッスい真似するねぇ」
早乙女・蓮司が嚇怒を燃やして立ち上がった同時刻。
遥か離れたマンションの屋上で彼等の会話を聞いていた澪は楽しみながらやり取りを眺めていた。虐めの現場を視界に収めて証拠画像として保存してはいるものの、その使い道は警察に提出するものではない。
物語の始まりとして虐めの事実は都合が良かった。非日常の始まりには鬱屈した思いが必要で、それと同時に容易く悪に屈さない心意気も求められる。
早乙女はその両方を持ち、一度完全に爆発すれば主人公が如くに立ち上がった。今も視線だけで黒幕である女を睨み、僅かな動く隙すら与えていない。
目撃者としては十分。否、十分以上。もしも澪が彩斗に出会っていなければ、あるいは彼を物語の主人公として擁立していたかもしれない。
だからか、彼をただの目撃者として利用するべきかと考えてしまう。
他にも何か使い道があるのではないか。柔軟に変えられる現状、彩斗と意見を交わせばシナリオの一部修正は可能だ。
此方側に引き込まなくとも、怪獣の争いに関与させることは出来る。とはいえ、他に意識を向ける必要が出てくるので絶対ではないが。
さてここからどう動くのか。
澪が期待しながら見ていると、早乙女は彼女の脅しを無視して手を伸ばし始めた。目的は彼女の持つ携帯か、あるいは彼女自身か。
明らかな害意を持った行動であるので真木は通話ボタンを押しても不思議ではないのだが、その本人が震えてしまって通話ボタンを押すことが出来ない。
そのまま早乙女は彼女の携帯を掴み、容易く奪い取る。電源を落して地面に叩き付け、液晶を破壊した。
暴挙と言えば暴挙だ。
しかし、その暴挙が許される状況ではある。ここは冷静に証拠品として携帯を回収すべきではあるが、正気ではない状態で集めることは不可能だ。
「あ、女の方が先にぶっ倒れた。 まぁ、昨今の世の中じゃあんな殺意は向けられないからなぁ」
大きな期待は寄せてはいなかった澪が残念そうに口にする。
早乙女の殺意は本物だ。現代ではまず向けられることはない悪意の奔流に真木の精神は焼き切れ、防衛本能によって強制的に意識を断たれた。
倒れた彼女を見下ろす早乙女の表情は澪には見えない。ここで殺そうとするのか、何もせずに痛む身体を押して帰るのか。
早乙女が選んだのは、無理を押してでの帰宅だった。
身体中のダメージを無視して鞄を回収し、そのまま家に向かう。普通の青少年であれば倒れても不思議ではない暴力を受けてなお歩けるのは、妹が無事であるかどうかを早く確かめたいからだろう。
『澪、こっちは配置に付いたぞ。 そっちはどうだ』
『問題は無いよ。 今日も虐められてこれから帰るところ。 ただ、ちょっと予定を前倒しで始めようか』
『……何かあったのか?』
『いんや? ただ家族愛ってのが実に麗しいなと思っただけさ』
脳内に広がる彩斗の声に軽く応え、帰宅する早乙女を屋上伝いに追いかける。
監視カメラや人の目を避けながらの移動なので彼女の視界に入らないこともあるが、行先は一緒だ。最終的には同じ場所に集まるのだから必要以上に追いかけることはない。
途中で倒れることも懸念されたが、早乙女はふらつきながらも近道の傍にまで着いた。後は森を一直線に突っ切るだけで彼の家があるだろう場所まで到着する。
彼が澪の姿を目撃する前に腰ポケットからカプセルを取り出す。
水色に淡く輝く球形のカプセル内にはDNA状の光が漂っている。そのカプセルを無造作に森に敷かれたコンクリートに投げ込み、設定通りにコンクリートが集まり始めた。
カプセルを核としてボディは構築され、最初はコンクリートと同色になる。その後に表面が黒く染まり、鱗に覆われたように形成された。
二mの黒い鱗に覆われた筋骨隆々な人型。首から上は垂れ下がる触手めいた頭部があるだけで、目も口も鼻も無い。
およそ感覚器官の大部分を喪失しているにも関わらず、二本の足で立つ様は堂々としていた。
試作零号。オクトリンクと名付けられた個体に彼女は意識の一部を飛ばす。二つの身体を同時に操作するのは常人では困難であり、澪はその問題を解決する為に簡易操縦システムを導入した。
具体的に言えば、意思を持たないAIのようなものだ。ある目的にのみ特化したAIを組み、彼女が命じればそのように動く。
試しにと澪は歩けと伝え、その通りにオクトリンクは軟体の身体を揺らして一歩を踏み締める。
その様は不気味そのもの。異形生物としての印象を強く意識させられ、夜に目撃すれば絶叫を上げてしまうだろう。
『想像以上に気持ち悪いな。 なんか身体が濡れてるし』
『雰囲気重視で滑り気を搭載しました。 森の中なら余計に気持ち悪いだろうね』
『うわぁ……』
引いた声が澪の頭に響く。
それに対して苦笑しつつ、さてと彼女は森に突入する早乙女に目を向けた。森の外にある廃れたビルの屋上から見ているが、未だ本人が気付いた様子は無い。
学校を出た時よりも遅い動きで進んでいたようで、お蔭で時刻は六時を回っている。そろそろ夜に突入する夕暮れは昼夜の境を意識させられ、何故か非現実的に思えてしまう。
所詮は時間経過による現象の移り変わりでしかないのだが、オクトリンクを視界に入れることで異世界に迷い込んだと錯覚してしまいそうだ。
やがて、彼は森の奥で無言で佇む化け物を視界に収める。
普段であれば殆ど人の通らない道。付近に住む人間も居らず、あるのは人気の無い民家や倒壊予定の建物ばかりだ。
自然、早乙女の足は止まった。
無言で佇む怪物を前に目を擦るのは愚かと言う他ないが、そうしたくなるのは常人であれば仕方がない。幻覚であればそれでいいものの、万が一現実であれば異形が確かにそこに居ることになる。
だから目の前の光景をしようと何度も目を擦り、そして何度も確認した目には異形が映り込んでいた。
三回も確認すれば誰であれ現実であると認識する。早乙女は一歩足を後ろに置き、その瞬間に澪は短く命令を発した。
直後、オクトリンクは身体を捩り飛び跳ねる。二mの巨体からは想像も出来ない高さまで浮かせ、早乙女の背後に軽い地響きを立てながら着地した。
学校に戻る道を潰したことで自身が狙われたと理解した早乙女は、これまでの速度が何だったのかと思う勢いで家への道を進む。
その後ろを追い付かない程度でオクトリンクは走り、澪は新たに作った腕輪型のカメラで撮影を行う。
遠くからの撮影なので臨場感には欠けるが、映像として残す分には何も問題は無い。
『始まったよ。 準備しといてね』
『おう。 合図を頼むぜ』
澪の言葉に彩斗は答える。
彼が居るのは森ではない。森の直上、遥かな上空。両手の炎を用いて空中を漂い、突撃の時を今か今かと待ち侘びていた。
合図と共に両手の炎を空に向かって放ち、地面に向かって突撃する。遥かな空からの着地など自殺行為でしかないが、その程度の事は容易く行える力がある。
彩斗の笑みは上空に届いた時点から止まらない。いよいよ二人が思い描いていた物語が形となって動き出したのだから、喜ばない訳がない。
此処から怒涛の勢いでストーリーは進み、世界中が大混乱に陥る。果たして世界は澪の技術にどれくらい追い付けるのか、果たして世界は怪獣にどれだけの対抗策を打ち出せるのか。
興味と期待と興奮を混ぜた劇薬を過剰に摂取し、合図が来るまで未来を想像する。
何時かこの始まりを誰かに語ることがあるだろうか。――胸の何処かでそんなことを考えながら。
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