第47話

32.


 このお祭りも残すところおよそ一週間になった。とはいえ、僕の出番はあと一時間くらいで終わる。

 これは早そうであるが、E組は後半種目の成績が揮わず、多くの生徒は既に各々の務めを全うしていた。

 逆にやる気の欠片を持ち合わせてこなかった僕が未だに残ってしまっているのは皮肉なのかもしれない。


 僕は体育館のキャットウォークの方へ、ちょうどこれから2年E組と3年A組の試合が始まるのだ。男子バスケではない、女子バスケだ。

 どうせまた一階に降りるのだから、コート脇で観戦していてもよかったが、あそこにいれば声援を送らなければならない気がして――――逃げてきた。


 選手たちは既にアップを終えて、整列を始めた。審判が何やら呟いて、試合がまさに始まる。


 しかし、こうして見れば、女子は学年が違っても、あまり体格差は認められない。


――なんて思っていたら、知っている人が視界に入った。 


「そういえばA組だったか」


 この学校の現生徒会長、水早川先輩。最近、妙に見る気がするが、それはE組が矢鱈と3−Aとマッチするせいか。


 そんなことを考えていたら、ふと、先輩と目が合った――気がした。まさか先の呟き声が聞こえたわけではあるまい。こちらを見たのは自分のクラスの応援の方を見ただけだろう。


#


「あかね。これであたるのは二度目だな」


「はい。でも、こうして直接戦うのは初めてですけど」


 将棋のときはわたしたちと先輩のクラスで戦ったけど、対局は結江くんが相手だった。だからこうしてわたしと先輩が直接戦うのは初めて。


「おっ?」


 ふと、先輩はなにかに気がついたように体育館の上のギャラリーの方を見た。わたしも釣られて見たけど、特に何かあるようには見えなかった。


「どうかしたんですか?」


「いいや……。それよりこの前は苦汁を飲まされたからな。今回は私達に華を持たせてくれよ?」


 この前っていうのは将棋のときのことだろうけど。


「それは無理です。わたしたちだって先輩たちのクラスに負けているんですから」


 あの日の男子サッカー。わたしはよく覚えている。それも試合と関係のないことで。それは悪い意味で。


「ああ、男子のサッカーか。あれは仕方がないだろう。何せ私達が優勝したのだからな。お前たちは運がなかった」


「なら、先輩たちも運が悪いです。優勝するのはわたしたちなので!」


 わたしと先輩はセンターラインを挟んだ。


「ほぉ。この時期のひとつ下の後輩というものは少々生意気になるようだな」


 先輩はくすくす笑いながら、審判の手の上にあるボールに目の焦点を合わせた。

 ホイッスルが鳴る。ボールは高々と上がって、わたしと先輩はほぼ同時に跳んだ――!


#


 僕はキャットウォークでだらだらと観戦していたが、いつもより人が多いような気がした。

 確かに決勝戦は全面でやる。予選と呼ぶのは正しいのか判らないが、準決勝までは男女問わずバスケはハーフコートで行う。おそらく試合スケージュールによるものだろう。


 だが、決勝だけはいつもの二倍の広さなので、もちろん決勝を見るためのスペースも殆ど二倍あると考えていい。

 だけど、いつもより過密な気がした。


 ところで試合の方はというと、E組が10点。3−Aが8点と、実力はほぼ拮抗している。いや、少し言い方に語弊があるか。


 E組は波山さんを中心に、足の速い雁坂さんが速攻したり、比較的立ち回れている海崎さんがボールを回したりと、体力のあるメンバーを前線に、自信のないメンバーを後方に、という布陣。


 特に雁坂さんの速攻は小柄だからなのか、とても素早く見え、ディフェンスの間をあなぬけのヒモのように抜く。波山さんはバスケ部だから、ロングシュートもあるし、そういえば足もクラスで三番目に速い。

 我がクラスで彼女より五〇メートル走のタイムが速かったのは麹森と平田だけだ。

 

 だからこそ、波山さんも電光石火のようなカウンターは誰一人として寄せ付けない。


 だが、これほどの精鋭が揃っていて点差がないに等しい。これはどうしたことかと思えば、3−Aの戦略にある。


 3−Aは抜きん出て強い選手はいない気がする。どの人も普通にオフェンスもできて、普通にディフェンスもできている。こちらの波山さんとか雁坂さんのような選手はいない。


 だけど、どのプレーも精度が高い。特にパスについては、まるで上から見ているようで、互いに互いがどこにいるのか解っているのだろうか、恐ろしく正確なパス回しだ。


 ディフェンスではゾーンディフェンスを基本的に採用していて、波山さんの外からの揺さぶりに少し弱そうな気がしたが、それもだんだん修正されてきているようだ。


 つまるところ、実力が拮抗しているというより、純粋なバスケットボールのスキルと計算された戦略が平衡状態にあるということだ。戦力に占めるファクターの割合がそれぞれ異なっていた。



#


 前半が終わった。最後のまぐれのスリーポイントが決まって15−10で少しだけ引き離せた。でも、先輩たちのクラスの堅さは一つのちゃんとしたバスケ部みたい。

 パス回しとか攻め方とか、だいたいその場のノリでやってるわたしたちと違って、向こうは予め計算しておいたかのような攻め方だった。あんな連携はこの短い期間でここまで完成できるようなものなんかじゃない。


 多分、これも先輩の仕業だ。


 先輩は現生徒会長で、わたしがこうしてバスケ部と文芸部を兼部しているのも、そういえば先輩のせいだ。わたしは高校に入った頃には文芸部なんて興味もなかったのに。


 わたしは相手コートの方、先輩の方を見た。

 やっぱり、先輩を中心にチームができてる。先輩はチームメンバーにまるでコーチみたいなことを言っていそうだったけど、不意にこっちを見た。目が合った気がしたけど、たぶん気の所為じゃない。


 だって、先輩はわたしが先輩を見ていることに気がつけるから。


#


 後半が始まってすぐ、僕の隣に一人の生徒が割って入ってきた。


「香流か。界の試合を観に来たのか?」


「ちげーよ! 別にあいつの試合があるからって観に来たんじゃない! だから観に来たんだ」


 この前は我がクラスで物凄い暴挙に出てくれた。あのときはある種の自暴自棄にでも陥っていそうだったが、いまの香流を見る限り「元気」だろう。


「お前のクラス、男子も女子もバスケの決勝に出てるんだな」


「ああ。見ての通りだが、僕も次の試合に出る」


 僕の恰好はいつもの制服ではなくて、学校指定の体育着下にクラT(クラスTシャツの略)そしてその上から学校指定のジャージを着ている。

 ジャージの下を履いていないのはひとえに持ってきていないからだ。


 ところで、いまのオフェンスはA組だったが、シュートがリングに弾かれ、リバウンドを波山さんが取った。

 ボールを持ったままピボットでくるりと回って、相手を躱し、海崎さんにパスが出される。

 海崎さんは軽くドリブルをしてから、誰よりも速く走り、こちらのコート(コートチェンジをしていて前半と攻めるゴールが違う)に攻め込んでいた雁坂さんにボールが渡る。その流れのままレイアップが入った。



「イタ」


 と同時に、横から肘で腰の横あたりをどつかれた。


「どうしたんだ?」


「なんでもない!」


 香流は拗ねているのか、不貞腐れているのか、どうしてか不満そうにして、また眼下の試合を観始めた。


 その試合はというと、E組は19−20で逆転されていた。



#


 みんな疲れてきてる。美代はまだ走れそうだけど、翠ちゃんはもうバテバテになってきてる。さっきもパスを取りそこねちゃってたし。


 スコアは19−20。逆転はされちゃったけど、手番のせい。ここで決めればいい。

 わたしは翠ちゃんからボールをもらって、敵陣に切り込んだ。先輩のクラスは集団として強いだけで、一人ひとりはわたしたちより弱い。だからここからはわたしが全部やる。作戦負けしているのはわたしのせいだから。


 目の前に先輩が立ちはだかる。目線でフェイントしつつ、クロスオーバーで抜い――ていたつもりだった。


「え!?」


 手にはボールの感触はあっても、そのボールはなかった。


(――ボールを取られた!?)


 先輩のプレーがあまりにも静かすぎて、気づくのに遅くなった――ちがう。


 とうとう先輩に火がついたんだ。見れば先輩の色は勝利に燃える炎の色だった。


 わたしは走ってディフェンスに回って、今度は先輩につく。

 

「あかね。驚いたようだが、どうやら私のことを侮っていたみたいだな」


 先輩はその場でボールをつきながら、話しかけてきた。ドリブルしながら別のことをする余裕がある……先輩は――。


「そんなつもりはなかったんですけど」


「いや、そうだよ」


 ふと、先輩との距離が離れた。まるで地面がスライドしたかのような下がり方だった。


 先輩はスリーポイントラインの向こう側からシュートを打っていた。わたしはシュートブロックすらできず、ただボールの軌跡を追ってしまっていた。


 ボールはガタンッとリングを弾いた。


「おっと。あまり綺麗じゃなかったね」


 先輩はそんなことを言って、自陣に引いていった。



 点差は4になった。

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